第18話 エルフの森の歓待

 エルフの森へと向かうエン国の中央軍が、国都ダイトを出立した。エン国の発した兵は歩兵十万、戦車二千台という大軍である。このような大軍勢を動員するのは滅多にない。前回、エン国は歩兵四万、戦車二千台の軍隊でエルフの森に侵入したが、森に踏み入った部隊は待ち構えていたドワーフ族の襲撃を受け、軍の半分以上を失い退却を余儀なくされた。

 今回歩兵を倍以上の数に増員しておきながら戦車の台数を変えていないのは、森林地帯において小回りの利かない戦車は機動力を削がれてしまうためだ。とはいえ戦車の威圧効果は十分頼りになるので、エン国側は変わらず二千台という数の戦車を動員した。また、エン国の軍制度が戦車を主体とするものから歩兵を主体とするものへと変化したということもある。エン国は北方の人間たちに度々軍を向けてきたが、北方は地形が山がちで戦車を通せる場所が少ない。そのため軍の主力は歩兵戦力へと移っていったのである。


「しっかしまぁ、これじゃあエルフの方が可哀想になっちゃうわ」


 指揮官用の戦車の車台で、頭巾を被り、手に羽扇を持つ一人の少女がくつろいでいた。十代後半ぐらいに見えるこの少女こそ、エン国のエルフの森侵攻軍の総大将であるスウエンである。

 魔族の国はいずれも官僚制度の整った国であるが、官吏の中には男性のみではなく女性の魔族も存在している。このスウエンは御史大夫ぎょしたいふという、国王の政治の補佐および助言を行う高位の官職にまで昇進したのだ。そうしてこの度、上将軍の印を国王より授けられ、歩兵十万戦車二千の大軍の総大将となったのである。

 エルフの森侵攻の主力は、森に接しているエン国とギ国の軍である。ギ国軍もエン国と同等の戦力を東に進ませている途中である。この両国の軍はそれぞれ別々に軍事行動をとることとなっているが、連絡を取り合い、互いに作戦内容を知らせ合っている。両軍のは、ともすればお互いを巻き込み犠牲を出しかねないので、それを避けるためにも連絡は重要なのだ。


「気を抜くもんじゃあねぇですぜ、あねさん」

「姐さんという呼び方はやめて。今は上将軍なんだから」


 スウエンに諫められたのは、右隣りの戦車に乗り込んでいる副将のゲキシンである。スウエンは元セイ国人であり、ゲキシンは元ギ国人なのだが、二人はセイ国の国都リンシにあるリンシ大学で共に学んでいたことのある旧知の仲である。


「気を抜いているわけじゃない。寧ろゲキシン、貴方の方こそ、分かってるんでしょうね? この作戦は貴方にかかっているのだから」

大丈夫でぇじょうぶですぜ。そのくらいは分かってらぁよ」


 言い終わると、ゲキシンは手に持っている威斗を撫でた。ゲキシンの威斗には、ソダイのものと違って先端部分に青い魔鉱石がまるで装飾のように取り付けられている。このゲキシンなる男も見た目は十代の後半といった所であり、魔族としての力は強いことが外見から分かる。


 エン国軍は、整地された軍用道路の上を真っ直ぐ西に進んでいた。エン国もギ国も、エルフの森を切り開くために、戦車の通れる軍用道路を引いている。しかし、森に入って道路を引こうとすれば、必ず森に住む者たちの妨害を受ける。故に、道路の途切れる所が、そのままエルフと魔族国家の境界線になっているのである。

 十万の歩兵と、二千台の戦車。それが行進する様は壮観であった。行く先行く先でその土地の魔族たちは西進する軍を称え、「エン国万歳!」を叫ぶのである。そのことが、総大将のスウエンにとっても、副将のゲキシンにとっても心地よかった。自分たちはこれから偉業を成し遂げるのだという高揚感が、二人の心中にむくむくと育っていった。




「サメ肉も美味しかったけど、こっちも美味しい!」

「ほんと! ほっぺが落ちそう~」


 トモエとリコウの二人は、エルフの村で御馳走を並べられ歓待を受けていた。先程までエルフに不信の目を向けていたリコウも食には敵わなかったようで、すっかり料理に舌鼓を打っている。


「どうぞ、こちらの虹茸のスープも川蟹のボイルも好きなだけ食べてください」

「お姉さんはキミのことも食べたいよ~」

「トモエさん、相手が困っていますよ」


 給仕に来たエルフの少年に絡みつこうとするトモエを、リコウが制止した。


「はぁ~食った食った……ごちそうさまでした」

「いや~凄かったねエルフ料理……」


 二人の御馳走になった料理は、まさしくこの世のものとは思えぬ美味であった。満腹になった二人は、天に召されているかのような幸福の表情を浮かべている。トモエは以前、リコウを救った後でロブ村の人々に御馳走を振舞われた。しかしこのエルフの歓待はそれを凌駕するものであった。エルフたちが美男美女揃いでトモエの目を楽しませてくれたことも彼女をより幸福にさせていた。


「さて、よろしいか」


 ここで、二人をエルフの村に案内した美少年、ヒョウヨウが二人の方へ歩いてきた。その面持ちは何処か神妙である。だが、幸せのあまり蕩け切った表情の二人は、ヒョウヨウの顔に張り詰めたものがあることを感じ取れないでいた。


「はぁ~い、何でしょう、ヒョウヨウくん。よかったらお姉さんの膝にどうぞ」

「ちょっとトモエさん、気が緩みすぎなんじゃないですか?」

「そういうリコウくんだってぇ」

「ええと……本題に入ってよろしいか」


 二人のだらけぶりに、ヒョウヨウ少年は困惑を露わにしている。


「うむ……仕方ない。光の魔術、耳煩わす叫びノイズィ・スクリーム!」

「うわぁぁぁっ! 何だこれは!」

「ちょっ……耳が割れる!」


 ヒョウヨウの魔術「耳煩わす叫びノイズィ・スクリーム」が発動した。任意の対象にけたたましい金切り声の幻聴を聞かせるというものである。幻聴であるから、当然その声は魔術をかけられた者――この場合はトモエとリコウの二人である――にしか聞こえない。

 因みに、エルフの間では陰の魔術、陽の魔術はそれぞれ闇の魔術、光の魔術と呼ばれている。それ以外の木、火、土、金、水についての呼び方は魔族と同じである。


「どうだ、目が覚めたか」

「流石にあれは勘弁してくれないか……」

「耳が割れそうだった……」 

「やれやれ……では本題に入らせていただこう。エイセイ、シフ、こちらに」


 ヒョウヨウが呼びかけると、後ろから少年と少女が現れた。どちらもヒョウヨウと同じ水色の髪をしていて、容姿はヒョウヨウよりも少しばかり幼く見える。


「我らが大賢者さまは千里眼の力によってエン国、ギ国の大軍が迫っていることを確認し、全エルフの村に通達なされた。その数はエン国、ギ国ともにおよそ十万。我らはこれより、エン国の本陣を強襲し、この軍を退けるべく行動を開始する」


 神妙な面持ちで語るヒョウヨウに対して、トモエもリコウも、緊張感をようやく取り戻した。十万、という単語が、二人の心をより張り詰めさせた。そのような数の軍隊は、流石に見たことがない。そんな数を相手にするのは絶望的ではないのか……トモエとリコウは同じようなことを考えては恐れを抱いた。


「ワタシはシフ、よろしくお願いします」

「……ボクはエイセイ。よろしく」


 何処か明朗さを感じさせる少女――シフと違い、少年の方――エイセイは、警戒心が強いのか、シフの後ろに体の半分を隠しながら、じっと二人の人間の方を見つめている。その眼差しはとても友好的なものとは思えない。


「トモエ、リコウ両名にはここにいるエイセイとシフを護衛してほしいのだ。この二人の天才魔術師はこの度の勝敗の鍵を握っていると言っていい。彼らを無事に予定戦場まで送り届けられなければ、我々は敗北し、この森は灰燼に帰す」


 ヒョウヨウの言葉には、差し迫ったような力強さがある。


「ヒョウヨウ兄さん、ボク、頑張るから……」

「シフもいっぱい頑張るよ! だから皆……生きてまた会おうね」


 精一杯の威勢をこめてそう言い放った二人のエルフの頭を、ヒョウヨウは優しく撫でて、ひしと抱きしめた。その所作にこもった慈愛を感じ取れぬ程、トモエもリコウも鈍感ではない。

 これから先の戦いは、きっと苦しいものとなる。招かれた二人の人間は、そう予感したのであった。

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