エピローグ

師匠と師匠

「……よし、今日はここまでだな」


「はーい」


「ありがとうございました」


「ん」


 頭を下げるリーリとアルカに頷いてやると二人はいそいそと帰り支度を始めた。すっかり慣れた様子の二人に、何とはなしに感慨深さを覚える。


 思い返せばこうして二人に個別講義をするようになって一年近くが経つ。二人の学年もひとつ上がり、師匠の贔屓目かもしれないが顔つきも引き締まったように思える。


 個別講義で親しく接するようになったからか、普段の講義でも二人とは距離が縮まった気がする。そしてその二人が元気に手を挙げてくれるおかげで、私の受け持つ講義自体も活気が増したというか賑やかになったというか。


 二人にはこうして回路魔術を教えているが、その実私が二人から与えられているものの方が多い気さえする。そのことに多少気後れする部分が無いではないが――。


「せんせー!」


「明日も、またよろしくおねがいします」


「ああ、二人ともいい調子だ。上手くすれば、年が代わる前に最初の術の実践に入れるかもしれんな」


「ほんとですか!」


 リーリが目を輝かせる。アルカも何も言わないながら、ほんのり頬が紅潮していた。二人とも、最初の魔術の実践を楽しみにしているみたいだ。


 ……いや待った。最初? それはまずくないか?


「あー……いやすまん、やっぱりやめておこう」


「うぇ! なんで、どうしてですかせんせー!」


「わたしたち、まだお勉強がたりませんか?」


 一転して不安そうになる二人に慌てて「違う違う」と首を振る。


「いや、あのな。この講義を始めるときにも言ったが、回路魔術は特殊な魔術で、普段の講義でみんなに教えてるものとは別物だ。それは、今日まで学んできた君たちならわかるね?」


 二人が頷くのを確認して話を続ける。


「初等科の卒業試験は基礎魔術ひとつを身につけることだ。君たちが回路術士の感覚に馴染みすぎて魔力の練り方に妙な癖がつくとまずい。普段の講義で使う術を優先して――」


 と、二人が微妙な顔をしているのに気づいて首を傾げた。


「どうした?」


「えっと……」


「いつものこーぎで習った術が使えたら、かいろも使わせてくれますか?」


「なに?」


 聞き返した私にすぐには答えず、二人はお互いに顔を合わせてなにかを確かめるようにふんふんと頷き合うと私に向き直った。


「せんせー」


「見て、ください」


 言うなり二人はそれぞれ手の平を上に向けて右手を突き出した。


「…………!」


「…………!!」


 二人はじっと自分の手のひらを見つめ、それから思いっきりぎゅっと目を閉じた。その瞬間。


 ぼぼんッ。


 二人の手元に、手の平大の火の玉が浮かんでいた。手の平大の火球を生み出すのは初等科卒業試験の合格要件を満たすとされているいくつかの魔術のうちの一つだ。


「二人とも、いつの間に……」


 そもそも二人のクラスは卒業までまだ一年以上ある。普段の講義ではまだ実践に必要なことは半分も教えていないはずだった。


「せんせーが、たくさん教えてくれたので」


「導書のうしろのほうに書いてあること、もしかしたらできるんじゃないかと思ったんです」


「私が教えた? 導書の順序通りに講義は進めているし実践のためには理解だけでなく自分の魔力の感覚を掴む必要があるはずだ。そうそう簡単には……」


「えっとね、そうじゃなくて」


「かいろのこーぎでお勉強したことと、いつものこーぎで教わること、いっしょだなって思って」


「……なんだと?」


 慌てて二人に詳しい話を聞く。二人曰く、私が特別講義でかなり詳細に、時間を掛けて講義している「組み上げた回路に魔術を流す方法」についての説明を聞くうちに、二人の間で自分の体内の魔力を操作する感覚がぼんやりと掴めてきたというのだ。


 そして二人は通常講義で使っている導書の内容が、回路魔術ほどの緻密な操作を必要としていないことにも気がついた。それならばもしかして、と一緒に遊ぶときにこっそり導書で最もシンプルな術の一つとして紹介されていた火球を試してみたのだという。


 一度目で上手くいった訳ではない。ないが、二人とも最初の成功まで十回もかからなかったという。


「なんか、おもってたより」


「ずっとかんたん、でした」


 二人は顔を見合わせて言う。いや、それはまぁ、確かに魔術回路に魔力を通すのはそのまま針に糸を通すような精密なコントロールを求められるもので、それに比べれば通常の魔術というのは非常に大雑把だし、魔力のコントロールもほとんど必要ない。重要なのは出力の調整だけだ。そういう見方をすれば確かに簡単だが、誰でもすぐにできるという訳じゃない。


 実際に毎年、初等科の生徒のうち何割かはこの実技試験でかなりの苦労をすることになるのだ。私やハーシュのように先天的な魔力量に問題を抱えてでもいない限りは繰り返し練習することで出来るようになることだが、それは赤ん坊が立つことを覚えたり、あるいは訓練を経て乗馬技術を身につけるような、感覚を掴むまでに個人差のある技術なのは間違いないのだ。


 もちろん、二人が優秀なのは間違いない。感覚を掴むのが人より早いというのは要領の良さから来るものもあるだろう。しかし、二人は私の講義を参考にしたと言った。


 ……確かに、回路に流すためには精密な魔力コントロールが必要なため、私はハーシュに教えた時から「魔力をイメージすること」を回路魔術の訓練の基礎として重視してきた。二人にも、実践はさせていないがイメージトレーニングのようなことは繰り返し教えてきたはずだ。


 最初の魔術実践で躓く学生の多くは目に見えない「魔力」をイメージする段階、もしくは自分の内側にあるものを意図的に「放出」するという感覚を掴むこと、そのどちらかで引っかかることが多い。

 これまで回路魔術の技法は通常のそれとは別物だと思っていたが、あるいは。



* * *



「なるほど」


 私の話を聞いた学長はふむふむと頷きながら、初等科で使っている導書をめくる。


「すぐに、という訳ではありませんが、導書の内容の一部省略と、実践訓練の指導法を変えられるかと思います。これなら現在の初等科のカリキュラムをかなり短縮できますし、余裕ができれば中等科以降の内容を繰り下げて学ばせることもできます。そうすれば卒業までにもう一段階、学生たちの学びを高める期間が取れるかと」


「そうですね。たしかに、初等科では最初の実践のための訓練期間はかなり余裕を見て確保しています。もしもそれらを縮められるのであれば学院そのものの前進と言えるかも知れません」


 なるほどなるほど、としきりに頷いていた学長が、ついと視線を上げて私の目を覗き込むようにじっと見つめた。


「……なにか?」


「いいえ。貴女のこの提言は学園を運営する私としては非常にありがたいものです。この学院は広く魔術を学ぶものに門戸を開き、そしてなるべく多くを学んで巣立ってもらうための学び舎なのですから、学びの質を高めるための意見はいくらあっても良いもの。ですが――」


 学長の探るような視線に、思わず私も身構えてしまう。彼女に教わっていた頃のような、弟子である私を値踏みするような鋭さを伴った視線だった。


「これは、貴女の身につけた技を一部とは言え皆のものにするということです。貴女の研究が世間に認められる機会ですが、それと同時に貴女と弟子だけのものだった魔術理論が衆目に晒されることも意味しています」


 魔術師としての手の内。一部かもしれないがそれを明かすことになるのだと学長は言う。


 確かに、私はこれまで自分の魔術は異端であることを理由に自分の研究成果は全て手元に留め、論文や著作を残すことを避けてきた。


 ……振り返れば、私は必死だったんだろう。始めは、それが唯一つ、私が私であると証明できるものだったから。そして後には、ハーシュと共に回路魔術の研究に明け暮れた日々こそが私とあの子の最も強い繋がりだったから。


 世に出すほど価値のある研究ではないという自分の言葉に嘘はなかったけれど、価値のない研究というだけなら発表するだけしてしまって、私が参考にした古い文献たちのようにいつ使われるともわからない先行研究としておいても良かった。


 そうしなかったのは、私にとってこの研究は寄る辺だったからなのだろうと、今なら素直に認めることが出来る。


「ありがたい申し出です。けれど魔術の師としてではなく、貴女を見守ってきた一人の人間として、もう一度問わせてください。――本当に、今回のカリキュラム改革を進めてもよろしいのですね?」


 そうか、この人は、私を心配してくれていたんだ。


 師として尊敬していた。魔術師として憧れていた。けれど王都をまるごと覆う結界なんてものを涼しい顔で途切れることなく維持し続けるような存在は、私と同じ魔術師とは思えなくて、だから私はハーシュと出会うまで、ずっとどこかで孤独だった。


 でも本当は、こんなに近くで、私を見守ってくれる人がいたのだ。私の知らぬ間に、知らぬところで、私を見守ってくれた彼女にいま、私が返せる言葉があるとするなら、それは。


「……大丈夫ですよ」


 そうだ、もう大丈夫。私が私であることを何より、誰よりも認めてくれる人がいる。彼女がいるから、私はこうして教え子たちの成長を喜び、師の温かさに気づく事ができた。


「この魔術が無くても、私は私です。それがわかりましたし――毎日、教えてくれるヤツがいますから」


「――そうですか。もう、私の心配は要らないようですね」


 学長はそう言って、険しかった目元を緩めて笑った。目尻に目一杯シワを寄せた、珍しい飾らない笑み。


「長らくご心配をおかけしました、師匠」


「良いのです。弟子が可愛くて心を配るのは、師の宿命ですからね」


「ええ、まったくその通りだったようで」


 知らず知らず、私の口もとにも笑みが浮かぶ。


 互いにくすくすと笑い合っていると、ふいに学長が「ああ、そうですね」と何か思いついたという風に指を組み直した。


「今回のカリキュラム改革は、貴女の主導で進めていただきますが」


「ええ、そのつもりでしたよ」


 何しろカリキュラム組み直しの基礎となる理論が私のものなのだ。既存のカリキュラムの何をどこまで削るのか、それを判断できるのは私だけだ。


「それが上手くまとまったら、理事会で貴女を副学長に推しておきましょう」


「……は?」


「副学長……まぁ、次期学長ですね」


 しれっととんでもないことを言う学長に思わず目を丸くして言葉を失う。


「い、いやあの、私はなにも、そんな大層な人間では」


「イアリー、ここは学び舎なのです。その長には、魔術の素養以上に教育者としての資質が大切ですよ。英雄を育て、長らく続いた学院の教え方に一石を投じた貴女であれば、誰もが相応しいと認めるでしょう」


「それは、ですが」


「これは師として、貴女に与える最後の試験ですよ」


「…………」


 師として。この人がそう言う時は、それ以上私が何を言おうと言葉を曲げることがないのをよく知っている。そしてそれは、私なら遂げられる課題だと彼女が確信していることの証左でもあって。


「――わかりました。師匠の無茶振りに応えるのは、弟子の努めですからね」


「ふふふ、期待しています。あなたが導くこの学院は、より素晴らしい場所になることでしょう」


「あまり期待しないでくださいよ」


「しますとも。貴女はこの大魔女ディフィアンの、一番弟子なのですから」


 そう言って学長――生ける伝説と謳われる偉大な魔術師は誇らしげに微笑んだ。なぜか私の胸にまで誇りが満ちるような、そんな微笑だった。

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