第8話 撤退

 先の戦いが、この「ヤタハン砦の戦い」における最後の大規模戦闘となった。というのも、この戦闘の後、四か国連合軍は兵を引き上げて帰国してしまったからである。


 魔族国家は、ほぼ常に戦争中である。ソ国は南へ、セイ国は東へ、ギ国は北へ、そしてシン国は南北へ、断続的に兵を差し向け戦っている。だから、ヤタハン砦一つにこだわっているような余裕はあまりないのだ。

 それでも連合軍を組んで砦を攻めたのは、国王を討ち取ったトモエ一味を恐れ、早急に排除しようとしたからに他ならない。国王を討てるような人間を野放しにするのは危険だ、と、大魔皇帝と国王たちは判断したのである。


 シン国以外の三か国にとって、この出兵には何のうま味もなかった。砦を攻め落としたとて砦の周辺がエン州、つまりシン国の直轄地になるだけだ。得るもののない戦いに付き合わされているだけなのである。唯一得られるものといえば、トモエという脅威を排除できるということぐらいだ。

 大魔皇帝とその弟たちは血縁という強固な結びつきで繋がっている。シン国の建国以前から苦楽をともにしてきた兄弟たちはいつでも手を取り合い、助け合う。だから、領土的利益のない出兵であっても手を貸すのである。だがその臣下の文武百官たちはそうではない。他国のために自国の兵を失いたくはないのだ。

 チンシン、ドウシ、ホウケンの三将軍は口をそろえて強く訴えた。


「この戦に益なし。く撤兵すべし」


 シン国軍総大将にして全軍の総帥であるキュウは悩んだ。やや優柔不断さがある所に、この将軍の将としての弱さがある。

 シン国軍は、それほど大きな被害を受けてはいない。セイ国軍、ソ国軍、ギ国軍と違ってトモエに直接襲われてはいないからだ。それでも、他国軍の影響で、シン国軍の士気も目に見えて下がっている。恐怖という感情は伝染しやすいものだ。


 ――このまま戦い続けても、ただ兵を損耗するだけではないか。


 キュウの心中にも、そのような疑念が生まれた。彼の当初の予定では、雪が降り出す前に速攻で砦を落とすつもりであった。だが今の状況では、陥落させるより前に本格的に冬が到来しそうである。何より、これ以上兵の損耗を嫌うのは、どの将軍も共通であった。

 けれどもやはり、国王の仇を討たずに兵を退いたとあっては、本国でどのように咎めを受けるかは知れたものではない。キュウの場合は特にそうだ。この連合軍の発起人はシン国大魔皇帝本人である。連合を主催しているシン国の将である彼が何の手柄もなしに帰ってきたとあっては面目が立たない。


 そうして一睡もできぬまま、決断を先延ばしにし、明朝を迎えた。目をこすっていたキュウの元に届いた急報が、彼の目を覚まさせた。


「ギ国軍、ソ国軍、セイ国軍、撤退しました!」

「何だと!?」


 仰天であった。跳ねるように椅子から腰を上げたキュウは、巣車そうしゃに乗り込んだ。巣車とはやぐらのついた車であり、高い所から周囲を見渡すことができる。

 急報の通り、白と赤、青の旗がぞろぞろと南へ移動していた。何の断りもなく、三将軍は兵を退いたのである。

 キュウは歯ぎしりした。こうなれば意地だ。シン国軍だけでもやってやる。そうキュウはいきり立った。キュウの手元のシン国軍だけでも十万の大軍を擁しているのだ。おまけに床弩や衝車、投石機などの攻城兵器も豊富に用意している。やれないことはない。

 けれども、悪いことに、空が曇り始め、やがて雪がちらつき始めた。それはみるみるうちに豪雪と化し、大地を白く染め上げていった。


「天気まで、私の邪魔立てをするのか」


 キュウは憤慨したが、どうにもならない。北地の雪はすぐに積もる。雪が積もる中で山の頂の砦を攻めるのは困難である。数をたのみに圧し潰せなくもないが、やはりトモエの存在が恐ろしい。

 魔術で天候に干渉する、という選択肢もある。しかし、天候を操る魔術というのは高度な術であり、魔力の消費量も激しい。乾いた風を吹かせるゲキシンの魔術や大雨を降らせるガクジョウの魔術など、少しの間天気に干渉する魔術はあるが、それらは持続的な発動が不可能である。


「こうなれば、速攻で砦を落とす!」


 キュウは攻撃を命じた。指令を受けたシン国軍は、すぐさま山を登り始めた。しかし、もう雪は積もりに積もっていて、傀儡兵の足を鈍らせた。それでも、時間をかけて、徐々に徐々に城壁へと近づいてくる。


「来たな! 火魔術をお見舞いしてやる!」


 それを見たエルフたちが、木杖を構えた。そして、四方の傀儡兵に向かって火球が放たれる。


 目的は、傀儡兵の撃破ではない。その足元の雪を融かすこと――


 溶けて水になった雪。それを吸った地面がぬかるみ、傀儡兵の足をすくった。泥に足を取られながら、ずるずると、傀儡兵たちは重力に引かれて斜面を滑ってゆく。

 

 そこに、エルフたちの火球攻撃が降ってきた。傀儡兵や武官たちは、ほぼ無抵抗のまま、火球の餌食となって燃えていった。この日の攻撃は、あまりにも呆気なく、失敗に終わったのである。


「……致し方あるまい」


 キュウは断腸の思いで、撤兵を決意した。シン国軍は包囲を解き、南のエン州へ向かって撤退していった。


「てっ……敵が退いていくぞ!」

「やった……俺たち勝ったんだ!」

「万歳! 万歳!」


 南に兵を退いた敵軍を見て、城兵は大いに歓喜した。人間もエルフも、砦を守る者たちの中で喜びの渦に巻かれない者は一人としてなかった。




諸国連合軍侵略編  完

第2部へと続く

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