死んだら異世界に逝く? んなわけないだろう。死んだ人間が逝くのは、地獄か極楽だ(試作版)

読み方は自由

あなたは、よく頑張った。だからもう、頑張らなくて良い。極楽浄土があなたを癒します

 自分の人生に希望を抱いていたわけではないが、「だから」と言って絶望していたわけでもなかった。周りの人達がそうしているように、僕もまた自分の命を燃やしていた。親から貰った身体を生かし、そこに様々な経験、成長に必要な燃料を入れて、最初は小さかった火を少しずつ、でも確実に大きくして行った。

 

 社会の風雨に負けないように、人間の邪心に吹き消されないように、自分の火を必死に守りつづけた。僕が僕である証を守る時も、そして、自分の未来に手を伸ばす時も。学歴の剣を振りかざし、着慣れないスーツで身を守りながら、社会の門番に何度も戦いを挑みつづけた。

 

 社会の門番……会社の面接官は、僕の人生を左右する……言うならば、最強の妖怪だった。彼らが「採用」と肯かなければ、僕の未来は輝かない。会社の内定は、僕にとって死活問題だった。親には(僕も一応、バイトはしていたが)、大学まで出して貰ったのに。ここで負けたら、すべてが水疱に帰してしまう。


 今まで無敗を誇った人生、高校も大学も一発で受かった人生が、まるでガラス製品のようにパリンと割れてしまうのだ。割れたガラスの表面に書かれているのは、「就活失敗」の文字。「普通の人生」から弾かれた、文字通りの負け組だった。


 負け組になったら、人生終了。人生を甘く見ず、あらゆる事を現実的に考えていた僕には、その未来は耐え難い、苦痛に満ちたモノだった。一度線路から外れた列車は、中々戻る事はできない。遙か昔の中学時代、学校の部活仲間と河川敷を歩いていた僕は、そこの下手に佇むホームレスを見て、その真理を瞬間的に感じ取った。


 自分は決して、ああなってはいけない。僕の周りにいた仲間達も、同じ事を思ったのか? 最初は「きったねぇ」と笑い、彼の事を罵っていたが、やがて何も言わなくなり、夕陽の光が少し淋しくなると、そこから逃げるように歩き出してしまった。僕も黙って、その後を追いかけた。


 僕達は、子どもながらに悟った。「僕達が歩いている道は、自分の力で造った物ではなく、誰かが整え、造ってくれた道である」と、そして、「義務教育と対にある学習権は、それを麻痺させる幻である」と。楽観的な奴はそれ程でもなかったが、少なくても頭の良い、現実の毒をしっかりと見極められた奴は、僕のいる位置まで下がり、少年らしい未発達な不安を漏らしていた。


「やっぱ、勉強しなきゃ駄目なんだな」


「うん」と、肯く事しかできなかった。本当はもっと、言葉らしい言葉が見つけられた筈なのに。野生の本能、特に「人間の狡さや汚さこそが、物事の真理だ」と思い込んでいた(思春期の男子にはたぶん、よくある事なのだろう)僕達には、その突き付けられた現実が、妙に生々しく、そして気持ち悪く感じられた。


 最高の人生には、ならなくても良い。でも、最低の人生にはなりたくない。いつもの十字路で仲間と別れた僕は、神妙な顔で家に帰ると、母さんの「お帰り」にも応えず、鞄の中から弁当箱を出し、それを家の台所に出して、自分の部屋に行き、学校の制服も脱がないで、いつもはほとんど見ない学校指定の教科書を開いた。


 そうやって受かったのが、地元でも有名な県立の進学校。青春に付き物の「恋」や「友情」をすべて知識に置き換える、ある意味で正真正銘の学び舎だった。「知識」と言う武器の前では、どんな青春活劇もお遊び。他校の男子達が見せる笑顔、女子達が話す恋バナは、貴重な青春を無駄にする愚行にしか思えなかった。体育館でもバスケは(やる気になれば)、いつでもできる。彼氏とのLINEだって(時間と相手がいれば)、社会人になってもできる事だ。


 楽しい事は、社会人になってからすれば良い。

 社会人になれば、その能力に見合った金と地位が手に入る。


 僕は「学生時代にモテまくったチャラ男」よりも、「家族をきちんと養える堅実な男の方が凄い」と思った。


 自分の家族を大事にするのは、100人の女を愛するよりも難しい。経済的な不安はもちろん、それ以外の不満を取り払ってやる事も。家族の不満を取り除けない、ましてや、「それ」に気づけもしない男は、どんな愚か者にも勝る、本物の愚図だと思った。


 僕は、そんな愚図にはなりたくない。だから、死ぬ気で勉強した。教科書に書かれた太文字を一文字たりとも漏らさず、溶かし、頭の中に流し込む。実に苦行とも言える作業。隣に座っていた女子は(そんな僕の行動を怖がってか)、「ちょっと休んだ方が良いんじゃない?」と心配してくれたが、僕は「大丈夫」と笑いかえしただけで、その作業自体は決して止めなかった。


 苦あれば楽あり。

 苦しい事の先にはきっと、楽しい事が待っている。

 人生の余暇を楽しむに、宿題はどうしても邪魔だった。

 

 僕はその宿題を片付け、次のステップに必要な材料を集めた。大学に進むための材料を、自分の未来を勝ち取るためのステップを、積み木の要領で一つ一つ積み上げて行ったのだ。できるだけ早く、周りのみんなが「進路、どうしよう?」と迷っている隙に。


 僕は周りがアタフタしている間、まるで忍者が敵の喉元を切り裂くように、何食わぬ顔で次のステップに足を乗せた。……最高の気分だった。特に合格発表の日は、思わずほくそ笑んでしまった。自分の人生が、自分の支配下にあるのを覚えつつ。そんな中でやったガッツポーズは、人生の中で一番気持ち良かった。


 「自分は、あのホームレスとは違う」と。彼の事はほとんど……いや、本当はまったく知らないのに。自分の中で、一つの線を引いてしまったのだ。線の内側には極楽浄土が広がり、外側には灼熱地獄が広がっている。


 彼はあの夕暮れに、灼熱地獄の光に焼かれていたのだ。表情こそは、死人のそれであったけれど。その内側では、亡者が叫びを上げていたのかも知れない。この世のすべてを呪う……。じっと覗いていた川の水面も、本当は自分の内側に住む亡者を見つめていたのかも知れなかった。

 

 僕はその心象に震えたが、現実が僕の意識を引き戻した。彼の時間は、死んだ。でも、僕の時間は生きている。今、こうしている間も。生者が生きるのは輝かしい未来であって、死者の残した残滓ざんしではない。お前には、幸せになれる権利があるのだ。


 幸せ、の部分に胸が踊った。今まで積み上げてきた物に付加価値が付けられるような感覚。その付加価格に魅せられて、多くの人が集まってくる想像。彼らは(何故か)僕を「神」と崇め、僕が喜びそうな言葉、美辞麗句を並べて、僕の心を巧みに操ろうとする。僕が創り出した財産や自信、その他諸々を手に入れようと、喉から伸びかけた手を必死に押さえ、善人の顔で「君の財産を分けて欲しい」と頼んでくるのだ。


 僕は、それらの声をける。圧倒的猜疑心さいぎしんから、自分を守る防衛本能から、ニッコリ笑って「ごめんなさい」と謝るのだ。この財産は、僕だけの物。僕がこれから生きて行く上で、自分の家族を守るために使う財産だ。だから、誰にも奪わせない。この国は、資本主義なのだから。僕の財産を使う権利は、僕だけにある。


 僕は大学生活で必要な物を揃え、余裕ある生活のためにバイトもはじめて、大学の単位をできるだけ多く、その上、将来に役立ちそうなスキルも可能な限り取得して行った。


 幸せな未来を掴むために。

 自分の親を喜ばせるために。

 いつか出会う、愛する人を守るために。

 

 大学生活の4年間……元々モテるタイプではなかったが、自己研鑽じこけんさんに費やした所為もあって、僕には浮いた話が無かった。同じ学部の仲間から合コンに誘われた事はあっても、それに「うん」と肯く事ができない。


「合コン来るような女性は、何となく信用できないんだ」


 僕の勝手な妄想かも知れないけど……そう言う所に行く女性は、男の事を何となく下に見ているような気がしていた。表面ではニコニコ笑っていても、内心では「キモイ、死ね」と罵っている。彼女達が好きな男は、無料で楽しめるホストのような男だと思っていた。


 僕は残念ながら、そう言う男ではない。だから大学の女子達に「クスクス」と笑われても、「それは仕方ない」と怒らなかった。自分の事は、自分が良く分かっているから。


 僕は僕の事を愛してくれる、中身の綺麗な人と結婚できれば良いのだ。


 面接が終わったのは、記憶の旅が終わった瞬間……それまで過去の世界を歩いていた旅人が、現在の僕に飛び込んだ時だった。

 

 面接官は「ニコッ」と笑って、スーツ姿の僕に退出を促した。


「面接の結果は、後ほどお伝え致します」


「はい」


 僕は「本日はお忙しい中、本当に有り難う御座いました」と言い、目の前の面接官達に頭を下げて、会場の中から静かに出て行った。


 会場の外も静かだった。会場に入る前の僕がそうであったように、他の学生達も黙って自分の順番を待っている。「どうか、内定が貰えますように」と。口には出さなかったが、その目には確固たる意思、厳しい競争社会を生き抜こうとする欲求が輝いていた。


 彼らを倒さなければ、自分のデスクに座れない。

 学生の就職活動とは、壮大な椅子取りゲームなのだ。

 僕は何としても、その椅子取りゲームに勝たなければならない。


 椅子取りゲームの結果が届いたのは、それから一週間後の事。部屋の窓ガラスを打つ雨にイライラしていた時だった。会社名が印字された角形2号の封筒を持って、自分の部屋に戻った僕は、カッターナイフで封筒の封を切り、その中から書類をゆっくりと取り出した。

 

 書類は、内定通知書だった。


「あ、あああ」


 声の震えが止まらない。本当は今すぐ叫びたがったが、冷静な自分が「まずは、親に連絡だろ?」と囁いたので、スマホの受話器に「もしもし」と話しはじめた時には、緊張こそしていたが、落ち着いて「内定、貰ったよ」と伝えられていた。


 母さんは、泣いて喜んだ。父さんも、「良くやった」と笑っていた。二人は僕の就職を祝うため、故郷の地酒やらお菓子やらを持って、このアパートにわざわざやって来た。


 僕は地元の特産品をつまみに、父さんと酒を酌み交わした。飲酒自体は、初めてではなかったけれど。父さんと飲んだのは、これが初めての事だった。


「なあ、誠一」


「ん?」


「油断するなよ。お前はまだ、スタートしていない。スタート地点に立っただけだ」


 厳しい言葉だ。でも、確かな優しさがある。「勝って兜の緒を締めよ」と。人間が失敗する最大の要因は、自分の成功に慢心する事だ。


「分かっている。社会は、そんなに甘くない」


 父さんとの会話は、それだけだった。「風邪引くなよ」とか「無理はするな」とかの言葉もない。ただ黙って、一升瓶を空にしただけだ。


 僕は眠ってしまった父さんに毛布を掛け、母さんにも僕のベッドで眠るよう言って、一人ほろ酔いの心地よさにホッとしていた。


 二人は、翌日の朝に帰った。


 僕は二人を見送り、来たる入社式に向けて更なる精進を重ねた。


 入社式は、すぐにやって来た。大学の卒論やら、バイトの引き継ぎやらで、時間の消費量が何万倍にも増したからだ。お陰で、大学の卒業式もほとんど聞いていなかった。「人生最後の学校行事が終わった」と。大学の門を出て感じた事は、本当にただのそれだけだった。門の外側には、もっと陰鬱な、「社会」と言う魔窟が待っている。


 僕はあらゆる技術を使って、その魔窟を攻略せねばならないのだ。


「すぅ」と、深呼吸を一つ。


 魔窟の入社式には、僕と同じ新入社員達が並んでいる。彼はみな、門番達のお眼鏡に適った猛者達だ。やや小太りの青年も、神経質そうな眼鏡女子も、会社の未来を創る担い手として、この会社に名前と住所とマイナンバー、そして、朱色に押された判子を捧げたのだ。


 ステージ上に一人の男が現れる。多くの野心家が憧れる高級スーツを着た、正に「現人神あらびとがみ」を体現した男。彼はその鋭い眼差しで、僕も含めた新入社員達の顔をじっくりと見渡した。


 僕は、その眼差しに震え上がった。


 彼の眼差しは、仲間を見つめる眼ではない。暴君が自分の奴隷を品定めする眼だ。「この奴隷は、使える」あるいは「この奴隷は、使えない」と、本能的な眼で相手の能力を推し測っている。


 ……嫌な予感がした。自分の命が見えない鎖でグルグル巻きにされる、そんな危機感が僕の身体に忍び寄ったのだ。「ここにいたら、危ない」と。事実、彼の言った社訓は信じられないモノだった。


「君達が会社に命を捧げる限り、会社も君達の地位を守りつづける」


 君達の地位とはつまり、「正社員」の事だ。多様な働き方が認められるようになった現代でも、やはり「正社員」の魅力は大きい。特に僕達のような新入社員には、一種のステータス、自分に付けられた階級章のように感じられた。その階級章が、自分の人生を守ってくれる。


 新入社員達は(無理矢理ではあるが)、この違法同然の社訓を受け入れた。


 だが……汚泥に塗れた世界は結局、汚泥に塗れた世界でしかない。会社の社訓がああなら、各部署に設けられた事業目標も異常だった。それこそ、労基が聞いたら卒倒するほどに。あらゆる部署、あらゆる人間関係が、腐った液体で満たされていた。


 だから僕達は、頭を抱えた。「こんな話は、聞いていない」と。僕達がここを選んだのは、給料もそうだが、福利厚生がしっかりしていた事と、何より今後の成長が期待できる成長企業だったからだ。それなのに……。

 

 見えない怒りが充満して行く。僕の同じ部署になった奴も……最初は大人しかったが、研修が終わって数日が経った頃には、まるで狂犬のようにギャンギャン吠えまくっていた。


「ふざけんな! こんな会社、今すぐ辞めてやる!」


 上司は睨みこそしたが、彼の行為を止めようとはしなかった。研修が終わったとは言え、彼は戦力にすらならない駒、何の役にも立たない雑兵ぞうひょうと変わりなかった。雑兵の一人や二人が辞めた所で、会社としては痛くもかゆくもない。ただ、離職者の履歴書が汚くなるだけだ。


 僕はその現実に恐れ、周りの同期が次々と辞めて行く、あるいは「労基に訴えてやる!」と怒鳴っても、何も言わずに自分の仕事をただ黙々とやりつづけた。


 彼らの気持ちは、痛いほど分かる。この会社が異常な、所謂ブラック企業である事も。「労基に訴えてやる!」と言っていた奴らがもし、それ相応の証拠を持っていたら、今の環境を改善する事だってできるかも知れない。だがそれでも、僕には「それ」ができなかった。


 「ブラック企業に(運悪く)入ってしまったから」と言って、果たして他の企業が僕を、ついこの間まで学生だったペーペーを雇ってくれるだろうか? それにもし雇って貰えたとしても、その企業が自分にとって素晴らしいモノかどうかも分からない。下手をすれば、ここよりも劣悪な会社に引っ掛かる可能性もある。


 僕は「ここから逃げだしたい気持ち」と「父さんとの約束を守りたい気持ち」との葛藤に苦しみながら、自分の心と身体が明らかに疲弊して行くのを感じた。



 「助けて」の声で目覚めたのではない。枕元で唸る目覚まし時計に、鈍痛が走る胸に、勝手に流れ出す涙に、頭を蹴られて叩き起こされただけだ。両目の涙を拭って、ベッドの上から起き上がる。本当は、辛くて堪らないのに。僕の中にある細胞が、細胞の中にある強迫観念が、僕に「起きろ」と命じてくるのだ。その命に背いたら、お前の人生を奪い取る。お前が大事にしていた火を、明るく灯された未来を、神の一拭きで……そこから先は、言わなくても分かっているな? 


 僕はその声に怯え、フラつきながらも……「あれ?」


 ど、どうしたんだ?

 世界が歪む。

 景色の色自体は、変わっていないのに?

 あらゆる物体が、グニャグニャになってしまった。


 「なっ!」の声も、声にならない。辛うじて触れたテーブルも、溺死者が最期に掴んだわら、沈み行く泥船のように感じられた。


 僕は、本能で感じた。


 命の火が消えかかっている様を、視界のが失われて行く感覚を。論理も理屈も抜きにして、それを反射的に感じ取った。自分はたぶん、助からない。寝間着姿のまま、部屋の床に倒れた僕は、誰かに教えられたわけでもなく、ただ無意識の内にそう思った。


 「うっうう」と、嗚咽だけが響く。嗚咽の中にあるのは、後悔だ。然るべき行動を起さなかった自分への後悔。目先の欲と、ちっぽけなプライドに負けた、情けない自分への嫌悪だけだ。


「父さん、かあ」


 さん、の続きが言えない。謝罪の言葉も、感謝の言葉もみんな、命の火に飲み込まれてしまった。消えかかった火を何とか保とうと、必死に見せた最期の悪あがき。


 僕はその火に手を伸ばしたが、指先が火に触れかけた所で、その火がふっと消えてしまった。

 

 それが僕の見た最期、死の真理を映した幻だった。



 ……幻がいつ、終わったのかは分からない。自分がなぜ、無くなっていないのかも。すべての疑問は、僕の周りに広がる景色、そして、眼前の女性に奪われてしまった。

 

 僕は、その女性に息を飲んだ。

 

 「美しい」なんて言葉では足りない。ましてや、「綺麗」なんて言葉でも。彼女の見せる美は、人間が作った美の形容、それを例えるどんな比喩ひゆにも勝っていた。その隣に座る……おそらくは高貴な人物だろう。その女性よりは幾分俗っぽいが、豪華絢爛に彩られた衣装からは、彼女が(少なくても)庶民ではない、何か特別な地位にいる女性であるのが窺えた。


「あ、あの」と言いかけた所で、その言葉を飲み込む。


 僕は、周りの景色を見渡した。「得体の知れない場所、それに対して何の情報も無い」と言う不安が、僕の知的好奇心を強く刺激したのだ。


 ここが何処なのか知りたい。


 僕は僅かな警戒心を残しつつ、周りの景色をじっと観察した。


 日本の木造建築(平安時代の物に近い)を思わせる壁、その近くに立てられた美しい蝋燭。蝋燭の先には明りが灯っていて、部屋の中(たぶん、ここは特別は部屋だ)を静かに照らしていた。


「う、うううっ」


「怖がる必要はありません」


 どちらの声からは、分からない。

 でも、凄く綺麗な声だった。

 聖女と魔女を足して、二で割ったような声。


 僕は、その声に振りかえった。


 視線の先には、先程の女性。昔話の妖女……いや、天女も知れない。服の色は桃色だが、それらしい衣を身に纏った彼女が、金色の首飾りを光らせて、僕の前にそっと歩み寄った。


 彼女は、僕の顔を見つめた。


 高貴な方(僕が勝手につけた)の女性は、その様子を楽しげに見ている。


 僕は、二人の女性にただただ辟易した。


「あ、あの?」


「折本誠一さん」


 な、なんで?


「僕の名前を」


 知っているんだ?


 そう問いかけた瞬間、女性が僕の身体を抱きしめた。全身に伝わる女性の感触。


 僕は、その感触に心を震わせた。身体に伝わった感触は決していやらしいモノではなく、少年の心を、ずっと昔に忘れてしまった想いを、優しく思い出させてくれるような感触だった。胸部に当たっている彼女の胸からは、女性の持つ慈悲、少年が夢みる無償の愛が伝わってきた。


「ああ……」


 涙が頬を伝った。頬の表面に付いた汚れを、その苦しみを洗い流すように。涙はしばらく、僕の頬を清めつづけた。


「ずっと苦しかった」


 彼女の返事は無い。ただ無言で、僕の身体を抱きしめるだけだ。


「毎日、毎日、仕事に追われて。本当は、すぐにでも逃げだしたかったんだ。今の自分をすてて」


「……そう」


 彼女は優しく笑い、少し手を伸ばして、僕の頭を静かに撫でた。


「折本誠一さん」


 また、名前を呼ばれた。


「あなたは、よく頑張った。だからもう、頑張らなくて良い。極楽浄土があなたの心を癒します。ボロボロになった、あなたの心を」


「え?」と、彼女の目を見つめた。


 極楽浄土が僕の心を癒す? ボロボロになった、僕の心を?


 僕は言葉にできない言葉を飲み込んだまま、少し間抜けな顔で彼女の目を見つめつづけた。



(あとがき)


 拙作、「死んだら異世界に逝く? んなわけないだろう。死んだ人間が逝くのは、地獄か極楽だ(試作版)」を最後まで読んで頂き、本当に有り難う御座います。小説の紹介文でもお書きした通り、本作品は、異世界モノが流行っている昨今、「西洋風の異世界で『俺TEEEE』や『ざまぁ』、『ハーレム』や『スローライフ』等を楽しまなくても、『それら』の要素を含んだ(または、それらのいくつかを含んだ)世界だったら、別に他の所でも良くね? 東洋風、特に日本風の異世界があっても良いんじゃね?」と言うノリで書いた試作品です。あくまで試作品なので、物語は試しの1話分しか載せていませんが、ご好評の場合は、シリーズ化したいと思っています。

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死んだら異世界に逝く? んなわけないだろう。死んだ人間が逝くのは、地獄か極楽だ(試作版) 読み方は自由 @azybcxdvewg

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