第七章 凸凹コンビ
今日、悟郎は史郎と共に、東郷建設本社に来ている。紗希から依頼されたことを、史郎に告げると、「我らのマドンナの頼みなら」と引き受けてくれたのだ。今日の訪問の目的は、渋谷専務に面談して会社経営に関する意見を聴取すると共に、信頼に値する人物か見極めるためであった。守旧派のボスとか、裏で暴力団に繋がっているとか芳しからぬ評判の人物だが、月に一度、今も観音像にお参りするなど、律儀なところもある人物である。なるべく先入観を持たずに会おうと心に決めてやってきたのだった。
東郷建設本社の役員応接フロアは、二十五階にあった。エレベーターを出るとそこに秘書と思われる女性が立っていて、悟郎と史郎に向かい恭しくお辞儀をした。
「お待ちしておりました。ご案内します。どうぞこちらへ」
三十代前後と思われるその女性は、オフィスには不似合いなピンヒールを履いており、タイトスカートには深いスリットが入っていた。長い廊下の左右に応接室がいくつもあるが、そこを通り過ぎ、最奥の応接室の前に至ると、その応接室のドアを開けて二人を招じ入れた。
「こちらにお掛けになってお待ちください」
秘書は嫣然と笑って、二人に告げると、扉を丁寧に閉めて部屋を出て行った。
「おい、今の女、あれが高木奈美恵じゃないか?」
秘書が部屋を出ると、史郎は悟郎に小声で話しかけた。
「うん、そうらしい。東郷社長の元愛人。妙に色っぽいな」
悟郎と史郎は、紗希から高木奈美恵の情報を得ていた。奈美恵は東郷尚彦との別れ話に逆上して、自分の手首を切るなどの騒ぎを起こしたが、退社することは頑として拒んだと言う。尚彦は、そんな奈美恵を遠ざけるために、都内の支店に異動させたが、尚彦が亡くなると、どういう手段を講じたか知らないが、本社秘書室に戻り、今は渋谷専務付きの秘書をしていると聞いていたのだった。
別の若い秘書が、飲み物を持ってきて間もなく、渋谷が応接室に姿を現した。
「やあ、お待たせしました」
七十三歳らしいが、恰幅が良く、赤ら顔で厳つい風貌である。悟郎と史郎は名刺を出し初対面の挨拶をすると、渋谷は、如才ない調子で、にこやかな笑顔で応えた。
「社長夫人から用向きは聞いています。まっ、言ってみれば次期後継者に相応しい人物か見極める面接といこうことですな」
率直な渋谷の物言いに、悟郎は思わず苦笑する。
「有体に言えばそういうことです。そういうことなら、無駄な前置きは抜きにして、単刀直入にお伺いします」
「それは、わしも望むところだ。なんでも聞いてくれ」
先ほどから、史郎は、ニコリともしないで、じっと渋谷の顔を見つめていたが、身を乗り出すと、おもむろに質問を開始した。〈さすが弁護士だ〉と悟郎は内心感心する。
史郎が最初に質問したのは、経営方針に関することであったが、渋谷は従来の持論である建設業の本業である土木、建設分野を今後も堅実に展開して行くと主張した。次に、桐野常務が推進するリゾート開発や高級レジデンス分譲など事業の多角化について問うと、渋谷は様々な根拠を挙げて、明確に反対の立場を表明した。史郎は、その他に、投資・財務戦略や海外戦略など会社経営に関する専門的なことを聞いて質問を終えた。
「最後に私から質問があります。次期社長は、清廉潔白な人物でなければなりません。あなたは、反社会勢力と関係があるという情報を耳にしています。今もそれは続いているのでしょうか?」
史郎の質問が終わるのを待って悟郎が訊ねる。
「根も葉もない噂だと言いたいところだが、かっては、そうした時期が確かにあったよ。ゼネコンというビジネスは、綺麗事だけでは済まないんだ。公共工事を巡る許可、認可。それに地上げ、談合などその筋を頼らねばならぬことが色々ある。誰かが、そういう汚れ役を引受けなければならんのだよ」
「今は反社会勢力との繋がりは無いのですね?」
「今は無い。それより清廉潔白という点なら桐野の方が問題と思うが」
「と、言いますと?」
「桐野と社長夫人の不倫だよ。しかし、わしの口から言ったのでは、君たちは信用しないだろう。よく知っている者をここに寄こすから、直接聞いたらいい。わしは所用があるのでこれで失礼するが、また何か聞きたいことがあれば何時でも応じるよ」
そう言い置いて渋谷は出て行った。
「渋谷専務からここに来るように言われて参りました」
しばらくして、応接室にやってきたのは、高木奈美恵であった。意外な人物がきたので悟郎は内心驚く。奈美恵は、史郎に勧められてソファーに座る。
「桐野常務と社長夫人の不倫についてお聞きになりたいとか」
足を揃えて、やや斜めに座った奈美恵が微笑みかける。そんな奈美恵に、思わず見とれてしまう悟郎だったが、史郎に促されて質問する。
「えぇと、その不倫ですが、本当のところはどうなんでしょう?」
「桐野常務と社長夫人が不倫関係にあることは、社内の誰もが知る周知の事実です。あの二人は、ニューヨーク勤務時代から昵懇の仲でした。二人が社外で親し気に会っていることも、何回か目撃されています。軽井沢から二人仲良く同じ車で帰ってきたのは、あなたもご存じですよね」
「えぇまぁ」
「秘書仲間の話しでは、東郷社長は不倫について、当初は、単なる噂話と聞き流していたけど、軽井沢から桐野常務と一緒に帰ってきたのを知って、噂話が本当だと信じるようになったと言うことです。相当悩んでいたらしいから、それが自殺の原因に違いありません」
「軽井沢から帰る時の事故には、私も立ち会ったけど、二人はそんな関係には見えなかったな。それになにより、紗希さん本人が、不倫関係ではないと、明言しています」
「こう言っては失礼ですが、騙されてはいけません。紗希さんの父親は犯罪者です。その血が流れている紗希さんは、表面はお上品で綺麗だけど、悪賢い冷酷な女です。私から略奪するように、東郷を奪ったのはあの女です」
奈美恵は、紗希が如何に悪い女であるか、自分が如何にみじめな思いをしたか、思いのたけをすべて語りつくして、応接室を出て行った。
悟郎と史郎は蛇の毒気に当てられた蛙のように、げんなりしていたが、紗希の父親が犯罪者という言葉が気になる。史郎も思いは一緒だったようで「紗希さんの父親のこと、調べてみるよ」と言い立ち上がった。
「あぁ、よろしく頼む。それにしても俺たち、紗希さんのこと何も知らなかったんだな」
「まったくだ。さて、それでは退散するか」
悟郎と史郎は、奈美恵とは別の若い秘書に見送られて、東郷建設本社を後にした。
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