page25:ホテルの小部屋

 かしゃん。かしゃん。

 ベッドサイドに、小さな金属音が響く。

 ピアス。腕時計。ブレスレット。そして、良香とお揃いの指輪。

 本当に装身具の多い男だ。ひとつひとつ取り外しては、ベッドサイドに備え付けられたパネルの上に置いてゆく。

 下着だけの姿になって、それからやっとわたしに手を伸ばす。

 いつもの手順。


「ねえ、この水ってさ」

 どこか気怠げにわたしのセーターを脱がそうとする富岡に、わたしは問いかけた。

「ん?」

「この水ってさ、普通に店で売ってるとこ、見たことないよね」

 このラブホテルの小さな部屋にサービスで置かれている天然水のPETボトルをもてあそびながら言うと、富岡は所在なさげに手を引っこめた。

「うーん、まあそうかも」

「聞いたことないメーカーだもんね」

「だから?」

 半裸の富岡はれたように言った。

「いやあの……」

 良佳とも、いつもこのホテルを使うの? たまには別のところを使ったりしないの? 

 肝心なその質問は、口にすることができなかった。唇をふさがれてしまったからだ。

 彼がさっきまで吸っていた煙草の苦みが、口の中に広がってゆく。


 ときめいているわけではない。

 富岡とつながりながら、わたしは確認するように思う。

 乾燥したこの小部屋の天井にはうちの壁と似た材質の白いクロスが張られ、安っぽい照明が取りつけられている。古いホテル独特の、良くも悪くもないにおいがする。

 ――良佳もこの天井を見ながら、このにおいを嗅ぎながら、富岡に抱かれるんだろうな。

 ほどよいリズムで揺らされながら高まってゆくのを感じ、目を閉じる。

 ときめいているわけでもないのにどうして友人の恋人と関係してしまうのか、自分にもよくわからなかった。

 富岡は特別優しいわけでもなく、愛の言葉をささやくでも、素敵なデートに連れ出してくれるでもなかった。一緒にいてもわたしを構わない。手をつなぐことすらないし、そもそも好きだとも言われたことがない。

 ただ、今なんとなく波長が合い、なんとなくお互いを必要としている。そのことだけは言葉にしなくても充分にわかるのだった。

 迷子の子どもが夕焼けに向かって歩くように、わたしたちはお互いを貪った。

 そうこうしているうちに、新しい年が明けた。


 下りのJRに少し乗れば帰省できるのに、それをしないまま松の内を過ぎた。

 ここで感染したら長いこと自粛生活をした意味がなくなるし、退職した理由も無職でいる理由も他人にわかるように説明するのは気が重かった――それに、呼び出されたら会いにゆきたい人がいる。

 COVID-19の感染者数はみるみる増え、1月7日には2度目の緊急事態宣言が出されるに至った。

 前回のようにマスクや衛生用品が品薄になることはないだろうと思いつつ、多少は余分に生活必需品を買いこむべくスーパーへ出かけた。


 入口でアルコール除菌した手でカートを押しながら、そろりそろりと店内を歩いた。

 この店で働く良佳の姿は、通路にもレジにも見当たらない。ほっとしつつもどこか残念に思う自分もいた。

 最後のホットヨガの日以来、彼女からはいっさい連絡がない。あれほど毎日しつこいくらいに雑談LINEを送ってきていたのに。

 富岡とわたしとのことに気づいているはずなのに何も言ってこないのが逆に気持ち悪くて、はっきりさせたい気持ちが心のどこかにあるのだろう。そんなふうに自分を分析しながら調味料の什器じゅうきに手を伸ばしたとき、インストゥルメンタルのBGMに割り込むかたちで店内放送が入った。

「――業務連絡です。新田さん、2番レジお願いします。新田さん、2番レジお願いします」

 レジの方向に目をやると、店のエプロンを締めた良佳がぱたぱた走ってゆくのが見えた。

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