第7話 働き始め
「おはようございます、マスター」
「やあ、おはようユーリク。今朝はよく眠れたかい?」
「おかげさまでぐっすりでした」
「それはよかった、控室に制服が置いてあるから着替えて来なさい」
ありがとうございます、とマスターと軽いやり取りをして、僕は控室に用意されていた制服に着替える。
制服と言っても、白の半袖のシャツに幅にゆとりがあって動きやすそうな黒のパンツ。
その上から黒ベースの生地にに白く「Lu・Natura」と刺繍されたエプロンを被るだけの簡単なものであるが。
僕個人としてはシンプルなデザインの方が派手な衣装より好きなので、とても助かる。
着替えを終え、マスターの待つキッチンへと向かう。
「お待たせしましたマスター」
「おお、なかなか似合っているね? じゃあ早速仕事の説明を始めさせてもらうよ」
「お願いします!」
マスターの仕事の説明はとてもわかりやすく、今日はすぐに出来ることだけ教えてくれて、これからしなくてはいけないことはその都度、段階的に教えてくれるそうだ。
仕事の内容は基本的に昨日聞いていた内容と大して変わらず、最初はフロアでの接客がメインということだ。
メモ用紙でお客さんの注文を取り、それをキッチンで調理しているマスターに頼んで、出来上がった品をお客さんに運ぶ。
余裕があるようなら、代金の清算も任せてもらえるという。
一通りの説明を聞き終え、早速注文を取りに行きたいところだが今はまだ朝も早くお客さんの影も見えない。
マスターの話によると、お客さんが最も混み合うのは夕方らしい。
なんでも夕方には、仕事を終えた人たちが、こぞってここのご飯を食べにくるとか。
他の時間帯はというと、朝はほとんど来客がなく、お昼は少し人数が増えて家族連れやカップル、友達同士で遊びに来る人々がいらっしゃるという。
今はまだ朝の区分でお客様も見えないので最初にするのは、キッチンやホールの清掃だ。
マスターはいつも朝のキッチンとホールの清掃は欠かさないという。
いつもの落ち着いた喋り方や佇まいからは年齢を相当重ねていると思えるのに、毎朝欠かさずに清掃を続けるというのはすごい事だ。
用具入れからモップらしきものを取り出し、水で濡らして床に擦り付ける。
普段から掃除されているのかほとんど汚れが出ないところから、マスターの普段の行いの良さが目に見て取れる。
本当にホールは、全体を一周するだけで掃除が終わったので、次はキッチンだ。
キッチンもホール同様ですぐにモップがけが終わり、最初の仕事は簡単に終わってしまった。
「マスター、次は何をすればいいですか?」と聞くと、店の裏手にあるゴミ袋をゴミの回収場所まで運んでくれと言われたので、教えてもらった回収場所に向かう。
店と回収場所まではそれほど距離もなく、三回の往復でも15分程度で終える。
店に戻り、次することは何かないかと仕事を探していると、カランコロン、とドアが開いた合図であるベルの音がホールに鳴り響く。
「いらっしゃいませ! お一人様ですね。こちらへどうぞ」
マスターに教わった通りに決まり文句を言い、お客様を数あるテーブルの一つに案内する。
「ご注文が決まりましたら、お呼びください」
そうお客さんに告げて、僕はキッチンに向かいマスターに来客があったことを伝える。
ル・ナトゥラで働き始めて記念すべき第1回目のお客様は、鶏のようなトサカが特徴的で、紳士風の装いをした人だった。
布巾を持って店内の棚を拭いていると、「すみません、注文をお願いしたい」と先ほどのお客様から呼び出しがあったのでそれに応える。
最初の注文は僕とリノが昨日食べた、海老のクリームシチューとバジルのパンだった。
正式名称は、”バジル香るクリームシチューの海老添え”らしい。
料理の名前をメモに記し、キッチンで仕込みをしているマスターに伝える。
クリームシチューなどの煮込み料理は時間がかかるため毎朝早くに仕込みを始めているらしく、料理自体はそれほど時間もかからずに完成した。
トースターからバジルのいい匂いがするパンを取り出し皿によそる。
それを今度は僕がこぼさないよう、丁寧にお客さんの元へ運ぶ。
運んでいる料理から香る匂いが、僕の鼻腔を刺激して食欲をそそらせるが今は我慢だ。
サービスでレモン水を渡し、一人目のお客さんへの対応はほぼ完了した。
残りは代金の清算ぐらいで、追加で注文などがあれば対応するといった具合だ。
とくに問題もなく、一人目のお客様の対応が終わったところで、それと入れ替わるようにして二人目のお客様が店にやって来た。
一人目と同じように決まり文句を言って席に案内するという手順を繰り返す。
今度の注文はコーンポタージュのスープと、トマトのような野菜がメインで使われたサラダだった。
サラダに載せられた野菜たちのみずみずしさからは、新鮮さがこれでもかと伝わってくる。
あとで絶対食べよう、そう決心する。
三人、四人・・・、と店に来た客たちを同様の手順で捌いていく。
中には二人や家族でご飯を食べに来てくれている人たちもいた。
熊の耳をそれぞれ生やした家族が幸せそうに食事をしてくれている様子はとても感じるものがあった。
中でも熊の耳を生やした、少し茶色がかった髪が似合う天使のような女の子は、見ているだけで癒された。
もちろん、その家族だけでなく他にも料理を美味しそうに食べてくれているお客様は何人もいて、食べている様子を見ていると自分が作っているわけでもないのに嬉しくなってくる。
加えて、このカフェにはたくさんの種類の料理がメニューとしてあることに驚いた。
海老のクリームシチュー、コーンポタージュ、サラダをはじめとしてフレンチトーストなどのパン料理や肉汁あふれるデミグラスのハンバーグ、そしてニンニクやオリーブオイルの香るパスタなど様々だ。
一度に三人から五人ほどの注文を受けることもあってだいぶ手間取ることもあったが、少し慣れてきた。
これでまだピークじゃないんだから、夕方はもっと大変そうだな・・・。
ようやくお客様の人数にひと段落ついたところでカランコロン、とドアに備え付けてあるベルが鳴り、複数の人影が入ってくる。
「お、ユーリク発見。頑張ってる? その服装結構似合ってるね」
先頭にいたのはリノだった。
「やあリノ、いらっしゃい。着たばっかで少し気恥ずかしいけどね・・・。後ろの人たちはリノの友達?」
「うん、おなじところで食べたいから席まで案内よろしくね」
「かしこまりました。席へ案内させていただきます。」
わざとらしく振る舞ってリノたちを四人がけのテーブル席に案内する。
席まで案内してリノと一緒にいるメンバーを見ると、一人はこの時空では初めて見る長い黒髪が綺麗な少女と、どこか幼さが残るメガネをかけた気弱そうな少年、それにエルフのような長めの耳をもつ目鼻立ちが美しい男の子だった。
”たとえお客様が知り合いでも接客の方法は変えてはいけない”とマスターに教えてもらった通り「注文が決まったらお呼びください」そう告げて僕は他のお客様の元へ足を運ぶ。
リノのいつもの友達、だろうか。
少し気になるが今は仕事中だ。
あとで休憩があったら聞いてみよう。
それから一時間ほど働き、少し休憩をもらえることになった。
リノたちはさっきのテーブルでまだ話に花を咲かせていて、休憩になった僕がカウンターでホールを眺めていると、リノがこちらに気づいてこっちに来い、と手招きをしているのでそちらに加わることにした。
僕は四人が腰をかけている側面の席からちょうど90度顔を向けた位置に座った。
いわゆるお誕生日席というやつである。
「とりあえず前半お疲れさま、ユーリク」
「ありがとうリノ、えっとこの人たちはリノの友達?」
ねぎらいの言葉に軽く感謝しつつ、今一番気になっていたことを聞いてみる。
「そうだよ、紹介するね。まず私の隣に座ってる子がユノ」
リノに名前を言われた黒髪の少女は、僕に向かって会釈してきたので僕もそれに倣って会釈を返す。
前髪が長く、さらに俯いているせいでどんな顔をしているのかはよくわからないが、ユノもリノと似てルックスが整っているように思える。
リノと少し雰囲気も似ている気がする。
双子・・・、なのだろうか。
「それから私の目の前に座ってる気弱そうな眼鏡の子がグリム」
グリムと呼ばれた男の子は「誰が気弱だ!」と反発するが、すぐに僕の方を向いて「よろしく」と言ってくれたので、先ほどと同じように相手に合わせて「よろしく」と返す。
狐のような少し先端が尖った耳が生えていて、丸い眼鏡が特徴的だ。
「最後にグリムの横で偉そうに腕を組んでるのがオリバー。珍しいことにエルフなんだよ!」
紹介を受けたオリバーという名のエルフは態度のわりに少し細く、鋭い目つきでこちらを見てくる。
ジー、とこちらを睨み付けるように見てくる。
どうしたのかと思い「あの、どうしました。顔に何かついてたりしますか?」と聞くと、腕を偉そうに組むエルフは「・・・フン」と鼻を鳴らす。
あ、ちょっと苦手なタイプかもしれない。
それでも初対面の相手に先入観だけで態度を決めてはいけないと思い、「よろしく」と言いながらオリバーに握手を求めるが腕を解くことはなくまた鼻を鳴らす。
あ、これは本当に苦手なタイプだ。
とりあえずめんどくさいことにならないよう今後接触は控えよう、と心に決めて別の話題をふる。
「みんなはどんな集まりなんだ?」
「私たちはいわゆる”冒険者”と呼ばれる人たちっす。それで、私たちはチームを組んでるっす」
グリムが眼鏡のフレームを指先でクイッと上げながら教えてくれた。
「やっぱり冒険者なんてのがあるんだね。えっと、グリムたちはチームを組んで長いのか?」
「そうっすね、今年で3年になると思うっす。それで、えっとユーリク・・・さん」
ユーリクでいいよ、とグリムに返すと「それじゃユーリクさん」と続ける。
「ユーリクさんは冒険者じゃないんっすか? 見た感じ冒険者っぽそうな雰囲気っすけど」
「いやいや、僕は冒険者じゃないよ。それにここの冒険者が何をするのかも知らないからね」
「”ここ”の・・・? まあいいっす。冒険者は基本、ギルドに貼り出された掲示板から依頼を選んで達成して、報酬をもらう仕事っす」
薬の材料集めとか、魔獣の討伐とか依頼の種類は色々あるっす、とグリムは丁寧に教えてくれる。
さっきうっかりと意味深な物言いをしてしまったが、いい感じに勘違いしてくれたようなのでよしとしよう。
「こんな細くてひ弱そうな奴に冒険者なんてできるわけないだろ。家に閉じこもっていた方がいい」
グリムにありがとう、と伝えると横からオリバーが口を挟んでくる。
内心お前だって細いじゃんか、と少しカチンと来たが、口に出すとめんどくさそうな展開が簡単に想像できたのでここは堪える。
「ちょっとオリバー、なんでそういうこと言うの? ユーリクは森の外から来たんだからそれなりに色々できるはずだよ」
「あ、ああ。そうか・・・、すまない」
リノに注意されて、先ほどの怖そうな雰囲気から一転。
萎縮してリノに謝る。
なぜ僕ではなくリノに謝るのだろうか。
うん、なぜリノに謝るのだろうか。
疑問でしょうがないのであとで問い詰めることにしよう。
「えっと・・・、その、オリバーがごめん、なさい・・・」
僕が笑顔でいると、ユノと呼ばれた少女が話しかけてくれる。
初対面だから警戒されているのかおどおどした様子が見て取れる。
「ありがとう、でも君が謝ることじゃないから大丈夫だよ。心配してくれてありがとう。えっと・・・ユノ?」
警戒を解いてもらおうと笑顔でそう言うと、ユノは「ひあ!?」という言葉とも言えない声と共に慌てて顔を俯かせ、テーブルの端に置いてあったメニューで顔を隠してしまった。
「ユーリク、 そろそろ戻って手伝いなさい」
ユノの反応に困惑していると、キッチンにいるマスターから声がかかる。
まだまだ話していたいが、これ以上話しているのはマスターにかなり迷惑をかけてしまうので戻らなくてはいけないだろう。
また今度、とリノたち一行に伝え僕はまた仕事に戻る。
よくよく考えてみると、僕が休憩していた間マスターは一人で注文から料理を出して清算までやっていたことになるのでかなり驚いた。
僕が来るまではもともと一人だったのだから、それが当たり前と言われればそうなのかもしれないが、働き始めの僕からすればかなりすごい事だ。
そして迎えた夕方のピーク。
話に聞いていた以上の人数が店に押し寄せて来た。
それはもう、昼過ぎの五人ほどのお客様の対応でさえヒーヒー言っていた自分が情けないほどに。
押し寄せた冒険者の波は、主に狩りをしている方の冒険者らしく、とにかく肉をメインに扱った料理が多く注文された。
それでもマスターの経験からくる手腕のおかげか肉料理の下準備はすでに大量に終わらされていて、とくに注文が滞ることもなかった。
むしろマスターが料理を出すスピードより僕が料理をテーブルに運ぶ方が遅かったのではないかと想えるほどだ。
ピークを終え、最後に食器などを洗って明日の準備を整えて今日の仕事の全てを終える。
控室で制服からいつもの服装に着替え、マスターにお疲れさまでしたと伝えて与えられた自室に足を運ぶ。
今日が働いて初日で不慣れだから、ということもあるだろうが本当に大変な一日だった。
それでも今日一日でたくさんのことを学び、知った。
カフェで提供しているメニュー、ここでやっていかなくてはならないこと、冒険者が存在していること、リノたちの他に話していけそうな人たちがいること。
合う合わないはあるかもしれないが、これからは忙しくて楽しい事が多そうだ。
そんな予感を感じながら僕は階段を上った先にある自室に戻り、疲れ果てた体をベッドに埋もれさせる。
明日もいい事があるといいな、そんなことを思いながら。
するとすぐさま睡魔がやってきて、僕の意識を底へと引きずっていくのだった。
——————————-
朝、目を覚ました。
またしても知らない天井を見た。
マスターの部屋を新しく借りたのだから当然か。
今はどれくらいの時刻だろうか。
とにかく時間を確認して、マスターの手伝いを始めなくてはと思い、時計を見る。
「っ!?」
時計の針が指す時刻は午前の10時。
本来開店は朝の9時で、準備開始が7時30分だとマスターから聞いていたのでかなりやばいレベルでの寝坊だ。
初日からあれだけ動いたとは言え、すみませんではすまされないだろう。
どうしたものか、と考えるがすぐさま違和感を感じる。
村の外が静かすぎる。
そもそも、下の階から物音一つさえしない。
今は午前10時。
もう店はとっくに開店しているはずで、マスターが料理を作る音やお客様がドアを開く音が一切しないというのもおかしい。
マスターのあの仕事ぶりからしてまさかマスターまでもが寝坊ということはあり得ないだろう。
とにかく下に行って確認しよう、と思って服装を整えて自室の扉を出る。
階段は控室に続いていて、そこから一つドアをくぐるとキッチンとホールに出られる構造になっている。
僕は音を立てすぎないよう小走りで階段を下って控室に出る。
ここまで来ても話し声はおろか調理器具を扱う音もしない。
不安で高鳴る鼓動を抑えながら控室のドアをくぐる。
「え・・・?」
誰もいなかった。
ホールはまだお客様が来ていないだけなのかもしれないが、キッチンにあるはずのマスターの姿さえも無い。
まさか今日は休業日なのではと考えるが、そんな話はそもそもマスターから聞かされていない。
それ以前に店の外が静かすぎる。
村の様子を目で確認するために入り口のドアに手をかけそっと開く。
カランコロン、というベルの音が鳴って外の景色が目に映る。
「なんだ、これは・・・?」
店を出た先は、純白よりも濃い、白の霧で満たされていた。
旅の果てに僕は崩壊を嘆く。 @Mira0423
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