第2部 セイ国編 アニマル・キングダム

前編 犬人族編

第1話 トモエ、外交使節に任命される

 冬の間、魔族軍は攻めてこなかった。ヤタハン砦に、再び平穏が戻ってきた。


「エン国とセイ国の沖合の島々にいる海豹妖精セルキーなる者たち。どうにか彼らと手を組めないだろうか」


 今、砦の内部で議題に上がっているのは、外交に関してであった。


 ヤタハン砦に残されていた資料と密偵による調査、それからエルフたちの伝承から、セルキーなる者たちの存在を人間たちは知ることとなった。彼らはエルフやドワーフと同じ妖精族であるが、森を住処すみかとするエルフやドワーフと違い、彼らは海洋種族なのだという。海辺や島などに住み、漁や交易を行っているとのことだ。

 その昔、彼らは海沿いや島だけではなく、大河川沿いの地域などにも幅広く住んでいた。しかし魔族の勢力が伸長するにあたって、彼らは東へ東へと追われていき、河川沿いからは姿を消した。そして海沿いの地域に住んでいた者たちもエン国やセイ国、ソ国の攻撃を受けて住処を追われ、東の海に浮かぶ島々へと逃れていった。彼らは島を拠点に魔族国家に対して抵抗運動を行い、度々魔族たちの手を煩わせているのだということだ。


「できれば正式に外交使節を送り込んで友好関係を構築したいが……それには敵の領土内を通らないといけないのがな……」


 会議の卓上で、フツリョウは顎を撫でながら唸った。彼らと直接使節を交わすには、エン国改めエン州の領内を通らなければならない。それはとても危険なことである。

 人間とエルフたちだけで魔族国家と戦うのは、はっきり言って不可能である。自分たちだけでなく、オーゲン地方に存在する反魔族勢力を結集し、協同して事に当たらねばならない。そうしない限り、いずれは魔族たちに各個撃破されて滅びるであろう。そう砦の人間とエルフたちは結論づけた。

 何にせよ、対峙している敵は強大なのだ。それに反抗する者たちもまとまらなければ勝ち目はない。


「それじゃあ、あたし行きます!」


 女の声が、会議室に響いた。手を挙げたのは、お馴染みのあの人、トモエである。こんな危険な役目に敢えて飛び込もうとする者など、彼女をおいて他にない。

 会議の参加者は、もう驚かなかった。寧ろ、「このような大役を任せられるのは彼女しかいない」と参加者たちの顔には書いてある。


「そしたらリコウ、また頼め……」

「行きます! オレも! トモエさんもいいですよね?」


 フツリョウが頼む前に、リコウ自らが手を挙げ、トモエについて行くことを願い出た。


「あとはエイセイくんとシフちゃんもいるといいけど……」

「それじゃあ、オレ呼んできますよ」


 そう言って、リコウは会議室を退出した。トモエとしては、やはり苦楽を共にしたあの二人がいると心強い。それに、戦闘における役割分担といった観点でも、トモエ、リコウ、エイセイ、シフの四人は非常にバランスがよい。切り込み隊長のトモエ、弓と剣で中近距離の敵と戦うリコウ、遠距離攻撃や範囲攻撃を投射するエイセイ、サポート役のシフという四人構成は、非常によくできている。


 やがて、リコウに伴われて、エイセイとシフが入室した。


「……リコウの頼みなら、引き受けるよ」

「シフもお姉さんと一緒に行きたい!」


 二人の承諾は取れた。トモエたち四人の派遣は、満場一致で決定された。




 冬の間、雪深い北方の地は豪雪によって交通がほぼ遮断される。だから、山脈を越えて魔族軍が再び攻めてくることはほぼないといってよい。その代わり、トモエの出発も雪解けまで待たねばならないのであった。

 空調設備のお陰で、砦での生活は快適であった。それこそ、寒さに震えながら過ごす生活が懐かしく思えてくるほどである。

 冬の間にやることは多くなかった。武術の訓練や、死人が出ない程度に雪中行軍の訓練をしたりする他は、皆のんびりと過ごしていた。


***


 白銀の大地に、土の色がわずかながら戻り始めた。空気のやわらかな暖かさが、春の訪れを感じさせる。


「それじゃあ、行ってきまーす」

「行ってらっしゃい。良い報告を待ってるよ」


 トモエは砦の方に手を振った。それに合わせて、リコウ、シフ、エイセイも手を振る。フツリョウ初め砦の人々も、トモエたち四人に手を振り返した。

 トモエの背負う荷物の中には、フツリョウの印が押してある書簡が入っている。これを同盟相手の元へ届けるのが彼女の使命だ。

 まだ雪の残る地面を踏みしめながら、トモエ、リコウ、エイセイ、シフの四人は南東へ進路を取った。


 遠くに見える山脈の頂は、まるで白い頭巾をかぶっているかのように冠雪していた。山脈の東の方は比較的なだらかではあるが、それでも道中、山を越えなければならないと思うと辛いものがある。

 辺りは静まり返っていた。すっかり薄くなった雪をさくさく踏みしめる音だけが響いている。大地そのものが、まるで眠っているかのようであった。


 トモエたちの新しい旅は、始まったばかりだ。

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