第39話 ゴブリン大戦争

「私はソンタツと言います。食糧庫の帳簿付けを任されているしがない小役人ですが……」

 船の上で、魔族の男はうやうやしく名乗った。人の好さそうな感じだ。この人を不意打ちしてしまおうとしたことに対して、トモエは罪悪感を禁じ得なかった。

 この男を利用できないか、と考えた四人は、怪しまれない程度に諸情報を聞き出そうとした。しかし、この男は地方の小役人故に対した情報を持っておらず、国都についても明るくはなかった。

 やがて、一行は川の対岸に到着した。

「さて、着きましたよ」

「あたしたちはこれからダイトに向かうのですが、どうですか御一緒しませんか?」

「私もそちらに向かう所です。私の方こそ、御一緒させてください」

 これまでのように道なき道を行くよりは、街道を通っていった方が近道であり肉体的にも辛くない。この男が帯同してくれているお陰で、ようやく整備された道路を歩くことができる。


 トモエ一行にソンタツを加えた五人が街道の上を歩き始めて暫くした頃である。向こう側から、足音とともに何かの集団が近づいてくるのが見えた。

「お、おお、あれは我がエン国の軍だ!」

 ソンタツは脇に下がると、興奮気味に叫んだ。近づいてきているのは、黄色い旗を風になびかせているエン国軍であった。凄い数だ。少し見ただけでは正確な数は分からないが、万単位の本格的な軍であることに間違いはない。

 トモエたちはいらぬ騒動を起こさないように、ソンタツと同じように脇に寄った。

「エン国万歳! 賊どもに死を!」

 ソンタツは顔面を真っ赤にしながら、声を振り絞って叫んでいる。物凄い興奮様だ。こうして見ると、やはりこの男も魔族であり、エン国の役人なのだな、と、トモエは感じたのであった。

 街道は、たちまちエン国の傀儡兵で埋め尽くされた。街道を押さえる形でこの場所に布陣し、川の向こうから来るゴブリンの群れを邀撃する構えを取るのだろう。歩兵と戦車、そして例の投石機が、川岸に並べられていく。

 トモエたちは、一台の戦車とすれ違った。歩兵たちに囲まれているその戦車の左側に乗り込む魔族は、他の武官とは明らかに様子が違っていた。見目麗しく気品ある少年のような容姿をしており、軍服には複数の勲章が貼りつけられている。あれが、この軍の総大将であろうか……

「あのお方は大司馬のガクキ様だ! ガクキ様万歳!」

「ガクキ様?」

 聞き慣れない名前に、トモエは思わず聞き返した。

「ええ、御存じないのですか? 我が国の英雄ですよ。人間たちとの戦いでは数多くの英雄譚を打ち立てたお方じゃありませんか。私のような田舎者でも存じております」

 あの総大将と思しき男は、どうやら凄い大物であるらしいことが分かった。ゴブリンとの戦いに、エン国は切り札を切ったということだろう。これは、トモエたちにとって有用な情報であった。名将と大軍が国都を離れているのは絶好の好機である。

「ゴブリンどもはガクキ様が鎮圧してくれるでしょう。戦闘に巻き込まれないように、国都へ急いだ方が良さそうですね」

「そうですね。私も向こうにいる友人を頼るつもりですので」

 一行はそそくさとその場を離れた。国都ダイトの城壁が、その視線の向こうにうっすらと見えている。


 上将軍の印を授けられたガクキの率いる軍は、編成が済み次第、すぐさま北西へ向かった。ゴブリンの大群による大反乱を鎮めるためである。

 ガクキは、軍を三つに分けた。その内の中央の軍四万を自らが率いて、街道の上を進んだ。こういった道路の整備は、戦時に速やかに地方へ軍を派遣できるようにするためでもあるのだ。

 そうして彼の軍はカムレン川の畔まで兵を進め、そこに布陣した。川を前にして、渡河してくる敵を邀撃する構えを取ったのである。

「……ガクジョウ、例の地点へは到着したかい?」

「はっ。只今」

 ガクキは通信石を用いて、副将ガクジョウと声でやりとりをしていた。別動隊を率いて川の上流に至ったこのガクジョウなる副将であるが、容姿が非常にガクキと似ており、異なるのはガクキが男であるのに対してガクジョウは女であることと、前髪に二ヶ所、白いメッシュが入っていることぐらいである。ガクキとガクジョウは実際に血縁者同士であり、六十歳離れた兄妹である。魔族は長命であるが故に繁殖能力が鈍く、兄弟姉妹の歳の差は数十年単位、あるいはそれ以上であることが普通である。

 新しい報告で、ゴブリンの兵力に対しての情報が更新されていた。ゴブリンは八十万どころか百万はくだらず、武器も殆どは棍棒であるが中にはエン国軍の官給品である剣や槍、弩などの武器を持つ者もいるという。だが、そのことを聞いても、ガクキは顔色を変えなかった。

「こっちは歩兵十二万戦車二千、向こうさんは百万……面白いね」

 ガクキは不適な笑みを浮かべた。まるで、勝利はすでに自らの掌中にあるかのように。


 ガクキ軍が布陣を終えた少し後で、ゾートに率いられたゴブリンたちも川の対岸に到着した。付近の船を集めたが流石に足りず、周辺の木を切って作ったいかだを水に浮かべ始めた。ゴブリンは知能が低いと言われるが、筏を作れる程度には器用なようである。

「出てきたか……エン国軍!」

 ゴブリンを従える反逆者ゾートは、かつて自分が属していた軍を目の前にして、怨毒えんどくを含んだ眼差しでそれを見つめていた。

 ゾートの大学時代の専門は、使い魔を使役する魔術であった。彼はこの絶滅したゴブリンの骨を使い、魔獣の肉や魔石を素材として、この現代に絶滅種ゴブリンを復活させたのだ。ゴブリンを復活させた彼であるが、一個体の戦闘能力は低く、数が揃わなければ使い物にならないことを理解していた。そのことだけでなく、知能が低いので複雑な作戦を取ることはできないが、同時に洗脳にかかりやすく使役する側としては比較的制御しやすくはある種族であることも把握していた。

 次に彼が考えたのは、ゴブリンの複製である。エン国軍と戦いその国都を陥落させるためには、圧倒的な数を用意しなければならない。最初に、五体のゴブリンを復活させ、狩りをさせた。狩った獲物の死体にその土地に眠ったゴブリンの霊魂が乗り移り、ゴブリンとして受肉した。最初に復活したゴブリンが、ゴブリンの霊を呼び寄せたのである。死霊魔術の研究者であった彼が編み出した、軍団作成の方策であった。

 この方法で、ゴブリンの群れはみるみるうちに膨れ上がった。そうして今、総勢百万のゴブリンが、ゾートの下に集まったのである。

「エン国王カイ! 目に物見せてくれるわ!」

 ゾートの怒りは、はっきり言って逆恨みでしかない。しかし、この男は、その恨みを原動力にここまで来たのだ。もう後には引けないし、引くつもりもない。王国転覆という一世一代の大勝負に、この男は挑んだのである。

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