第7話 死出の旅路へ
東の天より日が昇り、青黒い大地に紅の光が降り注ぐ。
トモエは出撃のための荷支度を終えて、荷物を馬車に積み込んだ。村長は出撃するトモエに対して、
「この馬と車を使うといい。徒歩で行くよりはずっと良いだろう」
と言って、馬二頭と車一台を使わせてくれた。敵の重戦車部隊が残していった馬や車は多く、ロブ村では持て余し気味である。それに、徒歩で行けばヤタハン砦に至るまでに疲れてしまって、戦いに支障を来たすであろう。
リコウは、既に身支度を済ませて車の傍に立っていた。その体には、黄色い甲片を繋げた鎧を纏っている。その鎧の背中側には赤や青、紫などの色をした美しく光る小型の魔鉱石が十個縫い付けられている。この鎧は重戦車部隊が残していった魔導鎧を人間用に繋ぎ直したもので、かけられた「硬化」と「身体能力強化」の効果は健在である。その鎧は矢を通さない程に硬く、さらに着用者の身体能力を引き上げてくれるという優れ物だ。
この魔導鎧は、トモエ用にも作られた。けれどもトモエは、
「暑苦しいからこのままでいい」
と言って固辞した。結局、タンクトップとショートパンツといういつもの軽装で出かけることとなった。
「二人とも、生きて帰ってきてくれ」
村長はトモエとリコウにそれぞれ視線を移しながら、低い声で言った。その後ろから、リコウの母と弟、妹が現れる。
「必ず、生きて帰ってくるのよ」
「うん。心配しないで、母さん」
リコウと母は、ひしと抱き合った。母は今にも泣きだしそうな顔をしている。
「リカン、リショウ、母さんを頼んだぞ」
続いてリコウは、弟と妹の前に立ち、二人を抱きしめた。二人はリコウの胸に顔を
「あ、あたしにも、それお願いできる?」
そこにしゃしゃり出てきたのはトモエであった。リコウと離れた弟と妹に。トモエが近づいてくる。
「死出の旅路だもの。これぐらい許される許される……」
その声は、誰かに語り掛けるというよりも、寧ろ自分に言い聞かせるようであった。
「お姉さんも、ぎゅーってしたいの?」
質問者は、リコウの妹、リショウである。
「そう、やっぱり駄目……かな」
「うん、あたしはいいよ、お兄ちゃんは?」
リショウは隣のリカンに尋ねる。
「うん、僕も構わないけど……」
「それじゃあ」
トモエは二人まとめて、その腕でひしと抱きしめた。抱きしめながら、トモエは大きく鼻で息を吸い込む。
(あ、やば、この臭いたまらない……)
至福のひとときであった。かぐわしい少年の頭部の香りをめいっぱい吸い込んだトモエの全身に、力がみなぎってくる。
(ショタパワー、吸引完了!)
心の中で、トモエは声を張り上げた。
「行ってきまーす」
「それじゃ、行ってくる」
リコウと弟妹から離れたトモエは馬車に乗り込んだ。車台では既にリコウが待っていた。車台の上から、二人が手を振る。村の人々は総出で手を振り返し、二人を送り出したのであった。
「重戦車部隊が全滅だと……くそっ! 何て奴らだ……」
ヤタハン砦の司令室で、ソダイは怒りのあまり机を乱暴に拳で叩いた。
「戦車も魔導鎧も傀儡兵もタダじゃないんだぞ……」
流石に、虎の子である重戦車三十台を失ったのは手痛かった。戦車というもの自体、元々金のかかる装備である。魔導鎧を装備した馬を四頭引きにした戦車というのは、一台だけでも結構な予算がつぎ込まれている。三十台という数の重戦車部隊の派遣は、まさしく必勝を期したものであったのだ。
正直、人間の村一つを潰すのにさえ、重戦車三十台はいささか過剰な戦力である。それがよもや全滅させられるなど、夢にも思わないことであった。その報を受けたソダイは、怒りを抑えきれなかった。
この様子では、暫く出撃は叶わない。失った戦力の穴埋めを図り、それが整ってからでないと打って出ることはできないであろう。何しろ相手は重戦車三十台を全滅させてしまうような者たちだ。これを攻め滅ぼすには、当然それ以上の戦力が必要不可欠である。
「奴らめ……やってくれたな……このままでは私の立場が……」
これ以上侵攻に手間取れば、当然中央から突き上げを食らうことは明白である。砦の主、ソダイは焦燥のあまりその金髪を掻きむしった。
トモエとリコウの馬車は、平坦な道をのんびり進んでいた。ここまでの道中は平穏そのものであった。御者はリコウが務めている。馬に触れたことすらなかったトモエと違い、彼は以前馬の手綱を握った経験があった。
行軍一日目の夜、二人は小高い丘の上に馬車を停め、そこで野営した。糧食は干し肉である。炊煙を上げないようにという配慮から選ばれたのだ。丘の上での野営を決めたのは、周囲を見渡すためである。南に目を向けると、向こうには小山の上に立つ砦が見える。戦においては高所を押さえることが大事という。敵が小山の上に砦を立てたのは、合理的な判断であろう。
「トモエさん」
「ん?」
「ここまで来ておいてこんなこと言うのもおかしいですけど、オレたち、勝てるでしょうか」
リコウの視線が、地面に落とされる。
「この間の戦車もそうですけど、オレたち人間と魔族、あまりにも戦力が違いすぎると思うんです」
「そう?」
トモエは、けろりと答えた。
「だって奴ら、傀儡兵を幾らでも送り込んでくるし、それに魔族自身は不思議な術が使えるって言うじゃないですか。そんな相手に生身の人間が立ち向かうなんて、やっぱり無理なんじゃないかって思って……」
「なるほどねぇ……」
リコウの言葉に、トモエは暫く押し黙った。冷静になって考えれば、リコウの言うことももっともである。根本的な軍事力が、まるで比較にならないのだ。ロブ村が無事でいられたのは、トモエという規格外の戦闘能力を持つ流れ者のお陰に過ぎない。
「でも、やらなきゃやられる。そうでしょ? だから結局、最後の最後まであがいてみるしか、道はないんだと思う。」
トモエの頭に「死中に活を求める」という言葉が浮かんできた。確か、前世で通っていた拳法道場の老師が語っていた言葉で、中国の史書が出典であったはずだ。
「そう……ですよね。オレたちが頑張らなきゃ」
とにもかくにも、敵の前線基地であるあの砦をどうにかしなければ、いずれまた村は襲われるのだ。勿論砦を攻め落としたとしても、それで魔族と人間の戦いが終わるわけではない。
自分たちの国を持たぬ民の境遇というのは、概して悲惨なものである。それでも魔族に自分たちの国を滅ぼされその故地を追われた人間たちは、村落というより一層小さな共同体に細切れにされながら、何とか細々とその命脈を繋いできた。だがその命脈も、魔族の情け容赦ない侵略の前には風前の塵に等しいのだ。
夜、トモエとリコウは交代で見張り役を行った。二人一緒に眠ってしまうのは流石に危険である。敵に襲われなくとも、このような場所では危険な獣が出没しないとも限らない。
最初の四時間は、トモエが起きて見張りをした。虫の音と鳥の声だけが、辺りに響いている。トモエの耳目が異常なものを拾うことのないまま、彼女はバトンタッチの時間を迎え、リコウを起こして自分は眠りに就いた。
リコウもまた、特に変わったものを捉えることはなかった。あまりに退屈なので、ふと、彼は車台で眠るトモエの方を見やった。
「――っ」
この少年は、思わず息を飲んでしまった。前々から美人だとは思っていたが、トモエの寝顔は、この世の何処でも見られない程、美しくも可愛らしいものであった。何より、トモエが自分の前で無警戒な姿を晒しているのを見ると、リコウは心を内側からくすぐられるようである。
「う、浮かれてる場合じゃない」
リコウは自分の頬を両側から平手で叩くと、耳をすませながら周囲に視線を配った。
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