page8:白河夜船

 どろりとした眠りに引きずりこまれた。

 巨大なシーツに突然すっぽりと覆われてしまったような感覚。


 GW期間中、その突然やってきた得体の知れない大きな力に、わたしはひたすら身を任せてこんこんと眠った。

 深く、深く。

 この底知れぬ不安や悲しみをシャットアウトしてくれるのは睡眠しかないという、ある種の防御本能が働いたのだろう。自分に訪れたその変調の理由は、それしか思いあたらなかった。

 人間なので、起きていればどうしたって思考してしまう。

 どう見ても失策ばかりの政府、本当か嘘か怪しい検査数や陽性患者数、何の連絡もよこさない会社、そして北見くんのことなどを。


 自粛生活が始まってからも、日々の生活リズムは崩さずにひとりでやってきた。

 けれど、もう、どうでもいい。

 今日が何日だろうと。

 恋人が誰だろうと。

 自分が何者だろうと。

 心の底から、どうでもいい。


 胎児のように、わたしは眠り続けた。

 午前中から布団に潜り、目が覚めると外が薄暗いので夕方まで眠ったのだと思ったら、翌日の朝方だったりもした。

 自分はこんなロングスリーパーだったのかと驚き呆れ、ちょっと気持ち悪くもなったけれど、新しい特技だと思うことで小さな恐怖に蓋をした。


 時折、食事と排泄のためだけにむくりと起きた。まったく入院患者にでもなった気分だった。

 半覚醒のままシリアルや買い置きの食材で作った簡単な食事を口にしながら、スマホに溜まってゆくカクヨムの通知をチェックした。


「不思議な感覚に陥ります。現実世界じゃない現実に浸かってるようです。私じゃない誰かの生活、こんなにも身近に感じたことはありません。続き楽しみに待ってます」


「ごとうのトオル」さんからもらったコメントを、ぼんやりと咀嚼しながら何度も読み返した。

 北見くんとの甘い日々の思い出を掘り起こす気力はとっくに失い、直近の更新内容はこの引きこもり生活のよしなしごとだった。

 こんな個人的な、ほとんど日記みたいな内容にも需要がある。その実感だけが、自分をこの世界につなぎとめておくもののような気がした。

「ありがたいな」

 ぽそりとそうつぶやいて、ニュースも見ずにまた布団に潜った。

 半日眠ったばかりだったというのに、眠りはすぐに訪れた。


 わたしが人間に戻ったのは、GWも過ぎた5月の真ん中だった。

 輪郭のおぼろげな夢の中に、突然やけにクリアに電子音が響き渡ったのだ。

 メールでもLINEでもなく、あまり聴き慣れないメッセンジャーの通知音だった。

 ぴぴぴぴというその音が自分を呼んでいる気がして、わたしはスマホを枕元に引き寄せた。


『オンライン同窓会に参加してくれなかった小岩井さん! 3E代表で連絡しました! 生きてますかっ!』


 目やにの貼りついた瞼をこすりながら、わたしは画像を見つめた。自分を包むもやが急速に晴れてゆくような気がした。

 Facebookでよく見るアイコンの写真は、中学の頃ちょっとだけ好きだった男の顔だった。

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