第3話 涙
僕はその瞬間あの絵の中に囚われてしまったのかと錯覚した。
何故なら空には見たこともない濃いオレンジ色の月が2つ並んでいたのだから。
明るい月明かりと街並みの所々に焚かれた
夜も早い時間なのだろうか通りを行き過ぎる人の姿もまだ多く、その服装も多種多様なのが見受けられた。
ただ流石にTシャツとジーンズ姿でKEENのサンダル履きなどと言う格好は僕一人で、他から浮いて見えないかだけが気になった。
「とっとと店仕舞いしな、全く使えない娘だよ」
振り向くと野菜を売るらしき店先の商品棚を、必死に店の奥へと引き摺って居たのは尖った耳をしたエルフの少女だった。
小さな身体では木製の重そうな商品棚は動こうとはせず、篝火の灯りに照らされた美しい顔には汗が浮き出し始めていた。
「手伝うよ」
僕は彼女の横に並ぶと棚を引き摺りながらそう声を掛けた。
「あ、ありがとうございます」
必死に陳列棚を引き摺りながら、彼女は申し訳なさそうな顔で僕にそう言った。
「エミリア、片付けは終わったのかい? 全くあんたは役立たずで悪い買い物をしたよ・・・」
そう毒づきながら住居兼らしき店の奥から現れたのは、多少肥り気味のエプロン姿の女店主だった。
「あら、お客さんかい?」
仏頂面で出てきた時とはうって変わった満面の笑顔を浮かべると、その女主人は僕に微笑みながらそう言った。
「いや今晩の野菜はもう買っちゃって、奥さんの所で買えば良かったなぁ・・・良い野菜が揃ってるね」
僕は何故か誤魔化す為に、笑いかけながらそう店主に答えていた。
この世界の野菜が毒になるか薬になるかも分からなかったし、それより何より買おうにも僕にはお金が全く無かった。
「あんたは見ない顔だね。新しく来たのかい? やっぱり魔獣狩りにかね?」
腰に手を当てながら彼女はそう聞いて来た。
「ああ、狩りに越して来たんだ、しかし良い野菜が揃ってる。これからはこの店の世話になるからよろしくね、奥さん」
「あらやだわ、あたしゃまだ独り身の女盛りだわよ。お兄さん」
女主人はそう言いながら溢れんばかりの笑顔でウィンクをしてきた。
「ところでここらの魔獣はどんなだい?儲かりそうな話は無いかな?」
「まあ銀魂と金魂を持つのが半々で、特級魂は先月三匹出た位だね」
彼女はそう訳の分からない説明を返して来た。
「特級魂の時は二人死んだし一人は片腕を喰われちまったらしいからね、まあ無難に金銀クラスを狩るのが利口ってもんだわよ」
狩る魔獣には強さでランクがあるらしいと言う、その情報は貴重だった。
女主人が店を閉めたそうにしている様子だったので退散しようと考えた、それもあと1つだけ聞いてから。
「そうかぁ、どこも似たり寄ったりなんだなぁ。あ、所でこの街の換金所はどこなんだい?」
「銀魂ならそのまま使えば良いし、金や特級ならこの通りの先に行けば看板が出てるからすぐわかるさね」
僕は彼女に礼を言い、再びエミリアと呼ばれていた少女に毒付き始めた主人の声を聞きながら通りを歩きはじめた。
通りにはブラウスやスカート姿、薄手のニットを着た女性も見受けられ、基本的に洋服が用いられているのが見てとれた。
片付けを始めた様々な店を眺めると、その半数程の店が売り子や小間使いにエルフの少女達を使って居た。
察するにこの世界でのエルフは奴隷階級に近い扱いだと思われた。
メインストリートらしきこの通りには、何件もの飲食店らしき看板を掲げた店が在るようだった。
その幾つかから漏れる喧騒にはいかにも酔客らしい下品な単語が時折交ざり、アルコールを提供する店の存在も確認出来た。
賑やかな店へと向かう、剣や槍などの武具を担いだ男たちは一瞥して狩人なのだろうと理解出来た。
その服装は様々で厚手の革だろう鎧姿もあれば金属の甲冑姿の者もいたが、武具を身にしている事でどれも狩人だと判別出来た。
店や土地を持たない僕だから、もしも現代に帰る事が出来なかったなら狩りでもして生計を立てるしか仕方なさそうだった。
「お客さん、ちょっと待って下さい」
後ろから石畳を走るサンダルの音と一緒に、若い女の声がした。 僕の事では無かろうと歩みを止めずに歩いていると僕はいきなり腕を捕まれた。
「さっきはありがとうございました。人に優しくして頂いたの始めてで、それで、あの、これを・・・」
エミリアと呼ばれていたエルフの少女が、恥ずかしそうにそう呟きなごらナプキンに包んだ硬そうなパンを渡して来た。
「気にしないで良いよ。女の子が困ってたら手助けするのは当たり前でしょ」と、僕は笑いながら返そうとした。
「これ、汚なく無いです。今晩御飯に頂いたばかりだから・・・硬いかもしれないけど、わたし、何もお礼する事出来ないから・・・」
エミリアは申し訳なさそうにそう言うと、再びパンを差し出してきた。
「あのさ、まさか、これは君の晩御飯なの?」
「はい。でも汚なく無いですよ、硬いけど美味しいですよ」
エミリアは僕がお礼のパンを受け取ると安心したのか微笑みながらそう言った。
まさかとは思ったがそれでもと思い僕は尋ねた。
「これ、エミリアのご飯なの? まさか晩御飯がこれだけ?」
「違いますよ。今日はくず野菜のスープも下さったし、帰ったら食べますから」
彼女はそう微笑みながら答えてきた。
(この硬いパン1つとくず野菜のスープだけの夕食なのに、エミリアは優しくしてくれたお礼にとそのパンを差し出しているのか?)
たったあれだけの事の為に、さして多くも無いその食事をこの僕に。
「エミリア、それじゃ半分こして二人で食べよう」
僕はエミリアから渡されたパンを二つに割って、片方を差し出した。
「はい」
そう言うと彼女は嬉しそうにそれを受け取った。
街の中を流れる小さな川の欄干に並んで腰掛けた。硬いパンを少しづつ千切りながら口にした。
僕は食べながら彼女の境遇を尋ね始めた。
彼女は南にある小さなエルフの村の生まれだった。
歳は今年の6月で18歳になると言う。 彼女が10歳の時だった、国中でエルフの幼児にだけ感染するたちの悪い風邪が流行した。
治す薬は人間の魔法職の、その一部の上級職にしか作れないものだった。
薬は高価なものとなり、払えぬ者は仕方無く子を売った。
エミリアは「わたしは売られましたが、弟や妹達が元気になったんだから、良かったんです」と、身の不幸を嘆くでもなく明るく僕にそう告げた。
今街で働いているエルフの子達は、その誰もが8年前の疫病で売られた子供達なんだと彼女は言った。
僕は下世話な話だが聴いておかねば居られなくなり、心配ゆえに彼女に聞いていた。
「エミリアは、他人に嫌らしい事とかされなかったのかい?」
彼女は少し俯くと、僕の顔を見ながら明るくこう言った。
「昔裸にされて嫌らしい事をされそうにはなりましたけど。エルフは獣臭くて姦る気にならないと言われ、無事でした」
「ごめんなさい、、近くに座っちゃいましたね。獣臭いでしょ、わたし・・・」
彼女はそう言うと慌てて欄干から立ち上がろうとした。
僕はエミリアの手に触れて、「座ってて」と囁いた。
「おかしいな、僕にはエミリアの良い匂いしかしないんだけどな、、」 と、彼女の束ねた黒髪を手に香りを嗅いでいた。
「お日様のような、優しい良い匂いだよ」
僕はエミリアを抱き締めて、呟いた。
Tシャツを濡らす彼女の涙を感じた。
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