page54:吉凶相交

 新しい年は穏やかに訪れた。

 手つかずの真っ白なページが開かれる。なんでもできるような気も、なんにもできないような気もした。

 

 例年初日の出を拝むために登山する父は元旦は不在なので、お雑煮もお汁粉も母と譲治と3人だけで食べた。ぽつぽつと届いた年賀状を選り分け、友人たちとLINEのやりとりをする。虎や門松のスタンプがタイムラインを飛び交う。

 午後、帰ってきた父が仮眠を済ませたあと、家族4人で氷川神社へ初詣に行った。多種多様の屋台のにおいが心を誘われながら、参道の長い長い行列に並ぶ。とてもじゃないけれど煩悩を取り払えそうにない。

 おみくじを引こうとして、なんだか結果に引きずられそうな気がしてやめた。みんながかわるがわる手を突っこむあの箱はコロナ禍でも通常運営で、それを不安に思ったためもある。オミクロン株はいったいどこまで来ているのだろう。市内でも少しずつ感染者が増えているのに、みんなそんなものないかのごとく祈り、食べ、笑いさざめいている。

 子どものようにはしゃぎながら紙切れを手に戻ってくる家族を少し離れてじっと見ていた。父が吉、母が大吉、譲治は「吉凶相交」というものだった。

「何これ! 見たことない」

「レアじゃん、レアみくじ」

「氷川神社のおみくじって他より種類が多いって言うよね」

「えっと……『基本的には吉だが誠心誠意尽くさないと凶に転じますよという意味』だって、ウケる」

 スマホで調べてげらげら笑い、3人ぶんのおみくじを回覧したあと、いちばん背の高い譲治が境内の高い位置に結びつけた。レアみくじと聞いて、自分も引けばよかったという気持ちがちらりと胸をかすめる。

 どうしてわたしはこうなのだろう。


 参拝のあとで屋台で買ったチーズホットクのチーズをびよんと伸ばして食べながら、近くにいるカップルを無遠慮に眺めた。

 女性のほうは振り袖姿で、パーカーにジーンズというラフなスタイルの男性とのちぐはぐ感がすごかった。それでも幸福感が滲み出ている。ほとんどくっつきそうな勢いで顔を寄せ合い、マスクを顎に引っかけてホットクを食べている。

 男性のほうが顔の角度を変えたとき、どきりとした。誰かに似ている。誰。

 ──あ。

 北見くんだ。

 わたしを不要不急と切り捨てた、昔の恋人にひどく似ていた。彫りの深さや、顎のラインなんかが。

 胸をつまらせている間にふたりはホットクを食べ終え、ごみをまとめると、指を絡めて歩きだした。

 その背中をぼんやりと見つめる。孤独という文字が瞼の裏で明滅した。


 その夜、カクヨムの近況ノートを更新しようとして、ふと思った。

「不要不急の恋人」は、いったいいつ完結するのだろう? 私小説であるかぎり終わりがないのなら、わたしは完結ボタンを押すことなく死ぬのだろうか?

 なんとはなしに冒頭のあたりを読み返していたら、北見くんとのやりとりのくだりが自分の胸を小さくえぐった。こんな行為、自傷行為と変わらない。

 そして、ふと気づく。

 ──あれ? わたしと北見くん、はっきり別れたわけではないのでは?

 ふたりとも、「別れよう」という言葉を一度も使っていない。最後のやりとりにおいても、「少し、距離置いてみようよ」「いったんクールダウンした方がいいと思う」しか言っていない。「初心を取り戻す気、あるの?」に対しては、北見くんは「あるにきまってんだろ。今たぶん、コロナでおかしくなってんだよ、みんな。終息したらもう一回会って、ちゃんと話そう」と返している。

 えっ? えっ? もしかして、別れたと思いこんでいたのはわたしの勝手な暴走? あれから二度目の正月を迎えたけれど、もしかして北見くん、わたしからの連絡を待っていたりする……?

 いったんその思いに捕らわれると、心が身動きできなくなった。

 距離を置いた、クールダウンもできた、コロナも終息とまではいかないけれど落ち着いている。もう、条件はすべて整っているのでは?

 心臓がばくばくし始め、わたしは深く息を吸う。

 もしかして自分は長い長い遠回りをしてきたのではないだろうか。

 必死で走り抜いてきた道は、曲がりくねりながらも彼へとつながっていたのではないだろうか。


 4人分の食器や調理器具の汚れをざっと落とし、食器洗浄機にセットすると、わたしは早々に風呂に向かった。髪と体を洗ってから顎まで湯に浸かり、ハンドタオルに包んだスマートフォンを半分閉じたバスタブの蓋の上に取りだす。

 年始の挨拶のついでを装うことのできる最高のタイミングだと思った。

「明けましておめでとう」

 逡巡の末に、厳選したスタンプを送った。しゅぽっという音とともに虎のイラストがタイムラインに現れ、ものすごく久しぶりに北見くんとのトークルームが動いた。どきどきしていた。

「ずいぶんご無沙汰してしまいました。 まだ名古屋にいますか? コロナもなんだかすっかり落ち着いてるね~。元気かな?」

 誤字がないことだけざっと確認し、えいっと送信ボタンを押す。一瞬でも躊躇したら決意が鈍りそうだった。

 返事は来ないかもしれない。既読スルーされるかもしれない。覚悟はしていたので、タイムラインに短いメッセージが現れたときは湯に浸かっているせいではない汗がこめかみに浮かんだ。

『あけおめ、御無沙汰。元気?』

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