page13:オジギソウ


「オジギソウってね、本当は多年草なんだって。でも耐寒性が低いから、日本の気候だと一年草扱いになっちゃうんだってさ」

 モロちゃんはそんな蘊蓄うんちくを語りながら、土を綿棒でちょんちょんと4カ所つつき、穴を作った。その中にひとつずつ、小さな種を落としてゆく。

「5月に蒔けば7月から10月くらいに花が咲くんだって」

「え、ほんと? オジギソウって花咲くの?」

「らしいよ。お客さんが言ってた」

 種に土をかぶせると、モロちゃんはプランターをキッチンの隅の暗がりにそっと置いた。暗い場所じゃないと発芽しないらしいよ、と言いながら。

 わたしたちの生活に、小さな生き物が加わった。


 外出自粛という大義名分の元で営む引きこもり同棲生活は快適だった。

 家業が身に染みついたモロちゃんは、気のきいた料理を次々に作ってわたしを喜ばせた。くだらないテレビ番組にふたりで突っこみを入れ、東京都の感染者数におののき、狭いお風呂に交代で入り、夜は飽きるまで互いの体を貪り、ぴったりとくっついて眠った。

 あの老人と会うことを懸念して、スーパーにはモロちゃんがひとりで買い出しに行ってくれた。わたしの生理用品さえためらいなく買ってきてくれた。

 体がなまらないよう、晴れた日は「0密散歩」と称して外へ出た。人に出会わなそうな通りを選んで公園へ出かけ、カフェのコーヒーをテイクアウトした。

 わたしのワンダーフォーゲル部時代のテントを引っぱり出してベランダに設営し、アウトドア気分で食事や昼寝を楽しんだ。

 緊急事態宣言が解除され、本格的に梅雨が訪れても、わたしたちはそうやって日々を紡いだ。


 ああ、飢えていた。今なら、それがわかる。

 誰かがあたりまえに傍にいること。

 声を発すれば、キャッチしてくれる相手がいること。

 一緒に食事をし、楽しみを共有する相手がいること。

 そしてもちろん、人肌の温かさも。

 北見くんと暮らしていた頃は当然のように享受していた幸せを、わたしはあらためてしみじみと噛みしめた。

 STAY HOMEと言われても、パートナーなしでは心が先に感染してしまう。孤独という名のウイルスに。


 カクヨムのことはモロちゃんには言わなかった。

 書き物をしていることを知ってほしい気持ちはあったけれど、北見くんとの甘い日々の記憶を読まれるわけにはいかなかった。

 それに、この新しい生活のこともひっそり書き綴っていたから。


「彼女からすると、彼は仕事ができる人で、期待されてるからこそ名古屋に移動そして3年たてば戻れると言い残した。

 多分、出世したいと思ってる人なら人一倍仕事量と責任が有ってストレスが貯まると思います。

 会えなるなくのは必然、それでも普通に連絡して、メッセージ拒否はされてない時点で完全のクズ男ではないのでしょうね」


 セックスを終え、健やかないびきを立てているモロちゃんの隣りで、わたしはそっとスマホを開いた。闇の中で、そこだけ光が灯る。それは夜の海辺の灯台を思わせた。

 アルゼンチンの読者さんから届いた長い長いコメントを読み返す。

 クズ男という言葉にどきりとして、それが否定されていることにほっとする自分に少し驚いた。


 以前コメントをくれたYUさんからもまた届いていた。


「『来て』

『すぐ行くよ』


 弱音を吐き出してしまった時に受け止めてもらえるのは本当に救われる。

 今のこの状況、改めて自分が大切にしたいものや気持ちを見つめ直す時間のように思っています」


 モロちゃんが実家に来るお客さんからもらったというオジギソウの種は、蒔いてから4日ほどで発芽した。

 朝一で水をやり、ベランダでたっぷり日光を浴びさせると、日ごとに葉を繁らせてゆく。

 発芽からきっかり一週間後、なにげなく触れると、みるみる葉を閉じながらすーっと頭を下げてみせた。

「ねえ! 今! おじぎした! オジギソウがおじぎしたよ!」

 今いちばん大切にしたい相手に、わたしは息を弾ませて報告した。

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