第15話 陸を這うサメ

 木々の間から、朝日が差してきた。

 トモエとリコウが返り討ちにした獣の死体が、はっきりと見えるようになった。予想の通り、それは灰色の毛を持つオオカミのような獣であった。剥き出しになった犬歯が、何とも恐ろしい。こんなもので噛みつかれれば、間違いなく命はないであろう。こんなものが森を彷徨しているかと思うと心胆が冷やされる。

 とにかく、この場は危険だ。取り敢えず一晩は切り抜けたが、なるべく明るい内に抜け出すに限る。二人は森の中を歩き始めた。特にあてがあるわけではない。手がかりはこれから探し出すつもりである。

 長いこと歩いた。途中の道に、何か棒のような物が落ちているのをトモエは発見した。


「これ……槍?」


 トモエが手に取ってみたそれは。傀儡兵が使っているのと同じような見た目の槍であった。槍の傍には、コケに覆われているが、人の形をした何かが転がっている。


「傀儡兵……何でこんな所に?」


 声を発したのはリコウである。槍の隣に転がっている、コケに覆われた傀儡兵。よく見てみると、頭と胴体は離れており、頭部と思しきものには目の役割をしている赤い石がはめ込まれている。そこの部分だけは、コケが生えていない。

 トモエは槍をネコババすると、歩き出した。行く先では、同じように斃仆へいふした傀儡兵やその武器がいくつも発見された。この場所では、以前、魔族の軍隊による戦いがあったのだろう。胴体を撫で斬りにされたもの、首を飛ばされたもの、四肢をもぎ取られたもの……破壊のされ方は様々であり、その数の多さからしても、激しい戦闘があったのだろうことは容易に想像がつく。


 二人は木々と傀儡兵の中を、なおも歩き続けた。すると視界の向こう側に、木のない場所があるのを発見できた。


「……行ってみよう」

「そうですね」


 これまで木々ばかりの変わり映えのしなかった風景に、変化が見られたのだ。飛びつかないわけにはいかない。ふたりの足はそちらへ向いた。

 二人の目の前には大きな河川が横たわっていた。木のない場所の正体はこれだったのである。その対岸の方へ目を向けると、遠方に山々が連なっているのが見える。


「船とかあったり……しないか……」


 トモエは視線を振ってみたが、船らしきものは見つからない。川幅はとても広く、その水深も決して浅いものはないであろう。とても人の足では渡れまい。古代中国の思想家・政治家である孔子は弟子の一人である子路しろに「先生であれば、軍を率いる際にどのような人物と一緒に行動しますか」と問われた際、「暴れ虎に素手で立ち向かい、黄河を徒歩で渡ろうとするかのような無謀な者とは、行動をともにしないであろう」と答えたのであるが、今トモエとリコウの目の前にある川も、まさしく黄河の如き大河川であり、これを船もなしに渡るなどは無謀な試みそのものであり、とても不可能であるように思われた。

 しかたがないので、二人は川沿いの道を歩くことに決めた。時々、水面で魚が跳ねたり、水鳥が白い翼を輝かせながら飛んでいるのが見られる。

 それから暫くして、異変は起こった。突然、ざわざわと水が音を立て始めたのだ。二人が驚いて振り向くと、物凄い数の魚の大群が、まるで何かから逃げるかのように泳いでいる。

 二人の視線が引きつけられたのは、魚の方ではなかった。その後方から魚の群れを恐ろしい速度で追いかけている何かであった。見たところ、かなり図体の大きな生き物である。 


「あれは……サメ!?」


 水面を切り裂くように飛び出している背びれから、トモエはその正体がサメのようなものなのではと考えた。それが当たらずとも遠からずであったことは、この後判明することとなる。

 水面から大きな水しぶきを上げて、そいつが飛び上がった。大きな口を開けて魚を頬張るそれは、サメの頭そのものである。サメは水しぶきをあげながら、再び水中に没していった。


「やっぱりサメだった……」

「サメって……何ですか?」

「ああ……リコウくん知らないのね……」


 ロブ村も、それより以前にリコウが暮らしていた村も、海から大分離れた所にある。彼はサメどころか、海を見たこともなかったのであった。


「でも川にサメっているものなのかな……海の生き物だと思ってたけど……」


 トモエはそう疑問を抱いたが、実はトモエの元いた世界においても、サメは海でだけ泳いでいるものではない。一部のサメは淡水域に侵入して行動する例も確認されており、「人食いザメ」と呼ばれるサメの一種であるオオメジロザメは大河川を三千キロメートル以上遡上したり、湖で発見されることもあるという。だからこの世界においても、そういった類のサメが存在するのであろう。


「でっかいサメの泳いでる川かぁ……これじゃあ渡れないな……」


 ぼそりとトモエが呟く。どの道、渡河は諦めるべきであろう。そう判断して歩き始めた。

 ところが、その二人の方に向かって、背びれが近づいてきていた。歩き始めたトモエは、それに気づいて足を止めた。


「こっちに来てる……!」


 トモエもリコウも後退して、川岸から離れた。川に近づかなければ、引きずり込まれて食われることもない。陸にいる二人を食おうとしているなどということは考え難いが、急に突進してこられると、どうしても反射的にそう思ってしまうものである。

 二人は暫く、こちらに向かってくる背びれを眺めていた。それは速度を緩めることなく、一直線に二人の方へ突き進んでくる。

 そして、そいつは、川岸から陸へ、


「なっ……!」

「えっ…………!?」


 その大きなサメは、まるでワニのような四つ足で、水から這って出てきたのだ。流石に脚の生えたサメなどというのはトモエ自身聞いたことも見たこともない。


「トモエさん、これは……」

「うん、戦うしかないよね」


 ワニのように四つ足で走ってくるこのサメに対して、二人は臨戦態勢に入った。トモエは拾った槍を構え、リコウは弓を取って矢を番えた。

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