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 ホットヨガの体験コース最終日、駅前にはクリスマスソングが流れていた。人もまばらな商店街を抜けて、ヨガスタジオにたどりつく。

 もう、ここに来ることもないのか。

 いくばくかの感慨をもって、わたしはようやく引きこもり前に戻りつつある自分の体型を更衣室のスタンドミラーに映した。


「里瀬ちゃん、痩せたよね。それでやめちゃうなんてやっぱもったいなーい」

 肩越しに新田良佳が声をかけてくる。

 最後のレッスンはどうしても一緒に受けたいと言われ、日程を調整して予約をとったのだ。

「ほんとにやめちゃうの? 続ければもっと健康的になれるのに」

「うーん、やっぱコロナ怖いしね。家でも動画観ながらヨガやってるし」

「でもでもここだと存分に汗をかけるのがいいんじゃん~淋しいよ~~」

 良佳はわたしのTシャツの裾を引っぱる。ヨガウェアはとうとう購入しないまま最後を迎えてしまった。

「あたしも淋しいよ~、でもほらお金ないしさあたし」

 無職というにしき御旗みはたをかざすと、良佳は口をすぼめてわたしのTシャツから手を放した。

 やめる以外の選択肢はない。その一因はあなたでもあるよ。ごめんね、良佳。

 黒地にピンクのラインの入ったヨガウェアを着た彼女のほっそりとしたボディーラインを、これも見納めとばかりにわたしはそっと見つめた。


 レッスン開始5分間のメロディーが鳴り、わたしたちはロッカーの鍵やタオルを持って場所取りしてあった自分たちのヨガマットへと急ぐ。

 他の利用者たちも鉄扉の向こうからどんどん入ってくる。既にマットの上で座禅ざぜんを組んだり体をほぐしたりしている人たちもいる。

「――あっ」

 やばい、水。水を忘れた。

 水は自分でPETボトルを持ってくる人が多いけれど、受付で水素水を買うこともできる。

 今日は良佳との待ち合わせに気を取られて、いつも立ち寄るコンビニをスルーして来てしまったのだ。舌打ちしたい気分。これだからイレギュラーなことは苦手だ。

 あと3分。インストラクターもまだ来ていないし、ぎりぎり間に合うかな。

 引っつかんだ鍵をちゃらちゃらいわせながらロッカールームに駆け戻る。水素水を買うため鞄から財布をつかみ出そうとして、ちゃぷんと水の揺れるPETボトルに指が触れた。一瞬、混乱する。

 ――ああ、そうだった。

 昨日富岡と行ったラブホテルの部屋から持ってきた、あまり有名ではない銘柄の天然水のPETボトル。入れっぱなしになっていたのだ。

 そうそう、これがあるから今日はコンビニで水を買わなくていいと思って準備してきたんじゃん。いろいろとばかすぎる、自分。本当にイレギュラーに弱い。

 水のボトルを引っつかみ、ちょうどスタジオに入ろうとしていたインストラクターとぶつかりそうになりながら自分のマットの上に戻った。


 視線。

 強い視線を感じる。

「手は胸の前で合掌がっしょう……右の足裏を左の膝につけて、立ち木のポーズ……ぐらぐらしても大丈夫です……」

 だいぶ慣れてきた片脚立ちのポーズをしながら、わたしは自分に向けられた視線をそっとたどる。

 左隣のマットでポージングしている良佳が、まっすぐにこちらを見ていた。その視線の鋭さに、汗を噴出する火照った肌が一瞬で冷えるような気がした。

「片足で重心を感じて……頭と首が固まってしまわないよう力を抜いて……できるかたは足の裏を左脚の付け根のほうに移動して……」

 思わすバランスを崩し、わたしはよろめいた。


「はい、汗を拭いてお水をとりましょう」

 インストラクターの指示でみんないっせいに座りこみ、タオルを使い水を飲み始めた。

 わたしも天然水のPETボトルのキャップをひねり、渇いた喉に水を流しこむ。

 その手元に視線が突き刺さっているのを、痛いくらいに感じていた。

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