page23:最初からわかってた

 久しぶりに会った雨月はフェイスシールドをしていた。初めて間近で見たそれは、意外にシンプルな造りになっていた。

「いやあ本当に太ったのですなあ」

 相変わらず遠慮のない物言いに、かすかに傷つく。

「これでもちょっと戻したんだよ。今ホットヨガにも通ってるし」

「ホットヨガ!」

 雨月は大げさにのけぞってみせた。華奢な肩の向こうでポニーテールの毛先が揺れる。25歳にもなってポニーテールの似合う女は彼女くらいだとわたしは思う。

 アメリカのハイスクールみたいなロゴの入ったゆるいトレーナーに、プリーツスカート。この装いから彼女の職業が編集者だと当てられる人はどのくらいいるだろうか。

「なにゆえそんなまた、感染スポットみたいな場所に……」

「痩せたいからに決まってんじゃん」

「たしかにZOOMで見たときよりはましかも。あのときくっきり二重顎だったし、ニキビ凄かったし」

「でしょ? ちゃんと効果あるんだよ」

 体への言いわけのようにヘルシーな食事を選んだ。学生時代によく一緒に通った豆腐料理レストランは、コロナ禍においても潰れることなく営業していた。

 豆腐の焼売しゅうまいにおからハンバーグ、豆乳プリン。あの頃好きだったメニューが健在で嬉しくなる。変わったことといえば、入店時に除菌と検温が必須なことと、店員が全員マスク着用であることくらいだ。

 東京のコロナ感染者数は爆発的に増えてゆき、しかし飲食店の賑わいはさほど変わったようには見えない。


「『本当のデッドはいつですか?』とか訊いてくんの。ほーんと嫌になるですよまじで。原稿料みかん10個とかじゃだめですかね、あんなやつ」

 フェイスシールドを外して箸を口に運びながら、雨月は仕事の苦労を淡々と語った。その口調ににじむ編集者として、あるいは社会人としての誇りや自尊心を、わたしは敏感に感じとる。

 転職を決意した矢先に失業給付金が入ってきてなし崩し的にモラトリアム継続となった自分にとっては、胸にちくちく刺さる話ばかりだ。

「……大変だね」

「原稿といえばさ、カクヨムの方はどうなん」

 木の匙に湯葉を掬いながら雨月はするりと話題を変える。わたしをただの聞き手にしない、彼女なりの配慮だろう。

「どう、とは」

「あたし読み専だからわかんないけどさ、やっぱりpvとかってだんだん落ちてったりするの?」

「ぎくり」

 書き始めた頃雨月に予言された通り、連載形式で執筆している小説『不要不急の恋人』の閲覧数はゆるやかな階段状に減ってきていた。リアクションしてくれる人も少なくなっている。そのことはあまり考えないようにしていた。

 顔も知らない個人の私小説に付き合ってくれるような人は、この世にはそれほどいないのかもしれない。

「ご明察。最初の頃の勢いは、前に言われた通りビギナーズ・ラックだったのかも」

「まあまあ。★の数100超えてたじゃん。それだけでもすごいよ」

「わお、ありがとうございますrainymoonさん、そんなにまめにチェックしていただいて」

「雪下ひるねさんの読むついでだけどね」

「おいこら」

 カクヨム談義に花を咲かせていると、隣りの席に学生風の若い男ふたり組が座った。豆腐料理店に男性だけで入ったりするものだろうかとちらりと目をやると、向こうもこちらを品定めするように見ていた。


 飲み物はドリンクバーで、セルフ方式になっている。中国茶も有機コーヒーも飲み放題なのはちょっと信じられないくらいお得感がある。

 ポットからコーヒーを注いで席に戻ろうとしていると、「ポニーテール」という単語が耳に飛びこんできた。さっきの男たちの声だった。

「俺、ポニーテールがいい」

「んじゃ俺もうひとりの方」

「そっちの子、ちょっとプニョってなかった?」

 ぎゃはははは。品のない笑い声が響く。

 固まったように動けないわたしの背後で、雨月もまた身を固くしている気配がした。


 6回目のホットヨガでは、今までできなかったきついポージングに成功した。片脚立ちしてもぐらぐらしない。体の芯が整ってきたのかもしれない。

 それだけでない。最大時から3.5kg減らした。レッスンのない日もYouTubeを観ながら自室でヨガをするようになったら、自然と食事にも気を遣うようになった。

 女だというだけで、いつでもどこでも容姿をジャッジされるのはもうたくさんだ。それでも、自衛するには結局痩せるしか手立てがないのだった。

 シャワーブースで汗を流し、化粧台の前に立つ。コロナ対策で椅子が取り払われており、女たちはみんな中腰になって髪を乾かしたりメイクを直したりしていた。


 受付でロッカーの鍵を返し、引き換えに会員証を受け取る。

「小岩井さん、次回が体験コース最終日ですね」

「はい」

「その後月額コースをご契約いただけるようでしたら印鑑が必要になってきますのでお願いします。認印でいいんですけど、シャチハタとかじゃなく朱肉を使うタイプので」

「ああ、はい」

 おざなりに返事をして外へ出た。どのみち感染も怖いし、正規入会するつもりはなかった。

 シャンプーのにおいを立ちのぼらせたまま外を歩くのって、なんだかラブホ帰りっぽいんだよな。そんなことを思いながら肌を刺す北風を身に受けたとき、ビルの壁に寄りかかっている男と目が合った。

「……今日は良佳と一緒じゃないですよ」

 鼓動を抑えつつ話しかけると、富岡はかすかに口の端を歪めて笑った。

「知ってる」

 ――ああ。

 こうなることは、最初からわかっていた。

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