page58:炎上

「基本的に男は女を下等生物だと思っているんだよね。自分より下に見ていたものが突然鋭い表現で理路整然と反論したりするから腹を立てるんだよ。そのくせ、権威には媚びへつらう。浅ましいったらないよ」


 それは、雪下ひるねさんのカクヨムコン参加小説「SISTERHOOD」で主人公・深雪みゆきの先輩である百合子ゆりこが放つせりふだった。

 大学の文芸サークルで、深雪は彼氏の智成ともなりを含めた男性メンバーたちのふるまいにひどく消耗している自分に気づく。百合子に相談したことからふたりは仲を深めてゆき、友情を超えた名づけようのない感情が生まれる。「百合子」という名前が百合、つまり女性同士の恋愛を直接的に示唆しているという点も話題になり、前作を上回る勢いで人気を博している。

 くだんのせりふは物語終盤、ようやく自分の言葉で違和感や不満を表明した深雪に智成が殴りかかり、それをかばった百合子が叫ぶという流れで書かれている。エピソードタイトルはずばり「ホモソーシャル」だ。

 この文脈を無視してそのせりふだけを悪意をこめて切り取ったものが、Twitterで拡散されていた。


『主語大きすぎ。"男は"に俺は含めないでもらえますかね~』

『純粋に物語を楽しみたいと思って読んでるのに個人の思想を剥きだしにされると冷めるし萎える』

『雪下ひるねって前からフェミくさいと思ってたけどガチだった笑笑』


 ときどき交流のあったユーザーまでもが雪下さんを名指しで攻撃している。胸がずきずきと痛んだ。まるで、自分自身にやいばが向けられているかのように。

 雪下さんはたった一度「文脈をきちんと読んでください」と反論したきり、あとはなんのリアクションもとっていない。

 一度引いた熱が、また上がってきたような気がした。


 数日ぶりに家族との食事に同席したあと、すぐに自室に戻った。まだ体調悪いならお風呂やめとく? いや、老廃物流したほうがいいだろ。 母と父が言い合っているのを背中で聞きながら階段を上り、扉を閉める。

 スマートフォンでTwitterアプリを立ち上げる。雪下ひるねはクソフェミ、ツイフェミ、空気が読めない、頭がおかしいといった暴言がタイムラインに踊っている。再び心臓が早鐘のように鳴りだす。これを流しているのが自分のフォロイーだなんて信じたくなかった。みんなみんな憎しみに目を曇らせている。

 雪下さんは相変わらず何も発信していない。カクヨムを開くと、問題にされているエピソードを最後に更新が止まっている。嫌だ。書いてほしい。こんなことで筆を折らないでほしい。わたしは続きを読みたい。感想を言いたい。


 思い返せば、わたしに声をかけ続けてくれたのは雪下ひるねさんだった。

 他に何の特技もないわたしを、飽きっぽく続かないわたしを、折に触れては声をかけ、背中を押し、小説に向かわせてくれた。いろいろな読者からのコメントや応援、レビューやSNSでの紹介だけでなく、雪下さんからの個人的なメッセージの数々があったからこそカクヨムを続けてこられた。なにせ、こんなに何も続かない自分なのだ。

 次はわたしが彼女の背中を押す番ではないのだろうか。もし闇に落ちているのなら、手を差し伸べるべきなのではないだろうか。


 カーテンの向こう、結露した窓の外で、冬の夜がしんしんと濃度を増してゆく。

 自分だったらこんなときどうしてほしいだろう。知らずのうちに乱れていた息を整えながら、必死で思考をめぐらせた。

 少なくとも、腫れ物に触るように扱われるのは嫌だ。でも、無理やり議論の場に引きずりだされるのはもっと嫌だ。

 熟考した結果、わたしはDMのマークをタップした。

「雪下さん、お声がけしてよいものかわかりませんが、応援の気持ちを届けたくてDMしました。いろいろな考えがありますが、私は作中人物のせりふが必ずしも作者の思想とは限らないし、作者の思想だとしても問題ないものだと思います。むしろ、男性からのいじりや抑圧に苦しむ女性たちに手を差し伸べてくれる救いのせりふだと思います。今は世界的にも人権意識が高まっている中で、日本だけが旧態依然とした価値観に縛られ、身動きがとれない女性がようやく声を上げられるようになったばかりですし、それを反映した小説が出てこないほうがおかしいと思います」

 小学生の作文のように"思います"を連発してしまっている気がして、いったん区切り、ひと呼吸置く。恋人たちに傷つけられた記憶が次々に蘇っては脳内を忙しく通りすぎてゆく。わたしも百合子のように毅然と言い返せていたら、なにか状況は変わっていただろうか。

「文脈も読まず、故意にイメージを歪める人たちを相手にする必要はないと思います。真摯に向き合うのであるかぎり、どんなテーマも作品で扱う権利があるのではないでしょうか。書き手というのは本来、社会に対して問題提起する存在なのではないでしょうか。読者に迎合し、毒も薬もない作品だけを差しだすのが小説家だとは思いません。どうかそのままでいてください。なにかわたしにできることがあれば仰ってください」

 書いているうちに熱がこもってくるのがわかった。ちょっと暑苦しいだろうかと思いつつ、ざっと誤字脱字だけ確認して送信した。

 文字ってもどかしい。直接話せたらいいのに。そんなことをSNSの向こうの相手に対して思うのは初めてかもしれなかった。


 柚子茶を作りに階下へ降り、PCの前に戻って「不要不急の恋人」の執筆を進めた。キーボードを打つ音だけがひとりの部屋に響く。

 スマホがじじっと震えたのは、1時間ほど経った頃だった。Twitterは、リプライとDMの通知だけをONに設定している。

『リゼさん、ありがとうございます。なかなかに孤独だったので(笑)、メッセージいただき救われた心地です。やっぱり仲間っていいですね。

 書くことの権利についてひとりで考えていましたが、答えが出ずに悶々としていたところ、リゼさんのメッセージを読んで目が醒める思いです。……もしご迷惑でなければなんですが、オンラインで少しお話をしてもらえませんか? ZOOMでもskypeでもこちらは構いませんし、今日でなくても、またスルーしていただいてもまったく構いません。今ちょっと誰かに甘えたいモードなので、思いきってお願いしてみました。ご不快に思われましたらご容赦ください』

 意外な展開に驚きつつも、具体的に「わたしにできること」が明記されていて嬉しくなった。

「こちらは全然構いません! わたしもちょうど直接お話ししてみたいと思っていました。ちなみに仕事を辞めてしまって暇なので、こちらは比較的いつでも大丈夫ですよ~。なんなら今でも平気ですがいかがでしょうか?」

『本当ですか! いいんですか!(歓喜) 嬉しくてテンション上がってしまいました!! アドレス、すぐに送りますね』


 白い壁が背景にくるようPCモニタの位置を調整し、化粧と髪を軽く整えてベッドに腰かけた。チャットレディの頃を思いだし、少しだけ胸の中が苦くなる。

 ホストの雪下さんから送られてきたミーティングIDとパスコードを入力し、入室する。画面の向こうに人の顔が現れる。

 えっ、と声が出た。

 雪下ひるねさんを、ずっと女性だと思っていたのだ。

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