第三章 日本橋警察署

 日本橋警察署は、中央区に四つある警察署の一つで、日本橋西部、京橋地区北部を管轄しており、大小の証券会社のビルが立ち並ぶ兜町にある。悟郎は、そんな街並みを眺めながら憮然とした表情で、日本橋警察署の玄関前に立っていた。紗希に教えられた我妻という刑事に会うべく、こうして出かけてきたのだが、門前払いを食らい、警察署を出てきたところだったのだ。


「おい、悟郎じゃないか、こんなところで何をしている?」

声をかけてきたのは、大学時代の友人、向井史郎であった。今は弁護士をしている。

「これは奇遇だな、いや実は、ある事件について調べているんだ。担当刑事に面会を申し入れたんだが、門前払いされた」

ぼーっと立っていたのを見られて恥ずかしい。苦笑いして誤魔化した。

「ふーん、事件の調査をね。ヘッドハンターの仕事辞めて、探偵業に鞍替えしたのか?」

相変わらず史郎は、仕立てのよい高級そうなスーツを着ている。中々お洒落なのだ。背は低いが、がっちりとした体格で、格闘家のような面構えをしている。背が高く、どちらかというと甘いマスクの悟郎とは大違いで、学生時代は、シロー、ゴローの凸凹コンビと揶揄された仲であった。

「いや、そうじゃない。これには事情があって、そうだ、お前にも、少しは関連したことなんだ、覚えているか? 大学時代の同期で、我らのマドンナ」

「うん!?マドンナ・・・それは、一時お前が夢中になっていたあの工藤紗希のことか?」

史郎は急に真剣な表情になり聞き返す。

「あぁ、そういうお前も相当熱を上げていたぞ」

「抜け駆け禁止だなんて互いに牽制し合っているうちに、交際申込みのチャンスを失ってしまったんだ」

当時を思い出すかのように史郎は目を細める。

「それもあるかもしれないが、沙希さんには、なんか近寄りがたい雰囲気があったからなぁ」

悟郎は、紗希の学生時代の若々しい顔を脳裏に思い描く。

「俺たちも意気地がなかった」

「まぁな、それはともかく、この仕事は、その紗希さんの依頼なんだ」

「なんか興味をそそられるな、もっと詳しい話を聞かせろよ。どこかで一緒に飯を食おう」

「俺は構わんが、この辺りに、どこかゆっくり話せる所はあるか?」

「この辺りのことなら、俺にまかせておけ」

史郎は自慢げに言うと先に立って歩きだした。


                ◇◆◇


 史郎に案内されたレストランは証券会館の七階にあるフレンチレストランであった。クラシックのBGMが静かに流れている。ここなら落ち着いて話ができそうだ。ランチの注文を済ませると、史朗は早速話しかけた。

「あの工藤紗希の依頼って、一体どういうことなんだ?」

「まぁ、そう急かすなよ、順序立てて話すから」

悟郎は事の次第を、ランチをほおばりながら話して聞かせた。


「とまぁ、そういう次第で担当刑事に面談を申し入れたというわけだ」

一部始終を語り終えて、悟郎はコップの水を飲んだ。

「なるほど、そういうことか。うむ、それなら、あそこの警察署長と懇意にしているから協力してあげてもいいぞ」

史郎が食後のコーヒーを啜りながら、偉そうに言う。

「おぉ!そうなのか」

悟郎は思わず身を乗り出す。

「協力する前に、一つ確認しておきたいことがある」

「うん、なんだ」

悟郎は、身体を引いて身構えた。

「お前、紗希さんとは特別な仲・・・なんてことないよな?」

「そんなことあるわけないだろう。仕事上の付き合いだけだ」

「それならいいんだ。よし、善は急げ、署長に電話してみよう」


 史朗が席を外し、レストランの隅に行きスマホで電話をし、戻ってくる。

「OK,大丈夫だ。担当刑事と面談できるように段取りした」

「すまんな、ここのランチはおれが奢ろう」

「こんなチンケなランチで済まそうなんて、そうはいかんぞ」

「冗談だよ、いずれちゃんとした礼をするさ」

「その“いずれ”というのが曲者なんだが、まあいい。我らがマドンナのためだ」

「ついでに、お前の伝手で、この事件に関する情報を集めてくれないか」

「相変わらず厚かましい奴だな。まっ、乗りかかった船だ。調べてやるよ」

「そうこなくちゃ、史朗、悟郎コンビの復活だ」

二人は愉快そうに笑いあった。

 ランチを終えて史郎は、仕事の予定があるといって、そそくさと帰ってしまった。我妻刑事のアポは三時にとれたとのことである。悟郎は証券会館の一階にあるカフェで時間を潰し、時間を見計らって日本橋警察署に向かった。


               ◇◆◇


 応接室に案内された悟郎は、しばらくしてやって来た我妻に、名刺を差し出して挨拶する。

「初めまして、矢吹と申します。よろしくお願いいたします」

我妻は、受け取った名刺を、しげしげと眺める。

「ふーん、ヘッドハンターってか、映画や小説ではこの手の職業の男が登場するようだが、実在するとは思わなかったぜ」

年の頃は五十歳前後か、がっしりした体格、柔道を長年してきたようで、耳が潰れている。我妻は興味なさげに悟郎の名刺をテーブルに放り投げた。

「今時、そんなに珍しい職業じゃありません。もっともヘッドハンターと自称する者は、日本じゃまだ少ないかもしれませんが」

「だろうな、ま、そんなことはどうでもいい。ヘッドハンターなんて、刑事には無縁だからな。で、用件は?」

「今日伺ったのは、東郷尚彦の転落死に関することをお伺いするためです。私は、社長夫人の東郷紗希さんから依頼されてやってきました」

無礼な態度に、悟郎は内心ムッとしつつ、丁重に答える。

「社長夫人? えーと確か、紗希さんといったかな。エライ別嬪さんの奥さんだったな」

「えぇ、その紗希さんに頼まれました。自殺に至った経緯や、その理由を、詳細に教えて欲しいのです」

「俺がわざわざ成城の東郷邸に出向いて、報告しただけでは足りないと言うんだな」

どうもやりにくい相手だと悟郎は心中ボヤきつつ、フォローする。

「いやいや、わざわざお越しいただいたことは、紗希さんも感謝しています。でもその当時は、ご主人が無くなって間もない頃で、落ち着いてお話を聞く余裕が無かったのです。しかし時間が経過すると、何故、自殺したのか、その理由をもっと知りたくなって、私に相談したという訳です」

「ふーむ、だがな、捜査情報を、赤の他人に話すことは出来ないな」

「でも、私は死亡した社長の妻のエージェントとして伺っているので、赤の他人と違います」

「あの美人の未亡人が直接聞きに来れば、話さないでもないが、ヘッドハンターなどという訳のわからん者には話すことはできんよ」

我妻は、意地悪そうに、“にっと”笑う。愚弄された悟郎は“むっと”する。

「わかりました。改めて紗希さんと一緒に参ります」

紗希に事情を話して、一緒に来るしかないと思い、立ち上がりドアに向かった。すると。我妻は、少し慌てた様子で「まぁ、待てよ」と呼び止め、悟郎に近づき耳もとで囁いた。

「短気は損気、話は最後まで聞くものだ。俺はな、署内では話せないと言っているんだ」

悟郎は怪訝な顔をして聞き返す。

「じゃあ、どこでなら話を聞けるんですか?」

「銀座に知り合いのクラブがあってな、これがそこのクラブのママの名刺なんだが、ここなら落ち着いて話せるだろうよ」

我妻はポケットから小ぶりの名刺を出して、悟郎に渡した。

「わかりました。それでは、今夜、七時頃にそのクラブということで如何ですか」

悟郎は無理して笑顔を作っているが、内心は苦々しい思いで一杯である。

「そりゃ急だな」

我妻は手帳を出して、予定を確認すると「ま、いいだろう。それじゃ今夜」と言って応接室を出て行った。銀座のクラブともなれば、かなりの持ち出しになるだろう。紗希に頼んで、経費請求させて貰わなければなどと考えながら、悟郎は日本橋警察署を後にした。


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