page44:地震
揺れは突然来た。22時過ぎだった。
床の下から突き上げられたかと思ったら横揺れになった。
「わっ、わっ」
ぐわんぐわんと揺れる視界。足が床から浮いた気がして、つかまるものを探し、結局座りこんだ。
あの大災害を思いださずにはいられない揺れだった。
おさまるまでが果てしなく長い時間に感じられた。
すっかり心拍数が上がっている。
作りつけの棚に並べたささやかな蔵書が全体的に手前に飛び出しているほかは、部屋に変化はなかった。膝に力をこめて立ち上がる。
「譲治!」
隣の弟の部屋のドアを、ノックもせずに開いた。
目に入ったのは床に散らばるコミックスと、ベッドでタオルケットにくるまった弟だった。
「ちょっ、なん」
「揺れたね! 大丈夫だった!?」
大股歩きでベッドに近寄って、はっと動きを止めた。
うつぶせで腰を浮かせた、不自然な体勢。枕元のティッシュ。スマートフォンから流れているのだろう、布団の中からどこか人工的な女性の喘ぎ声が聴こえる。ああん。ああん。
「平気だからいきなり来んなってっ」
焦りまくった譲治に追い返されながら、ぎくしゃくと部屋を出た。
「里瀬ー、譲治ー、大丈夫かあ」
階下から父の呼ぶ声がした。
震度5はあると思ったのに、実際には4だった。
そりゃそうか、東日本大震災のときはこのへんは震度5強だった、あのときに比べたらたいしたことなかったもんな。頭ではわかっているのになかなか納得できないくらい、恐怖の余韻は長引いた。
震源地が千葉県北西部、最大震度は埼玉と東京の一部で5強。各地で火災や漏水が起き、エレベーターの停止で閉じこめられた人も多数出たようだった。もちろん交通機関の麻痺と、それによる帰宅困難者の発生も。
「川口のおばちゃん、怪我なかったって」
「えっ、あっ」
「でもやっぱり道路に水が染み出したり、近所でブロック塀が崩れたとかあったみたいよ」
母の言葉で思いだした。父の姉が川口市に住んでいる。
「お気に入りのお皿が割れたって凹んでるみたい」
「そっか……」
幼い頃からかわいがってもらったのに、川口で震度5強と聞いてもすぐに思い至らなかった自分をわたしは恥じた。ウェッジウッドの食器でも贈ろうかと考える。
『こんにちは。昨夜の地震大丈夫でしたか? リゼさん埼玉でしたよね。負傷者もたくさん出たと聞いてDMしてしまいました。うざくてすみません。でも心配になってしまって』
心あるメッセージを送ってくれたのは雪下ひるねさんだった。ちょうどそろそろお茶にしようと思っていた。雪柳のアイコンを見つめながら返信を打つ。
「わ~、ご心配おかけしてすみません! こちらは平気ですよ! 我が家も大きな被害は何もなく、本棚の本が崩れたくらいでした」
『それは何よりです! 安心しました(きらきらの絵文字)リゼさんあんまりつぶやかないし更新もないからまさかと思ってしまって。考えすぎですよね(汗の絵文字)不要不急、更新待ってます』
「ありがとうございます! 怠惰なだけで、図太く生きてますのでご心配なく! でも嬉しかったです! わたしも『SISTERHOOD』の更新楽しみに生きてます」
文字を打ちこんだあと、ふっと寂寥感が襲った。
会ったこともない、顔も名前も知らない相手から心配してもらっているわたし。
恋人どころか、友達から連絡をもらうこともない──。
LINEを立ち上げ、雨月のトークルームを開いた。
『飲みにでも行かね? 東京行くよ~』に既読はついているが、返信はまだない。それが彼女の何らかの意志の表れなのだろうか。心に小さく影がさした。
「やっほー 地震平気だった? 東京もあちこち断水したよね? ってか生きてる?www」
期待していなかったのに、今度はすぐに既読がついて返信が来た。
『なんとか』
たったそれだけ。
なんだろう、このテンションは。なぜだろう、この違和感は。あまりに彼女らしくなかった。
思わずそのまま電話をかけた。
『──はい』
友の声がずいぶん久しぶりに耳に流れこんできた。低く、かすれた声だった。
「あ、わたしだけど。雨月生きてたの?」
『まあ、うん』
「『まあ』って何よ。なんでそんなテンション? 仕事中だったら切るけど……」
『なんで、って』
雨月の声が固く尖った。
『だってコロナに感染してたんだもの』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます