page35:彼と彼女と彼
新大宮バイパスを通って首都高5号線に抜けると、外の空気が変わったのが窓を開けなくてもわかった。
やがて、左手に海が見えてくる。ずいぶん久しぶりな気がした。海も、海を見せてくれる男も。
うわあ。少し大げさな声を上げて助手席の窓に貼りつくと、
「このまま房総半島までぶっちぎって鴨川シーワールドにでも行っちゃいます?」
ハンドルを握る
「それじゃ今日中に帰れないじゃない」
「帰らなきゃいいじゃない」
「え、お持ち帰られちゃうの?」
「え、お持ち帰っちゃだめなの?」
軽口を叩き合っていると、後部座席でセッキーと
どうしてこうなったんだろう。海に視線を戻して考える。
区役所でわたしをナンパした武田は、セッキーにもすかさず声をかけた。「お姉さんも一緒にドライブ行きませんか?」と。彼の気持ちをとらえた自分に酔ったのは、
セッキーがまんざらでもない反応をしたのはわたし同様、彼が老人を助け起こすところを見ていたからに違いない、と思う。
なぜかその流れで、武田と書類の受け渡しをするために区役所前にやってきた男と4人でドライブへ行く話が強引にまとまった。
再会したばかりでとりわけ仲がよかったわけでもないわたしとセッキーは、男たちに対応しつつあたふたと連絡先を交換した。
森は小柄で人懐こい男だった。武田よりもさらに日焼けしている。1年浪人してS大に入ったため、武田よりひとつ年上なのだと、さっきわかった。
わかったところで、わたしは武田にしか興味がないのだが──。
「いい車ですよね」
森から武田のものになったばかりの中古車を、セッキーが褒めた。武田が、お、という顔でちらりとルームミラーを見た。
「な、いいっしょ? いいっしょ?」
元の所有者である森が食いつき、
「うん。圧迫感がないし、走行音が静かだよね」
ナチュラルに言葉を崩してセッキーが笑いかける。
白い半袖ブラウスにカーキ色のコットンパンツを履いた彼女は、シンプルなコーディネートなのにそこはかとない色気があった。手首に揺れる細いブレスレットのせいかもしれないし、微かな香水のせいかもしれない。
生地をたっぷり使ったシャツワンピースを着た自分が、急に野暮ったく思えてくる。
「そうそう、燃費もいいんすよこれ」
「ね、車検ってどこで受けてる? あたしも中古だけど今乗ってて……」
「まじすか? どこの?」
武田がかぶせるようにたずねる。
そのまましばらく3人で車談義が続いた。どこの車屋に腕のいい整備士がいるだの、ユーザー車検の方が断然安いだの、名義変更の手続きは煩雑だの、陸運局の窓口の人が感じ悪かっただの。
自分の存在が空気になっていることを感じて、わたしは海に目を奪われているふりをしていた。今にも雨の降りそうな空を映した、灰色と青の中間の海。
高3のとき、どうしてセッキーとそこまで仲良くならなかったか、なんとなくわかったような気がした。
「コイワちゃんは、運転とかする人?」
マスクの下の両目に笑い皺を作って、武田がわたしに水を向ける。
武田
わたしは、自分の心に耳を澄ませてみる。
恋がしたいの? わたし。仕事も探さずに、大学生となにやってるの。
もしかして、恋愛体質ってやつなの?
あんなに痛い目を見たばかりだというのに。
海に浮かぶパーキングエリア・海ほたるは、混み合っていると言ってよいくらいの人の入りだった。
家族連れに、カップルに、わたしたちのような若者グループ。みんなマスクこそ着けているものの、ソーシャルディスタンスという言葉を知らないかのようにはしゃぎ、走り回り、肩を寄せ合っている。
飲食店には行列ができているところもある。フードコートに4人で座れる席を見つけるのがやっとだった。
こんなの、感染が広がるに決まってるじゃない。わたしの自粛生活とはなんだったのだろう。深く考えたくないのに、どうしても思考がそこへ行き着く。
人は悲しいくらいに慣れてしまう生き物なのだ。
未曽有のウイルスの脅威にさえも。
「ね、雨降る前に風の塔行ってみない」
カッターフェイスのモニュメントを眺めながらべたつく海風に吹かれていると、森が声をかけてきた。
「行かない」
わたしは森の顔もろくに見ずに返事をする。なんとなく、彼にはぞんざいな態度をとっても許されるような雰囲気があった。
「な・ん・で」
「別に」
「ふたりがいい感じだからおもしろくないの?」
ずばりと言い当てられて、言葉に詰まった。
さっき、セッキーが「ヨーグルトジェラート食べたい」と言ったら武田が「じゃあ俺も」と同行したのだ。
じゃあ、ってなんだよ。じゃあ、って。なんなのよいったい。いらだちと不安がぐるぐると渦巻いている。
ふたりは車内でも、カーラジオから流れてきた洋楽の話題でひとしきり盛り上がっていたのだ。
「ね、これってナンパなんでしょ? あたしたちのことふたりでどうかしようとしてる? それか森くんもセッキー狙い?」
もはやなんでも訊いてやれ。やけくそになって、挑むように言った。
「んなことないすよ」
わたしの負のエネルギーを、森はへらっと笑って受け流した。そして、
「ね、もしかしてカクヨムの『リゼ』さん?」
とたずね返してきた。
マスクの下で口を開いたとき、額がぽつりと雨粒をはじいた。
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