page3:思いがけない朝に

 目が覚めて最初に思ったのは、恋人のことだった。

 ああ、北見くんに何を言ってしまったんだろうわたし。「もういいよ、元気でね」なんてまるで別れの言葉みたいじゃない。こんな終焉、望んでない。

 向こうからも、何か連絡――

 枕元に転がっていたスマホを引き寄せて、はっとした。


「〇〇さんが応援しました。」

「〇〇さんが応援しました。」

「〇〇さんがあなたの作品をフォローしました。」

「〇〇さんが応援しました。」

「〇〇さんが応援しました。」

「〇〇さんが応援しました。」

「〇〇さんがあなたの作品をフォローしました。」

「〇〇さんがあなたの作品をフォローしました。」

「〇〇さんが応援しました。」


 カクヨムの青いアイコンを冠した通知がびっしりとインターフェイスを覆い尽くしていた。

 そう、そうだった。わたし小説を書き始めたんだった。『不要不急の恋人』。

 それにしても、ああ、予想もしなかった。いきなりこんなに反応をもらえるなんて。それがこんなに嬉しいものだなんて。

 わたしと彼の物語、ちゃんと誰かに届いているんだ。高揚が全身を包んだ。


 うっとりと画面に見入りながらスクロールしていると、少し違った種類の通知を見つけた。


「つれたゃさんがあなたの作品に★をつけました。」

「つれたゃさんがあなたの作品におすすめレビューを書きました。」


 スマホを見つめたままがばりと跳ね起きた。

 カクヨムにおける★の重要性なら知っている。雨月に頼まれてこのアカウントを開設し★を3つ投じた小説は、翌日のランキングが一気に跳ね上がっていた。

 雨月にはしつこいくらい感謝されたし、作者本人もよほど嬉しかったらしく「近況ノート」に御礼が書きこまれていたのをよく覚えている。


 タイトル『不要不急の恋人』の下にある「★3」は、たしか昨夜は「★0」だった。この数字が増えてゆくことは、ダイレクトに書き手の自信につながることだろう。作品の人気を端的に可視化したステイタスとも言えるだろう。

 なんたる僥倖ぎょうこうか、★だけでなく文章も添えられている。「すき」というタイトルだ。指先までどきどきしながら通知をタップし、レビュー本文に目を走らせる。


「とてもとてもつづきがたのしみだし気になります

 このご時世どうなるかわかりませんからね

 気をつけなきゃいけないですよね

 うちの父親は東京に単身赴任をしていますが結婚記念日だからといって二週間ほど前に帰省してきました。こわいですね

 がんばってください!」


 わああああああ。

 届いてる! ちゃんと届いている、わたしの言葉が! 見知らぬ誰かに!

 暗記するほどそのレビューを読み返し、「帰省してきました」の言葉にようやく北見くんのことを思いだした。

 そうだ、やっぱり北見くんだって帰ってくればいいんだ。ちゃんと消毒して、誰にも会わずに車で。そうすれば感染を拡げることもないはずなんだから――保菌していないことが前提だけど。


 そこまで思考を巡らせて、彼のヒステリックな「話がループしてる!」が蘇り、わたしは苦笑しながらベッドから降りた。単調な、でもいつもより少しだけ彩りを得た一日が始まる。

 スマホを御守りのように食卓に置いて、シリアルに豆乳をかけた朝食をとり、雨月に電話をかける。北見くんのことはいったんペンディングだ。それより今は、わたしのアマチュア小説家デビューを祝してほしい。

 歴史おたくでアイドルおたくで鉄道おたくであと何だったか、とにかく多方面におたく体質を発揮する雨月は、普段はクールな顔をしてビジネス雑誌の編集などしている。さすがに今はリモートワーク中だ。


『誰ぞ~朝メシどきに電話などよこすやつは~』

 わざと恨めしそうな声で応じるのは、逆に機嫌のいい証拠だ。

「我ぞ我ぞ」

『里瀬殿でござるか~何用ぞ~こちとら進行が爆死しておるぞ~』

「まことにござるか」

『コロナ対応で原稿来ないしコロナのせいで印刷の締切遅いし書店は開かないし読者はそれどころじゃないしでもう、爆死でござるよ~もうこれ後半ぬり絵でいいんじゃね? 的な』

「ねえねえ、わたし小説書き始めたよ。カクヨムで」

 わたしが言うと、雨月は一瞬の間のあと、うそっ!? と素に戻って叫んだ。その反応に勢いを得て、わたしは噴水のようにアドレナリンを放出しながらひと息に報告した。北見くんとの不穏なやりとり。やけくそ気味に書き始めた私小説。そして読者からのリアクションの数々。


 雨月は黙って聞いていた。

 わたしの話がひと段落したところで、やけに重々しく言った。

『……里瀬さん、それってビギナーズ・ラックじゃないっすか?』



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