第14話 人さらい妖精の導きのままに……

 扉の向こうには、見渡す限りの森林が広がっていた。


「え……どういうことだよこれ!」


 トモエの後ろからそれを見たリコウも、殆ど卒倒しそうとでもいうような顔をしていた。


「もしかしてこれ……人さらい妖精なんじゃあ……」

「人さらい妖精?」


 リコウの口に出した単語が、トモエは気になった。


「昔聞いた伝説なんですけど、何でも突然人が消えちゃうことがあって、その原因は悪戯好きな妖精にさらわれちゃったからなんだっていう話です。消えた人は唐突に周りの風景がガラッと変わったみたいになって、歩いても歩いても同じ風景ばかりで妖精が悪戯に飽きて元の世界に帰してくれるまでそこから出られなくなっちゃうんだと……」

「それって……所謂神隠しみたいな?」


 トモエが思い出したのはそれである。トモエもとい智恵が暮らしていた日本という国には、神に誘拐されてしまったかのように人が突然消えて、大分年月が経った後に発見される神隠しなる伝承があった。その話に近いような気もする。


「……こういう場合って、どうしたらいいんだろう」


 拳で砕けるものは何でも砕いてきたトモエであるが、流石にこういった状況は拳一つで打開できるものではない。戸惑わずにはいられなかった。

 トモエは一旦、後ろに下がろうとした。扉の向こうへ考えなしに飛び込むのは無謀であろうと思えたからだ。トモエは首を回し、背後に振り向こうとした。


「――っ!」


 振り向く前から、トモエはすでに異様さに気がついた。


 ――今自分が立っているのは、城壁の上ではない。


 水気を含んだ草の臭いが、鼻にまとわりついている。まるで、深い森の中に迷い込んだかのようだ。


「トモエさん……これって……」


 二人が立っていたのは、木々の生い茂る森の中であった。


 トモエは、暫くその場でじっとしていた。下手に動けば、却ってまずいような気がしたのである。リコウもまた同様に考えていて、周囲を見渡しつつ、その場から動こうとはしなかった。


「オレたち、やっぱり人さらい妖精に連れ去られちゃったんでしょうか……」

「うーん……どうなんだろう……魔族の攻撃を受けているって可能性も有り得るかも」


 例えば、魔族の中には幻覚を見せる魔術が使える者もいるかも知れない。人さらい妖精などという伝承よりは、余程有り得そうである。何しろこの二人はたった二人だけでエン国軍の築いた砦を陥落せしめたのであり、警戒されていると考えるのも無理からぬことである。もっともトモエもリコウも、エン国王カイの関心がヤタハン砦よりもエルフの森にあることを知らないのであるが。


「そうだとすると……砦の皆が危ない!」


 吠えたのはリコウであった。今、自分たち二人は、砦から切り離されているも同然である。万夫不当の圧倒的な戦力であるトモエと戦い慣れしており弓の名手でもあるリコウの二人を欠く砦は大きく戦力を減らしているといってよい。この状態でエン国の軍隊に包囲でもされたら、一日どころか数時間さえ持つかどうか疑わしい。


「助けに行かなきゃ!」

「でも……どうしましょう。トモエさん」

「と……取り敢えず、出口か何かがないか探してみよう」


 あまりにも、二人の側に情報が少なすぎる。こういう場合、じっとしているよりは、やはり脱出するための手がかりを探しに動き回った方がよい、とトモエは気づいたのであった。

 二人は木々の間を縫うように歩き出した。太陽はもうすぐ沈み切ってしまう頃合いで、西天には一筋の残光が空しい抵抗を続けている。これが消えてしまえば、もう真っ暗である。

 その残光が消え失せるのとほぼ時を同じくして、わおおん、という、何かの獣の咆哮のようなものが聞こえた。それを聞いたトモエの神経が研ぎ澄まされる。何処かに、夜行性の獣がいる。それも、二人のいる場所からそう遠くない場所に、複数匹がうろついていることを、トモエは把握した。彼女はただ腕っ節に優れるのみならず、こういった気配察知の能力にも秀でている。この能力のお陰で、彼女は目つぶし怪光を使うソダイを討ち取ることができたのだ。


「リコウくん、気をつけて。オオカミか何かがあたしたちを取り囲んでる」

「はい」


 リコウは弓ではなく、腰の剣を抜いて構えた。夜闇の下とあっては、矢の狙いはつけられない。それよりはまだ、襲ってきた所を剣で邀撃ようげきする方が勝算はある。この剣は魔族の傀儡兵が装備していたものであるので、信頼性は高い。

 トモエはじっと集中して、耳をすませた。微かにではあるが、獣の足音が聞こえる。そしてそれは、じわりじわりとこちらに近づいてきている。月明かり以外に光源のない状況でははっきりとしたシルエットは見えないが、恐らくオオカミのような獣であろうことは何となく察しがつく。


「――はっ!」


 トモエの裏拳が炸裂した。トモエの拳には、毛で覆われた筋肉質な体の感触が伝わってくる。やはりオオカミのような獣である、というトモエの推察は概ね正しいようだ。


 ――まずは一匹、仕留めた。


 この手応えなら、敵は一撃死したであろう。そうトモエは判断した。だが、獣はまだ周りにいる。どうやら群れを形成するタイプらしい。

 次は、二匹同時に急接近してきた。一匹はトモエへ、もう一匹はリコウの方に飛びかかってくる。トモエは同じように裏拳を叩き込んだが、リコウは反応が遅れた。


「ぐあっ! こいつ……!」


 間一髪、鎧の繋ぎ目に食いつかれるのは防ぐことができた。その獣は首元を狙ってきたのであるが、生憎首回りもかぶとが守っており、獣の牙を通さなかった。だが、強い力で噛みつかれていることで首が圧迫されており、それがリコウにとっては苦しい。


「クソっ……このっ!」


 リコウは剣を振るった。手応えは、ある。刃が獣の肉を裂く感触がリコウの手に伝わったのとほぼ同時に、ぼとり、と何かが地面に落下した音が聞こえた。首に噛みついているものは暫く放してくれなかったが、程なくしてそれも地面に落ちた。


「……ぷはっ! ……」


 喉を強く押さえつけていたものが外れて、滞っていた血の流れが元に戻ると同時に肺に空気が流れ込んできた。鎧がなければ、確実に死んでいた。魔族謹製の魔導鎧様様である。それと同時に、鎧を着たまま城壁の上に上がったちょっと前の自分に対しても、リコウは褒めの言葉を送りたくなった。

 やはり、この敵は危険だ。早く掃討しなくては……リコウは危機感を強めた。

 トモエの見立てでは、残る獣は三匹程である。獣は未だに周囲をゆったりとした足取りで回るのみで、二人に襲い掛かってくる気配を見せない。仲間を仕留められて怖気づいただろうか。そうトモエは考えたし、そう考えたかった。できればこのまま、獣には退散してほしいと思っている。夜闇の下である。無駄な戦闘は避けるに越したことはない。

 幸い、獣はトモエの願い通りにしてくれた。足音が、段々と遠ざかっていく。トモエの体に張り詰められた緊張の糸が、少しずつ緩んでいった。

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