page9:ミネラルウォーター

『寝てたって何すか小岩井さんw 平日の昼間ですぞwww』

「いやまじで寝ても寝ても異常に眠くて……。あ、同窓会のことは普通に忘れてました☆」

『ひでえwww俺いちおう幹事だったのに! てか仕事は? 在宅?』

「うーん、自粛しろって圧力かけられて自粛中みたいな(>_<)」


 メッセンジャーはぽんぽん続き、たちまちチャット状態になった。

 寝起きの頭で言葉のラリーを続けるうち、思考がどんどん冴え渡ってくる。

 半開きになったカーテンの隙間から射しこむ日差しには夏の気配すらあって、急に部屋が暑く感じられた。ああ、エアコンのフィルター、掃除してない。


『何それありえねー! 休業補償出るんでしょ?』

「ちゃんとは聞かされてなくて……。調べるのもだるくて放置しちゃってる(>_<)モロちゃんとこも自粛中?」

『うちは飲食だからね〜。常連さん向けに細々やってたけど、結局諦めて閉めちゃってる』

「そっかあ(>_<)自粛計算とかあるっていうものね」

『自粛計算w』

「『警察』の誤入力(泣)」


 モロちゃんこと諸永もろながつかさは中3のときの同級生だ。一緒に文化祭の実行委員を務めたことで親密になった。

 授業中には教師の問いかけに積極的にリアクションするようなキャラで、みんなからは三枚目扱いされていたけれど、彼が他人を気遣える人であることをわたしは知っていた。

 嘘みたいに真っ赤な夕陽が染め上げる教室で一緒にくす玉作りの仕上げをした日のことが、脳裏に鮮やかに蘇る。

 ふたりの関係を変えるような言葉を口にしてみたくなったけれど、あのときモロちゃんには他校生の彼女がいた。わたしは行き場のない小さな恋心を色紙のかけらと一緒にくす玉に詰めて封印したのだ。

 新社会人になった頃から身の回りでFacebook人口が急速に増え、つながった旧友たちの中に彼もいた。日記には、アルバイトみたいな待遇で実家の小料理屋を手伝っているとあった。


『ところでそちら、マスクは足りてますか? なんかうち常連さんから大量にいただいたんだけど』

 ほら、そういうところだ。急に泣けてくる。

「うわあいいねえ! うちマスク2枚しかなくて、洗って使い回してるけどもうヨレヨレ( ; ; )」

『マジか! よかったらお裾分けしますよ! 遠慮せず言って!』

 どこまで甘えたものかわたしは逡巡しゅんじゅんした。社会に出てから、他人の好意的な言葉を額面通りに受け取らない癖がついている。

「ありがとう♪ そういえば緊急事態宣言ってもう解除になったんだっけ??」

『いやいや2回目発令されたっしょw リアル浦島太郎やな笑笑』

「あれ! そうなんだ(汗)」

『それ知らなくて自粛警察は知ってるって、どういう世界線にいるのよアナタwww』


 突如、健康的な空腹と喉の渇きを覚えた。スマホを持ったまま冷蔵庫の前に移動し、中途半端に残っていたPETボトルのミネラルウォーターを、喉を鳴らしてひと息に流しこむ。水はわたしの体を巡り、五臓六腑に染み渡ってゆく。

 北見くんのことが頭から完全に吹き飛んでいることに気づき、わたしはひとり声を出して笑った。

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