第19話 セイ国のさらなる追撃
暫くの間、トモエたちは何もすることがなかった。いや、何も、というのは少し語弊がある。トモエたちはキソンたちと情報を交わし合い、彼らの議場に席を与えられていた。トモエたちがセイ国とその周辺の情報を欲しているように、彼らもまた北方の人間やエルフの森の情報に興味を持ち、耳を傾けながら書記官に記録させていた。書記官の犬人族が紙を使っていたことから、魔族と同じように彼らにも製紙の技術があることが分かった。
犬人族が好意的であるのは、トモエたちにとって喜ばしいことである。これから先、北方の人間たちとの国交を通じることになれば、ともに魔族と戦う良き同盟相手となるであろう。
だが、犬人族の置かれた状況は厳しい。南東部の勢力圏を牛人族に奪われ、さらにセイ国にも南部の領土を
とある犬人族の役人が、トモエたちに向かっていささか興奮気味に憤激していた。
「セイ国の奴ら、俺らから奪った土地をどうしてると思う? ネギ畑に変えやがったんだ! 嫌がらせだ! 奴らの性根はねじ曲がっている!」
犬にとってネギ類は有毒植物であるが、どうやら犬人族にとってもそれは同じらしい。そこまで理解した上での行いだとすれば、セイ国という国の陰険さは筆舌に尽くしがたいものと言えるだろう。
政治や外交といったことに、トモエは今一頭が回らない。
――また、
囲魏救趙、つまり攻めてくる敵軍の相手をするのではなく、自ら敵の首都を攻撃するということだ。以前にエン国でやったのと同じ手段である。このやり方で、トモエはエン国王カイを討ち取った。一直線に大将首を取る。分かりやすい方策である。
こうしてあれこれと考えながら、トモエは犬人族たちの世話になっていた。
***
「セイ国軍がこのヤユウに向けて進軍中! 兵力三万!」
「セイ国艦隊八十隻! レオ川を下ってこちらへ向かっております!」
トモエたち一行がヤユウに到着してから数日後、その急報は突然ヤユウにもたらされた。
セイ国軍は、山地を越えて攻めてくる陸軍と、川を下って南から回り込んでくる艦隊という二つの軍から成っていた。このレオ川という川はヤユウとその他いくつかの城郭都市の間を隔てるように流れており、艦隊で川を押さえることで都市同士を分断してしまおうという意図があるのだろう。さらに、艦隊が存在することで陸軍の兵站線維持にも役に立つ。
キソンはすぐさま使者を送り、南側にある犬人族の首都に水軍の出動を要請した。犬人族は脚の速さに優れる。セイ国艦隊に川を押さえられて連絡が断たれる前に渡河を済ませ、南側の都市へ駆け込むことは可能であろう。
さて、次は迫りくる陸軍をどうするかである。
敏捷性に優れる犬人族は野戦が得意だ。だが流石に都市防衛軍クラスの戦力で三万のセイ国軍と張り合うのは不可能である。中央からの後詰め軍の到着を待つより他はない。
「ヤユウと山地の間にある森に伏兵を潜ませ、そこで時間を稼ぐというのはどうでしょう」
一人の若い役人が、軍議でそう発言した。確かに、犬人族の特性からいって、遮蔽物が多く見通しの悪い場所での埋伏と奇襲はお誂えむきの戦術であろう。
この意見は議論の末に採択され、四千の兵が武器を携えて城門より出撃することとなった。
「あ、あたしも行きます!」
軍議への参加を許されていたトモエは、すかさず手を挙げた。今自分に出来ることはこれだ、と、彼女の直感が判断したのである。
斯くして、トモエを含む犬人族四千の部隊が出撃し、南西方向の森林に身を隠した。
ヤユウから出撃した犬人族兵は、息を殺してじっと藪の中に身を潜めた。彼らが携えているのは全て短兵器であり、刀身の短いダガーなどが主である。敏捷性を活かした機動戦を得意とする犬人族は、軽量で取り回しのよい武器を好む傾向がある。
(きっつい……虫とか飛んでても顔動かせないのはつらい……)
伏兵というのは、トモエにとって存外に苦しいものであった。動かずにじっと敵を待つ、ということの難しさは想像以上のものだ。
そうして敵を待ち受けていると、敵の来る南西の方角に、影がちらつき始めた。敵影だ!
だが、犬人族兵の一人が、異変に気づいたようであった。
「……何か……焦げ臭い匂いがしないか?」
犬がそうであるように、犬人族もまたよく鼻が利く。実際、この時人間であるトモエの鼻は焦げ臭さを捉えられなかった。
異変の正体、それは程なくして、埋伏していた犬人族兵に迫ってきた。
「火だ! 奴ら火を放ったぞ!」
炎が、南東方向から燃え広がっていた。じっと身を隠していた犬人族兵たちは、たまらず立ち上がった。
その犬人族兵の一人が、矢に貫かれた。矢は南東方向から次々と放たれ、犬人族兵をもの言わぬ骸へと変えていく。
トモエは目を凝らして南東方向を睨む。その方向からは、何かの赤い獣が重い足取りでのしのしと歩いてきていた。
「あれは……牛?」
それは、まるで福島県の赤べこによく似た雰囲気の、赤い体色の牛であった。その牛が三頭がかりで車を引いている。
赤べこの口が開き、赤い光を放つ。次の瞬間、その口から猛烈な火炎が噴き出された。
「我がセイ国軍の火炎放射戦車、その強さを思い知るがいい!」
セイ国軍の下級武官が、犬人族兵に向かって吠えた。
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