第2話 不可視の奇襲

 山を越えるのは、流石に体力的にきついものがあった。トモエでさえ疲労を感じたのだから、他の三人、特に体力面に自信のないエイセイの苦労が如何程いかほどかは察して然るべきである。


 だが、本当に危険なのはここからだ。


「ここから、エン州の領内だよ。気を引き締めなきゃ」


 地図を持ちながらそう言ったのはシフである。エン国という国がなくなりエン州という名のシン国の直轄地になったという情報は、密偵によってヤタハン砦にもたらされていた。

 エン国は東西に長く、南東に進路を取った場合割合とすぐに海岸に行き当たる。問題は、どう船を用意するか、だ。持参するわけにはいかないので、当然敵からの奪取が前提となる。

 トモエたち一行は川沿いの道を歩いていった。水の流れる音に加えて、可愛らしい鳥のさえずりが聞こえてくる。

 その時突然、シフが足を止めた。


光障壁バリア!」


 シフが四人の正面に光障壁バリアを張った。そこに、何処からともなくナイフが飛んできた。当然、これは光障壁バリアにぶつかって弾かれた。


「……五人いるよ! トモエお姉さん!」


 シフが叫んだ。こういった場合、彼女の察知能力の高さは本当に頼りになる。敵の数が分かっているのといないのとでは大きい。

 トモエは拳を構え、リコウは弓に矢を番えた。エイセイも、銅製の杖――威斗を構えている。魔族軍から分捕ったものだ。


「何処にいるんだ? 全然姿が見えないぞ」


 リコウは正面を凝視しているが、何も見えない。


「あたしも……」

「ボクもだ」


 ナイフは真正面から飛んできた。だから目の前のそう遠くない距離にいるはずなのに、それらしき気配は全くない。ナイフ投げという攻撃手段から、敵は獣ではなく人型のものであろう。刃物を投げつけてきたことから、敵には明確な殺害の意図があると見える。となれば、こちらも相応の構えをしなければならない。

 

「闇の魔術、暗黒雷電ダークサンダーボルト!」


 正面の地面に向かって、黒い稲妻が降り注ぐ。敵の居場所が分からないなら、範囲攻撃で網を張ろうという算段である。


「……だめ! 敵が左右に散った! 右に二人左に三人!」


 シフが叫ぶ。暗黒雷電ダークサンダーボルトは命中しなかったようだ。

 左右から、ナイフが投げられた。またしてもシフは光障壁バリアを張ってそれを叩き落とす。しかしこのままではじり貧だ。


 その時、咄嗟にトモエが動き出した。その足は右の方へ向かっている。


「……捕まえた!」


 トモエの腕が、何かを締め上げた。虚空に色を塗るかのように、トモエに掴まった何かが姿を現す。


「ニャ! コラ! 放すのだ!」


 ネコ耳のついた小柄な少年が、トモエの腕の中でじたばたしていた。勿論、そのような抵抗をされた所で、トモエが放すはずもない。

 いくら姿を消しても、トモエから逃れることはできない。かつてヤタハン砦の戦いでエン国軍の武官ソダイが怪光を放ってトモエの視覚を奪ったが、それでも気配を察知したトモエに一撃をもらい戦死した。


「この子の命が惜しければ姿を現しなさい!」

「そうだ! トモエさんならこんなヤツ一発で締め落としちゃうぞ!」


 トモエに対して、リコウが便乗して叫んだ。なるべく相手が怯えるように、いつもより声にドスを利かせている。

 人質作戦。何とも嫌らしい作戦である。かつてトモエたちもガクキ軍との戦いで使われた。敵にされて嫌であったことを積極的に自分たちの戦術に組み込む辺り、トモエたちもずる賢いものである。


「あっ……逃げてく!」


 シフは他の四人の逃走を察知した。敵はトモエに掴まった仲間を見捨てたということになる。


「お前……お仲間逃げちゃったぞ……」


 リコウはネコ耳少年に向かって憐れみの声をかけた。エイセイとシフも、もう敵意ではなく憐憫れんびんの情をこのネコ耳に向けている。


「あら……この子可愛い……」


 腕から少年を解放したトモエは、正面からその顔を見て舌なめずりをした。エイセイとそう変わらない背格好のこの少年は、つぶらで愛らしい目をしている。おかっぱ頭をしているせいか、どことなく中性的な雰囲気もある。不安や恐怖を感じているからなのか、頭部から生えるネコ耳は小刻みにぴくぴくと震えていた。


「……どうせ、見捨てられるのは分かってたのだ……早く煮るなり焼くなり……」

「え? 食べていいの?」

「ちょっ……トモエさん!」


 爛々らんらんと目を輝かせるトモエを、リコウが制止した。トモエと向かい合っているネコ耳は、もう諦めきったかのように脱力している。


「こいつ……魔族じゃない。取り敢えず何か情報が引き出せるかも」


 生きるか死ぬかの戦場を生き延びたリコウは、こういった場合に目ざとさを発揮する。今の自分たちに必要なのは情報であり、その手掛かりとなり得そうなものは何でも利用すべきであるという貪欲さを彼はしっかりと持っている。そして、今自分たちの前にいるネコ耳は、思いがけず手元に転がってきた、利用価値のありそうな存在なのだ。


 その夜、トモエたちはこのネコ耳少年を伴い野営した。また、例の敵が仕掛けてくるかも知れないことを思うと、油断は禁物であった。

 この五人以外に、人気ひとけはなかった。今の所ではあるが、敵の追い撃ちはないようである。トモエたちにとっては有難かったが、このネコ耳少年が本格的に見捨てられたということを思うと、憐れみを禁じ得なかった。ネコ耳少年はずっと俯きっぱなしであった。

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