page7:距離を置いて

「……」

 いきなり出端でばなをくじかれた。北見くんの「なに」は「とびきり機嫌が悪いですよ」を意味する。

『なんすか』

「……」

『無言電話なら切りますねー』

「ちょっ、待って」

 慌てて引きとめる。どうしようもなくみじめだ。

「元気で過ごしてた?」

『はあ、まあ。ご用件は』

 とりつくしまもない。息を整え、スマホを握り直す。

「要件がなくちゃ電話しちゃいけない関係だったっけ? わたしたち」

『――要件、ねえのかよ』

 はっ、と北見くんは鼻で笑った。完全に見下されている。冷え冷えとしたものが心に広がってゆく。

 たった今わたしが座っているこのベッドで、何度も何度もわたしを抱いたくせに。

 セックスの後のどろりとした気怠さの中で、「里瀬がいないと生きらんねえな、俺」とつぶやいた日もあったくせに。

 本当に同一人物なのだろうか。あの甘い日々の恋人と、この電話の向こうの相手は。


「北見くん」

 たっぷりと間をとり、トーンを落として呼びかけると、先方もいくらかバツが悪そうに、はい、と応えた。

「わたしは……わたし的にはまだ、恋人同士だと思っているのだけど、違いますか」

『……そうなの?』

 空とぼけたような返事だった。そのことは、むしろわたしを安堵させた。

「違うの?」

『”もういい、元気でね”って言わなかったっけ、おまえ』

 少し、呆れた。恋人じゃない相手を「おまえ」と呼ぶのか、この人は。

「言ったけど、別れようって意味じゃないよ? そのくらいわかってるんでしょう、北見くん頭いいんだから」

『じゃあどういう意味? キレ気味に言葉投げつけたのそっちじゃんか。そのまま何週間も連絡ねえし、ほかにどう解釈しろっつんだよ』

「……不要不急の存在って言われて、怒らない恋人がいると思う?」


 プライドを捨て、自分なりに言葉を選びながら言ったつもりだった。でも、あの嫌な沈黙はまた訪れた。

 北見くんの息遣いさえ、聞こえない。

 呼吸を止めてるの? 本気でそうたずねようとしたとき、

『――じゃあさ』

 いくらか平静を取り戻した声で、彼が言った。

『少し、距離置いてみようよ。ってか物理的な距離はとっくに空いてるけどさ』

 スッと血が冷えたような気がした。

「……距離?」

『うん。俺もおまえもいったんクールダウンした方がいいと思う。初心を取り戻すためにさ』

「……初心を取り戻す気、あるの?」

『あるよ』

 ようやく、少しだけ甘さの含まれる声になった。ただそれだけで、胸がじわっと熱くなる。

『あるにきまってんだろ。今たぶん、コロナでおかしくなってんだよ、みんな。終息したらもう一回会って、ちゃんと話そう』

「……」


 何それ、よくわかんないよ。結局わたしのことまだ好きなの、どうなの?

 そう言いたかったけど、言えなかった。

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