page36:酢豚にパイナップル

 帰りは森がハンドルを握った。

 わたしはまた助手席に座ったけれど、後部座席が気になって仕方ない。海ほたるで一緒にジェラートを食べ足湯にまで行ってきたふたりは、帰りの車内でもずっと話しこんでいる。肩が触れ合わんばかりだ。

 漏れ聞こえる会話から、武田が実家暮らしであることや、セッキーが大手企業を辞めて派遣社員になった顛末を知った。

 今はまた車の話題に戻って、最近中古車の値段が高騰しているらしいだの、それはコロナの影響だのと話している。リモートワークをするようになり、職場より遠くとも地価の安い地域に住む人が増えた。たまの出勤は車通勤をするから、中古車の需要が高まったとか、なんとか。

 全員と共有すればいいのに。わたしは罪悪感ともやもやを抱きながら、彼らの話に耳をそばだてていた。

 雨の首都高は、行きよりも少し混んでいる。

 教習所で習ったハイドロプレーニング現象というやつが起きないか、わたしはひやひやする。タイヤが勢いよく水をはじく音がにわかに不安を煽る。

「だーいじょうぶっすよお」

 森はへらへらと笑う。軽薄にも見えるが、実際彼の運転は武田のものより丁寧だった。


「自分は『浦和うなぎ』っていう名前でやってて」

 カッターフェイスの下で、森はあのあとそう続けたのだ。

 カクヨムで書き手をやっている友人だと武田から聞いてはいたものの、世の中本当に狭いと痛感させられた。

「え? なんか聞いたこと、っていうか見たことあるような……」

「うん、だって『不要不急の恋人』読んでるもん。まだ全部じゃないけど」

 そう言われてつながった。少し前、そんな名前のユーザーから応援通知が届いたのを覚えている。

「なんで行きの車の中で言わなかったの?」

「いやだって、リゼさんあれに恋愛遍歴いろいろ書いてるじゃないっすか。私小説ってことは事実なんでしょ? タケに知られていいのかなって思ったから」

 彼なりの気遣いだったらしい。雨を避けて建物へと向かいながら、彼を見る目が少し変わるのを自覚していた。


 雨粒が斜めから車窓を叩いては後方に飛び去ってゆく。

 こんな窓も開けられない状況で、もしこの中の誰かがあれに感染していたらどうなるのだろう。森がときどき変な咳をしているのも気になる。今更ながら不安が爪の先からじわりと押し寄せてくる。

「浦和ICインターまであと20分くらいだけど、どうするー? 夕飯ゆうめしどっかで食べてく?」

 浦和うなぎこと森がルームミラー越しにふたりに向かって声をかける。

 セッキ―が紅潮した顔を上げた。武田も夢から醒めたような表情でこちらを見る。完全にふたりの世界だったらしい。

「ファミレスとかどっか寄る?」

 浦和うなぎこと森がもう一度たずねる。

「いいねえ」

 セッキ―が武田の同意を得ようとするように隣を見ながら言い、「小岩井ちゃんは時間平気?」などと取って付けたように訊いてくる。

「あ……まあ……」

「せっかく深い話もできたことですし! どっかで食っていきましょう、そうしましょう!」

 わたしが答え終わらないうちに、武田がいかにも学生のノリで声を張った。


 深い話ができた? 誰と誰が? あなたたちだけじゃないの──。腹の底にぐるぐると渦巻くものを意識する。

 わたしはもっと知りたかった。

 ねえ、酢豚にパイナップル入れるのって許せるタイプ?

 ねえ、レジで少額の会計をするとき一万円札しかなかったら「すみません」って言っちゃうタイプ?

 ねえ、あんまり行かないお店でポイントカードお作りしましょうかって言われたら、断れるタイプ? それとも、まあいいやって流されて作っちゃう? そして後で財布から取り出してそっと捨てたりとかする?

 ねえ、武田くん。教えてよ。聞かせてよ。


「──オリンピックって本当にやるのかねえ」

 口から滑り出たのはしかし、そんな台詞だった。

 いや、さすがにこんな情勢でこの話題が出ない方がおかしいでしょ。その言葉は胸にしまい、車内の空気が変わるのも構わずに、わたしは前方を走る車を指差して誰にともなく続ける。

「ね、あのなんか、放射線状に模様のあるカラーのナンバープレートって、オリンピックナンバーなんでしょ。今年も中止とか延期になったらどうするんだろうねえ。ってかそもそもやるべきだと思う? まだワクチンもそんなに行き渡ってない状況で」

 武田とセッキーが顔を見合わせるのがルームミラーに映った。

 ややあって、森が前方を向いたまま

「まじめか!」

と笑った。


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