第8話 ヤタハン砦攻略戦 その1

 何事もなく、夜が明けた。小鳥のさえずりが、東の空より赤い光を招き寄せている。


「トモエさん、そろそろ馬車を降りた方がいいと思います。馬車では目立ちますから」


 手綱を握るリコウは、そう提案した。二人は敵地に大分近づいてきており、呑気に馬車に乗っていれば敵に発見されるリスクが高まる。トモエは拳と膝に黒いサポーターを巻きつけながらそれに頷いた。


「バイバイお馬さん」


 荷物を掴んで車台を降りたトモエは、馬に手を振った。勿論、馬に人間の言葉など分かろうはずもなく、馬はぶるぶると首を震わせただけであった。

 ここからは、徒歩の行軍である。幸い、目的地は分かりやすかった。小山の上に、城壁に囲まれた建造物が、まるでこちらを威圧するかのようにそびえ立っているのが遠目からでもはっきりと見えるからだ。

 二人は林に身を隠しながら、慎重に目標に近づいた。やがて小山の麓に差し掛かると、城壁の上に立つ傀儡兵の姿を見ることができた。弩をその手に持ちながら。赤く光る石でできた目で左右を見渡している。

 二人は敵兵に見つからないよう、音を立てないように用心しつつ、ぐるりと回って砦を眺めてみた。石造りの壁を四角形に巡らせた、殺風景かつ無機質な軍事拠点といった感じである。城門の前には剣と盾を携えた短兵が二体立っており、城壁の上には弩を持つ兵がちらほらと見受けられるが、こちらに気づいている様子は特にない。


「夜になるまで待ちましょう。ここからなら目的地を見失うこともないですし」

「うーん、そうみたいね。ここはリコウくんの言う通りにした方がいいかな」


 リコウはそう提案した。内心、トモエはさっさと敵中に飛び込んでこれを掃討してしまいたい気分でいっぱいである。だが、できれば面倒ごとは避けた方が良いであろう、と、トモエ自身も判断した。トモエは自分の力量には自信を持っているが、さりとて無敵であるとは思っていない。刀剣で斬られたり、矢で貫かれて多量の血を失ってしまえば、流石に死んでしまうであろう。そもそも前世の自分にしたって、武術に励んでいながら、結局は車にはねられて空しくその生涯を閉じたのだ。如何に万夫不当の力があるとはいえ、驕りは禁物である。

 二人はそっと後退した。砦の麓には林が広がっており、視界はあまりよくない。幸いにも二人は敵に見つかることなく距離を取ることができた。林の中は日光が遮られていることもあって涼しく、ひんやりとした空気が肌を包み込んだ。

 二人は日が暮れるまでじっと待った。時折、うおおん、という何か獣の咆哮のようなものが聞こえてきて、二人は傀儡兵などより寧ろこちらの方を気に懸けていた。これから砦に殴り込みをかけようという時に、獣に襲われてはたまらない。とはいえ、咆哮の主が二人の前に姿を現すことはなかった。


 西天の彼方に日は没し、空を夜闇がすっかり覆ってしまった。


「よし、トモエさん、行きましょう」

「そうね。いよいよかぁ……」


 緊張で顔を強張らせているリコウと違い、トモエは意気揚々といった風に腕をぶるんと回した。

 リコウとトモエは、城壁の上に立っている夜間警戒の兵に見つからないよう慎重に砦に近づいた。丁度死角になるような場所に来ると、リコウは荷の中からロープを取り出した。ロープの先には引っ掛けられるようなかぎ状の金具がついており、これを引っ掛けて登るのだ。


「せーのっ」


 リコウは小さく声を出すと、ロープを放り投げた。ロープの金具は上手く掛けられたようである。


「それじゃ、オレが先に行きます」

「大丈夫なの?」

「いや、寧ろオレが先頭の方がいいんですよ。盾持ってるし、それに鎧も着てるからいざという時に壁になれます。軽装のトモエさんを先に行かせる方が寧ろ危ないんです」


 彼の言うことはもっともである。こういった戦闘に関わる機転では、トモエはリコウに一歩及ばない所がある。自分の力で全てねじ伏せてきたトモエと違って、リコウは常に頭を巡らせて戦わなければ生き残ることができなかったのだから、当然と言えば当然のことであろう。

 リコウはするするとロープを登っていった。鎧は暑苦しいが、意外と重さは感じない。寧ろ身軽になった気さえする。恐らく鎧にかけられた「身体能力強化」の魔術がリコウに効いているのであろう。

 まず最初に、リコウが城壁の上に降り立った。敵の傀儡兵は、まだこちらに気づいていない。とはいえ、このままではすぐ気づかれる。もう、後には引けない所まで来てしまった。こうなれば後は戦うのみである。

 リコウは矢を番えて引き絞り、傀儡兵の一人に狙いをつけた。これを放った時が、先端の開かれる合図である。


「オレはやるんだ……やらなきゃいけないんだ……」


 まるでお経でも唱えるかのように自分に言い聞かせながら、リコウは矢を放った。その矢は吸い込まれるように、一体の傀儡兵の背を貫いた。木の裂ける音とともに射抜かれた傀儡兵は、力なく弩を取り落としてその場に倒れ臥し、動かなくなってしまった。

 城壁の上の傀儡兵が、一斉にリコウの方を振り向いた。その手には弩が構えられている。リコウは咄嗟に頭を伏せ、左手の盾を前に掲げて防御の姿勢を取った。そのリコウ目掛けて、傀儡兵は一斉に矢を射かける。一斉に襲い掛かってきたその矢は、金の音とともに全て鎧の甲板に弾かれた。弩の威力を以てしても、「硬化」の魔術がかけられたリコウの魔導鎧を貫通することはできなかったのである。


「もらった!」


 そのリコウの後ろから、飛び出してくる一つの人影。トモエである。月を背に飛翔したトモエは、そのまま勢いを乗せた拳を傀儡兵に叩き込んだ。胸に大穴を開けられた傀儡兵の腕がだらりと垂れ下がる。弩は弓と違い引き金を引くという単純な操作で強い威力の矢が放てる優れた射撃武器であるが、弓よりも重量があるのと、次弾の装填に時間がかかるという二つの欠点がある。そして、その隙を見逃してくれる程、この二人の侵入者は甘くはなかった。散らばって退避しようとする傀儡兵を、トモエは一体一体片付けていく。リコウは矢を節約するために腰の剣を抜き、傀儡兵の胴を一思いに刺し貫いた。その勢いで矢の装填を終えたばかりの別の傀儡兵に肉薄し、その首を薙ぎ払った。首のような細い場所は切り払い易く、傀儡兵は頭部を切り離してしまえば感覚器官を失い戦えなくなる。


 城壁の上の傀儡兵は、そう時間をかけずに殲滅することができた。だが、問題はここからである。砦の内部の構造については全く情報がない上に、詰めている兵の数も知れたことではない。それに、騒ぎを察知した敵が押し寄せてくるのは、もう時間の問題であろう。苦しい戦いになるのはこれからであり、それは二人で乗り越えていかなければならないのだ。

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