第11話 ヤタハン砦攻略戦 終局
トモエとリコウの二人はソダイを討ち取った後、砦の内部を隈なく探索していた。中に何があるのか調べるのと、討ち漏らしの敵兵がいないか確かめるためである。
「すげぇ……これ魔族の書物か……」
リコウが入った部屋の本棚には、ずらりと書物が並んでいた。彼らは製紙の技術を持ち、表音文字と表語文字を組み合わせた文字を使って記述している。人間の世界にも同じような文字文化があるが、製紙の技術はなく専ら木簡などを使っており、こういった所に人間と魔族の文明の違いが現れている。
「凄い! 見て見てこれ!」
トモエの声に招かれて、リコウは隣の部屋に入った。
「これ凄いよ!」
トモエはいささか興奮気味に喋りながら、部屋の壁にある青いボタンを押した。すると、上のダクトのようなものから、冷たい風が吹き出してきた。
「エアコンみたい……魔族ってこんなのも作ってたんだ……」
トモエは前世のことを思い出した。トモエ、もとい智恵の住む日本という国は、酷烈な夏の暑さと厳しい冬の寒さが人々を苦しめる。だが人々は機械の力でそれを乗り切っていた。夏は屋内を冷やし、冬は温めることで厳しい暑さ寒さから身を守ってきたのである。
「こっちは暖房なのかな?」
トモエは青いボタンの隣にある赤いボタンを押してみた。すると、ダクトから吹き出していた冷風は、一瞬の内に温風に切り替わった。暖かい風が、二人の頭上に覆い被さってくる。わざわざ火を起こすことなくボタン一つで部屋を暖められるのは、舌を巻くより他はない。
二人は知る由もないが、これもまた傀儡兵、魔鉱石を動力にした機械であった。ボタンを押す際の刺激に反応して、温風または冷風を吹かせるように術がかけられているのだ。
「何だよこれ……オレたちこんなのを作れる奴らを相手にしてるってのか……」
リコウは、素直に関心する気になれなかった。軍事力だけではない、その根底にある科学力があまりにも違いすぎるのである。
魔族が扱える摩訶不思議な力。魔術と呼ばれるそれを、人間は扱うことができない。そのことが、両者に絶望的なまでの差を生み出している。ロブ村では長年の修行の末に魔術を扱えるようになった人間の逸話が半ば伝説のように語られているが、所詮は伝説であり、少なくともリコウの周りに魔術を扱える人間はいないし、そのような人間がいる話も聞いたことがない。この少年は、再び暗澹たる気分に見舞われてしまった。
二人は城門の上に立った。村を出る際にリコウは、
「砦から赤い煙が見えたら、オレらが勝利したというサインです。そうしたらこの砦を占領するために人員を送ってきてください」
と言って申し合わせておいた。これから煙を焚き、ロブ村の烽火台に戦勝を知らせるのだ。
「……リコウくん、あれ見て」
突然、トモエが南の方を指差して言った。リコウが言われるがままにそちらを向くと、その目下に馬車の隊列が見えた。馬車の両脇には黄色い皮甲を纏う傀儡兵が歩いており、あれが魔族の軍隊であることは誰が見ても明らかだ。
「あれ、増援かな……」
「増援というか……あれは輜重部隊だと思います。この砦に物資を運び込みに来たのでしょう。ここは砦がこちらの手に落ちたことを敵に知られる前に仕掛けましょう」
リコウは素早く判断し、トモエとともに階段を降りた。こういった所で、やはりリコウの機転は目を見張るものがある。
砦に近づいた輜重部隊。その隊長は、何かがおかしいことに気がついた。城門の両脇に、門番の傀儡兵が立っていないのである。視線を上に向けてみると、城壁の上で周囲を見張っているはずの傀儡兵もいない。いくら人間側からの攻撃がないと言っても、これは流石に気が緩みすぎてはいないだろうか。
「ソダイ殿は何を考えておられるのだ……」
これでは先が思いやられる。そのようなことを隊長の男が考えていた、まさにその時である。
城壁に開けられている
「な、どういうことです! 我々は味方でありますぞ!」
隊長は声を振り絞り叫んだ。なぜ物資の納入に来ただけの自分たちが攻撃されなければならないのか、その理由が見つからない。この隊長は、砦がもう敵の手に落ちている、などという可能性には思い至ることができなかった。
もたついている間に、矢狭間から第二射が射かけられた。流石に二射連続での命中とはいかず、傀儡兵の足元に矢は刺さった。
「お止めください!」
隊長は尚も叫ぶ。だが、狼狽しているこの男に返ってきたのは、全く予期しないものであった。
「はああああああっ! 必殺!」
女声と思しき甲高い声とともに、城門が勢いよく開いた。そしてその中から一つの人影が、黒い風のような速さで飛び出してきたのである。そこから前列の兵士の胴が粉々に砕かれるまでは、まさに一瞬の出来事であった。
上からリコウが矢を射かけ、そちらに敵の注意を引きつけている間に、トモエが飛び出す。二人の作戦はこうであった。
「なっ……あれは……我が軍ではない!」
隊長がそのことに気づいた時には、すでに傀儡兵五体が犠牲になっていた。ここでようやく、兵たちは剣や槍、弩などを構え臨戦態勢に入った。
「何がなんだか分からんがあれは敵だ! 殺せ!」
兵たちはトモエを取り囲むために、左右に大きく翼を張るように広がった。弩が矢を放ち、槍兵と短兵が接近戦を挑みにくる。
しかし、この兵たちを以てしても、トモエを止めることはできなかった。矢は当たらず、槍や剣を持つ兵たちは斬りかかる前に体を打ち壊されてしまう。
「もしやこいつらが砦を……急いで国都に報告せねば……」
この隊長は、ここにきてようやく、異常事態に気がついた。砦が人間によって占領されるなど有り得ない。けれども、そう考えるより仕方ないのだ。
隊長は兵たちを取りまとめ、馬首を返して元の道を引き返そうとした。意地になってトモエを討ち取ろうとせず、逃げ帰ってこのことを本国に報告しようとした所に、この隊長を務める男の賢明さがある。
「あっ、待ちなさい!」
それをトモエが見逃すはずもない。急いでその後を追おうとしたが、彼女の目の前に、傀儡兵が立ちはだかった。数をたのみに壁を作り、隊長が逃げおおせるまでの時間を稼ごうというのだろう。槍兵と短兵は翼を張る陣形を改め、盾を構えて密集隊形を形成した。その間からは弩兵が射撃を加えてくる。
「邪魔!」
それらを、トモエの拳が粉砕した。傀儡兵たちはただの一太刀すら浴びせられないまま、次から次へとトモエに破壊されていく。それでも密集隊列は分厚く、確実に彼女の足を鈍らせていた。
足止めに残った傀儡兵を全て破壊した時には、隊長とその随伴の傀儡兵たちは馬車で走り去っていた。流石のトモエでも徒歩ではもう追いすがれそうにない。トモエは追撃を諦め、砦の中に戻っていった。
「よし、これでいいかな」
リコウは砦の城門の上に立ち、そこで煙を焚いていた。赤い煙が、まるで天に昇る龍のように立ち昇っていく。人間の勝利を告げる、誇るべき煙である。この後、村の人々がやってきてこの砦に駐屯し占領する手はずになっているのだ。
占領、とはいうものの、ロブ村だけでこの砦を維持するには人員が足りない。そこで村長は他の村長たちに会って回り、人員を割き合って合同で砦を管理しないかと説得して回っている。暫くは二人でこの砦に籠り、敵から守るしかないだろう。
幸い、砦には食糧が豊富に備蓄されており、風呂や寝台などの設備も完備されていて、正直な所村よりも居住空間としては快適であった。特にわざわざ火を起こすことなくボタン一つでお湯が出る設備などは驚愕の一言である。勿論それらが魔族の作り出したものであることを考えると、手放しに喜ぶことはできないのであるが。
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