第13話 砦の異変
エン国・国都ダイト
「ヤタハン砦が陥落!?」
通信石によって武官から急報を伝えられたエン国王カイは、素っ頓狂な声を上げた。
「そんな馬鹿な、何かの間違いじゃないの?」
「砦に向かった輜重部隊が砦から攻撃を受けたようです。ソダイ閣下の配下によるものではなく、相手は人間だったとのことで……」
そういえば、ソダイからの連絡は途絶えていた。エルフの森への侵攻の準備で頭がいっぱいで、そのことについて深く考えてはいなかったのだ。人間を攻めて魔鉱石の鉱山を確保することも確かに大事であるが、カイはエルフの森を開拓してエン国とギ国の通商を開くことの方が先決であると考えている節がある。
「どうせ占領したのは人間だろ? 奴らが維持できるはずもないって。いつでも奪還できるしエルフの森を焼いた後でも遅くないよ」
一時は驚いたカイであったが、すぐに興味を失ってしまったようだ。この危機感の欠如は魔族と人間双方の軍事力の差がもたらすものである。魔族の軍隊を以てすれば人間の守る砦一つ簡単に奪い返すことができる。そう信じて疑わないのはこの国王だけではないだろう。
「それよりも軍の編成はまだか」
「はっ、目下進行中にございます」
国都ダイトでは、エルフの森へ派遣する軍の編成が進行中である。そのため、国都の様子はにわかに慌ただしくなっていた。
さて、ヤタハン砦に話を戻そう。
トモエとリコウの二人は、何事もなく無事に村からの人々を迎えた。
「フツリョウおじさん!」
人々の顔触れを見たリコウが、喜色を含んだ声を上げた。
「おお、リコウ! この度はよくやてくれた。全くお前も大した男になったもんだ」
フツリョウ、齢三十一。この男はロブ村村長の従弟である。
リコウとその家族は元々、別の村で暮らしていた。だがその村はエン国の攻撃によって徹底的に破壊され、その時にリコウの父親は戦死してしまった。父親のいないリコウを、このフツリョウは何かと気にかけてくれたのである。父親を亡くしたリコウにとっての父親代わりのような人物であったが、夫婦の間に子のできなかったフツリョウにとっても、リコウは息子のようなものであったかも知れない。
「リュウキに頼まれてな、俺がこの砦の指揮を執ることになった。よろしく頼む」
リュウキというのはフツリョウの従兄、つまりロブ村の村長の名である。ヤタハン砦に集まったのはてんてんばらばらな出自を持つ者たちであるが、やはりその主導権はロブ村の者が握ることとなった。
「さて、これでよし……かな」
自分の洗濯物を干し終えると、トモエは途端に外の空気を吸いたくなった。魔族武官の兵舎として使われていたであろう一室を出た彼女は、その足で階段を昇り、城壁の上に出た。吹き寄せる風は爽涼で、とても心地が良い。暮れの時刻になり、西の空に紅の玉が沈み込もうとしている。
砦の生活は快適ではあるが、やはり何処か寂しさもある。砦にいるのはリコウを除けば青壮の男ばかりで、どうもむさ苦しい。村に戻ってまた可愛い男の子たちの髪の香を嗅ぎたい……そんな邪な願望が、トモエの心に巣食っている。
「うう……ショタパワーが不足してる……」
腹が減っているのとは違った飢えが、トモエを苛んでいた。
「あっ、トモエさん」
城壁の上には、先客がいた。
「リコウくんもここに来てたんだ」
「ええ、自然の風に当たりたくて……」
砦の内部は空調設備が整っている。昼間の内はこれに頼っていたのであるが、暑さが和らいでくると、やはり外の風の方が気持ちいい。それに、何となく魔族の発明品に頼るのは心情的によからぬものがある。もっともリコウの剣は魔族の傀儡兵から奪ったものであるし、村の人々も魔族の軍隊が置いていった武器は造りがいいからとそのまま使っていたりもするので今更である。
リコウはこんな時でもあの魔導鎧を着込んでいた。常在戦場、常に戦いに備えよ、ということで、この日、彼は殆ど鎧を着たまま過ごしていた。砦を落としてから最初の内は普段着でうろついていたのに、ここ二日程は寝る間を除けば殆ど鎧姿である。腰には帯剣し、左腕には盾を備え、背には矢筒を負っており、足元には愛用の弓が置いてある。敵が急襲してきても、これならすぐに戦えるであろう。
「それにしても村長……よく人を集められたよなぁ……って、思いません?」
「確かに。穏やかそうに見えて、結構口が上手いのかも」
人間たちは国を失い、村落共同体というより小さな単位の集団に細切れになってしまったが、それでも近隣の村同士での緩やかな連帯関係は存在している。村長同士での会合の席において、リュウキ村長は上手く他の村長たちを説得することに成功したのであろう。トモエは初めて村長に会った時、この人は穏やかなだけでなく
そもそも、村から男を出す、ということ自体、決して小さくない負担のはずだ。他の村はそこまで男手に余裕があるのだろうか。他の村がこの砦を維持するメリットがあるとすれば、前線が遠ざかることでエン国の軍隊に襲われる心配を減らせる、ということだろうか。
「まぁその辺のことはオレたちに知らされてませんし、考えた所で何が変わるわけでもないですけどね……」
二人の間を、清風が吹き抜けた。太陽はもう殆ど沈みかけて、夕闇が空を青黒く塗り潰し始めている。
トモエの髪を風が撫でた、まさにその時である。
「……?」
急に、空気が変わった。そうトモエは感じたのである。温度や湿度が急激に変化したわけではない。勿論日が沈みかけていることで外気温は下がっているであろうが、それとは違う変化が感じられた。
「リコウくん……何か変な感じしない? 上手く言えないけど……」
「トモエさんもですか? 実はオレもそう思ってた所でした」
どうやら、リコウの方も同じような違和感を感じていたようである。
「これ……もしかして……敵の攻撃?」
咄嗟にトモエが考えたのはそれであった。魔族は人間とは違い、魔術という不思議な力を扱うことができる。そしてその魔術について、人間が知り得る情報は決して多くはない。エン国が奪われた砦を取り戻しに軍隊を差し向けてきたという可能性を考えるのは妥当な線だ。しかし、今の所、トモエもリコウも実害を受けているわけではない。魔族の攻撃だとするならば、もう少し直接的な攻撃である方が自然であろう。
トモエは城壁の下を眺めてみたが、敵兵の姿は見当たらない。
「取り敢えず、砦の中に戻ろう」
「そうですね」
言いながら、トモエは中央の建物に通じる通路を通って、来た道を戻った。リコウも足元の弓を取り、その後ろをついていく。
トモエは扉に手をかけ、開けた。ぎい、という金属の音が、二人の耳を煩わせた。
「嘘……」
その目の前には、信じがたい光景が広がっていた。
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