第10話 ヤタハン砦攻略戦 その3

「まだか……なぜ討ち取れんのだ……」


 執務室の中にいるソダイは、焦っていた。恐らく敵はごく少数の部隊で奇襲をかけに来たに違いない。そうソダイは見立てている。数人の人間が相手であるなら、傀儡兵による迎撃態勢を整えてしまえば圧し潰してしまえるはずであった。けれども未だに部下は敵の首を持ってこない。

 その、ソダイの耳が、足早に階段を降りてくる足音を捉えた。


 ――これは、味方のものではない。


 ソダイは先端部分が北斗七星のように曲がった銅製の杖を固く握りしめた。この杖は名を「威斗いと」といい、戦闘用の魔術を使用する際、魔力を向ける方向を安定させるために用いる魔道具マジックアイテムである。多くの魔族の武官がこれを所有し使用している。

 砦を捨てて逃げる、という選択肢は彼にはなかった。人間を相手に尻尾をまいて逃げ出すなど、魔族のプライドが許すはずもない。それにもし逃走でもすれば、自分は出世の道を断たれ、人間ごときを相手に逃げ出した臆病者として一生後ろ指を指されて生きてゆかねばならない。そうなれば、死ぬより辛い。だからもう、正体不明の侵入者を相手に戦うしかないのだ。

 意を決したソダイは、執務室の扉を開け、廊下に飛び出した。


 傀儡兵の部隊をなぎ倒したトモエとリコウは、とうとう一階まで下りた。これまでどれだけの傀儡兵を破壊し、魔族の軍人を討ち取ったか分からない。


「トモエさん、大丈夫ですか、疲れてませんか」

「こっちは大丈夫。寧ろ丁度体があったまってきた頃かな。リコウくんはどう?」

「それが……案外疲れないんですよね。この鎧のお陰なのかも知れません」


 そういえば、この鎧を身につけていた馬は、どれだけ爆走しても全く疲れた素振りを見せていなかった。そう思うと、リコウがさほど疲れていないのも、この鎧の効果なのだろう。

 冷たい廊下をそのまま進む二人。その目の前に、金の髪を靡かせて、一人の男が姿を現した。その男は鎧を纏っておらず、右手は先の曲がった杖を握っている。


「私はソダイ。このヤタハン砦の主だ。砦に忍び込んだネズミどもというのはお前たちか?」


 あおの瞳が、二人の人間を睨みつける。


「お前か……お前が村を襲ったのか!」


 リコウは、怒髪衝天とばかりに激怒していた。この砦から出撃した軍隊が村をさんざんに荒らし回り、多くの者が傷つきたおれたのであるから、彼の激しい怒りも当然である。


「ここまで辿り着いたことは褒めてやろう。だがな、私も逃げるわけにはいかないのだ。ここでネズミには死んでもらう」


 ソダイと名乗った金髪の美男子が、おもむろに杖を振り上げた。


「魔法の杖だか何だか知らないけど、先手必勝!」


 そこに、トモエが素早く躍り出た。何かの術を使われる前に、拳を叩き込んでしまえばいい。トモエらしい、一直線で力任せな解決方法である。


「陽の魔術、光よ、我が敵の目を奪えフェイタル・フラッシュライト!」


 トモエが拳を打ち込むまさにその直前、彼女の視界はになってしまった。杖の戦端から放たれた強烈な光が、その視力を奪ってしまったのである。


「なっ……」

「な、何だこれ……前が見えねぇ……」


 トモエだけでなく後方に立つリコウも、また同様であった。視界は完全に漂白されてしまっており、最早何も視認することができない。

 魔術には、様々な種類があるが、それらは陰・陽・木・火・土・金・水という七つの属性のどれかに分類される。ソダイのこの魔術はその内の「陽」に属するものであった。


「さぁて、後はこれでゆっくり仕留めてやろうか……」


 ソダイは腰からナイフを引き抜いた。これでとどめを刺そうというのである。足を止めてしまった二人に対して、金髪美男子はゆっくりと近づいていく。

 人間は視覚の生き物である。人間が受け取る外部の情報の内の八割以上は視覚情報であるという。それほどまでに人間は視覚に頼っており、戦闘中にこれを奪われるということは殆どの場合死を意味する。

 一歩、また一歩、と、着実に死が忍び寄る。先程までの焦りは何処へやら、ソダイの表情は凶暴な笑みに満ちていた。

 その笑みは、鈍い打撃音とともに、一瞬にして崩れ去った。


「なっ……」


 何が起こったか、ソダイには分からなかった。理解できたのは、何故が自分の体が打ち据えられ、廊下の壁に叩きつけられたことだけである。


「まさか……殴られた……?」


 ようやく、ソダイは理解した。視力を奪ってやった目の前の女が、自分を拳で打ったのである。


「この様子じゃ、まだ息があるわね……」

「何だと……お前、目が見えるのか」

「いいえ、見えない。見えないけど、相手が何処にいるかぐらいは分かるわ」


 トモエは、前の村の老師によって目隠しをした状態での戦闘訓練も施されていた。目が見えずとも足音や息遣いなどで敵の位置を察知して戦う訓練を、彼女は積んでいたのである。その経験が、ようやく活きた。


「おっ、おのれぇ!」


 ソダイは、衝撃でナイフを取り落としてしまったことに気づいた。慌てて足元に転がるナイフを拾おうとする。だが、彼の右手が、ナイフの柄を掴むことはなかった。


「これは村の人たちの、人間の、叫びっ!」


 トモエの拳が叩き込まれる。一発だけではない。怒りを込めた彼女の拳が、二発、三発、四発、五発、立て続けにソダイの体に打ち込まれる。この時、トモエの視力はまだ回復していない。相変らず視界は真っ白のままである。だが、視力を奪ったとて、この怪物を止めることはできなかった。

 最後の一撃が、ソダイの腹を打った。口から血を吐きながら、ソダイの体は後方に吹き飛び、仰向けの体勢で床に叩きつけられた。もう、この魔族の美男子はそこから動き出すことはなかった。文字通り、息の根を止められたのである。

 ソダイの死とともに、トモエとリコウは元の視力を取り戻した。二人が最初に見たものは、口から血を垂れながら、壁を背もたれに項垂うなだれている敵の姿であった。


「トモエさん……」

「うん……あたしたち、勝ったんだよ」


 そう、二人は勝ったのだ。局地戦とはいえ、人間が魔族の拠点に攻撃を仕掛けて勝利したのである。これは大金星といってよく、それをたった二人の人間で成し遂げたのであるから前代未聞のことであった。


 さて、この頃、エン国軍の一部隊が、このヤタハン砦を目指していた。部隊といっても戦闘部隊ではなく、補給物資をヤタハン砦に送る輜重しちょう部隊である。馬車が長い隊列を作っており、馬の引く荷台には物資が満載されている。その両脇を武装した傀儡兵が固めているが、これらは護衛であるとともに一部はヤタハン砦にそのまま納品される予定の補充兵でもある。

 空に、厚い雲が立ち込めてきた。今にも一雨来そうである。


「嫌な天気だなぁ……さっさと納品済ませてぇが……」


 一番後方の馬車で、輜重部隊の隊長の男はぶつくさと独り言を呟いていた。

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