弟子と聖女(と幼女)

「面白くありませんわね」


「何が?」


 待ち合わせの喫茶店で目に付きやすいようにと先にテラス席を確保していたあたしの前に現れるなり、不機嫌そうにアレスはフンと鼻を鳴らした。


「貴女は念願叶って恋人と毎日いちゃいちゃぬるぬる暮らしているのに、私は教会に縛り付けられて滅多に夜の外出も出来なくなっている現状が、極めて面白くありません」


「半分くらいは自分でしてることでしょ?」


「好きでやってるんじゃありませんわ!」


 腰を下ろすや、苛立たしげにコンコンとテーブルを指で叩きながらアレスは文句を言う。普段の彼女は人前でこんな風にわーっと愚痴を吐き出すタイプではないと知っていると、聖女然としたいつもの笑顔よりも幼く見えて微笑ましさすら覚える。もっとも、いつもより幼く感じるのは彼女自身よりもどちらかと言えば――。


「ぅあー!」


 抗議するような舌足らずの声が上がって、アレスの隣に目をやると、アレスと揃いの修道服を着て、アレスと同じようにフードを外した銀髪の少女の首根っこを、アレスが視線も向けずに掴んでいた。


「やーぁ!」


「やーじゃありませんわまったく、勝手にフラフラしないようにといつも言っていますのに」


 その言葉自体は、少女に聞かせるためというより半ば独り言のようだった。アレスは少女が提げているカバンから大きめの手帳のようなものと万年筆を引っ張り出すと、少女を片手で捕まえたまま刺々しい手付きで何事か書きつけると少女の前に差し出した。


「んーな!」


「だーめーでーすーわ!」


 首を振る少女にアレスも首を振ってゆっくりと口を動かす。


「保護者は大変ね」


 あたしが言うとアレスは「はあああああ」と長い溜息をついた。


「恋人もいないのに子守をするなんて思いませんでしたわ」


「でも、人に任せたりしないのよね」


「エリーが私以外には絶対ついて行かないんですもの。拾ってきた責任は取らなくてはなりませんでしょう」


 エリーゼ。アレスがエリーと呼んだ銀髪の少女の名前だ。もちろん名付け親は手帳で繰り返し少女の独り歩きを咎めているアレスだ。


 ちらりと見えた手帳にはアレスの「いいから座ってなさい」「おとなしくしてて」といった走り書きの合間に、不慣れそうな歪な字で「あれはなに?」「あっちいっていい?」などと会話する気のなさそうな書き込みが見えた。


「まったく、人についていかないのは結構ですけれど、そのくせ初めて見るものには何にでも寄っていくんですもの。目が離せませんわ」


「じゃ、あれで落ち着いてもらえるかも」


 あたしがちらりと、丁度こちらのテーブルに向かってきた店員に目をやると、アレスもつられてそっちを向いた。


 運ばれてくるのは、あの日のデートで師匠と一緒に食べたあのチョコレートケーキだ。


「エリーちゃんは甘いの好き?」


「……そうですね、とても」


 ケーキのことが分かっていないエリーだけは不満そうにぷくっと頬を膨らませたままあたしとアレスの間でキョロキョロしている。


 アレスに半ば強引に椅子に乗せられたエリーの前に、チョコレートケーキが置かれる。フォークを置かれてその見慣れない色のふわふわしたものがケーキだとわかったのか、今度はケーキとアレスを交互に見る。


「…………ん」


 アレスは何事か手帳に書き入れると、エリーに見せた。


「……あぃ、あ、あり、がとござ、ます」


「ん、どうぞ」


 拙いお礼を受け取って頷くと、エリーは嬉しそうにケーキを食べ始めた。


「気を遣わせたみたいですわね」


「いいの、アレスの可愛い娘だものね」


「手のかかる娘ですわ」


「否定はしないのね」


「今更ですわね。娘と言われていちいち反論するのも疲れましたし、端からどう見えてるかはいい加減わかりますわ」


「遠回しね、愛してるからでしょ」


「それはもちろん」


 あっさりと頷いてアレスは隣の銀髪を撫でた。が、顔を上げたエリーの口もとが茶色く汚れているのを見てすぐに笑みを引っ込めるとまた手帳でお説教を始めた。


 ……この少女と出会って、アレスは変わったと思う。変わらざるを得なかった、と言うべきかもしれないけれど。


 少しばかり態度や言葉が粗雑になり、微笑み以外の表情を人前で見せることを躊躇わなくなった。聖女のイメージとは違う彼女の言動は教会にとっては頭が痛いだろうけど……ああいや、夜遊びがなくなって安心してるかも。


 母と娘というには少し歪だけれど、アレスはエリーを孤児院には預けず、教会の同じ部屋に暮らし自分で世話を焼いている。耳が聞こえず言葉が話せない彼女を、大勢の子供達を見る孤児院に任せるのは無理だと判断した、というのもあるがそれ以上にエリーの方がアレスの傍を離れたがらなかったというのが理由らしい。


 教会の方でも里親を探したそうだが、耳も聞こえず言葉も話せず文字も習っていない子となると、子供一人を受け入れるだけの余裕があるような家はわざわざそういう子を受け入れたがらないのが現実だ。そうして苦労の末に見つけ出したいくつかの里親候補の家との顔合わせの最中も、エリーはアレスのそばをひと時たりとも離れず、終いには里親候補たち全員が口を揃えて「その子は聖女様と一緒にいるべき」と言ったらしい。


「ね、アレス。あたしが言うことじゃないけど、でも他の誰も言わないだろうから言わせて」


「なにかしら」


「あの日、貴女がエリーと出会ってくれてよかった」


「…………それを、貴女が言うんですのね」


 大好きなアレスの雰囲気が変わったのに気づいたのか、ケーキに夢中だったエリーが隣のアレスを見上げたが、アレスはなんでもないと首を振って彼女の頭をひと撫でするとこちらに向き直った。


「本当ですわね。もしもあの日、この子と出会わなかったら私、いまでも貴女の影を追いかけていた気がしますわ。そんな虚しいことに時間を使う羽目にならなくてよかったです」


「あはは、辛辣。でも本当によかったと思ってるの。だって貴女の隣にいてあげられる人が、ううん、貴女が隣を許してくれそうな人が、誰もいなかったんだもの」


「……そうですわね。貴女はもちろん以ての外、ルティとトマクになにか言われても、私は耳を貸さなかったでしょう」


 あたしには師匠がいて、ルティとトマクも互いを愛している。あたしたちの誰もがアレスを蔑ろにはしたくないし、友として、仲間として彼女を愛している。でも同時に、彼女だけを誰よりも愛すると誓えなかったのがあたしたちで、だからきっとあたしたちがどう慰めても、アレスの心には届かなかった。


 大人の誰かでは、誰かに貰った愛を知っている誰かでは、きっとだめだった。


 アレスが救われる方法はきっと、愛されることじゃなくて。


「けれどおあいにくさま。この子と出会ってしまったんですもの、そんなもしもなんてどうでもいい事ですわ」


 もう一度、彼女が誰かを愛すること、だったのだから。


「ああ、でも」


 と、すっかり失恋から立ち直ったらしい友人をあたしが微笑ましい思いで見つめているとアレスがぐいと身を乗り出してきた。思わず固まったあたしの頬に、ちゅっとアレスが短く口づける。


「私に乗り換える気になったら、いつでも教えてくださいな」


「……悪いけど、彼女が家で待ってるの」


「残念ですわね」


 くすりと笑って、アレスは身を引くと「お花を摘みに」と微笑んで立ち上がった。立ち去り際、アレスは当然ついてくるのだろう、という諦め混じりの視線をエリーに向けた、が。


「…………」


 エリーはなぜかじっとあたしを見つめて動かない。


「珍しいですわね。それじゃ、お願いしますわ」


「はーい」


 アレスは訝しげにエリーの様子を見ていたが、既に彼女のすることについていちいち頓着しなくなっているのかそれならそれでと席を離れていった。


「…………」


「え、と?」


「…………」


 み、見られている。すごく見られている。


 アレスが娘同然に育てている少女、エリーゼ。顔を合わせたことは何度かあるし、アレスとどういう経緯で出会ったのかも聞いている。ただ、彼女は言葉を話せないし、彼女自身が人見知りというか、アレス以外の人と積極的に話そうとしないらしく、あたしはアレスを介してのやり取りしかしたことがなかった。


「……っ、……っ」


 何を思ったのか、じっとあたしを見ていたエリーが慌ただしく手帳に何事か書き込み始める。そしてそれを、ずいっとあたしの前に突き出してきた。


「えーと、あれすはえりーの……?」


 えりーの? あ、「エリーの」ってこと?


「アレスはエリーの、って」


「……んー!」


 じっと見られている。心なしか、いつもより視線も険しい。……もしかして、さっき頬にキスされたのを見て?


「ん、とね」


 あたしは手帳に書いてもいい? と身振りで示すとエリーが頷いたので手帳と万年筆を借りて書き込む。

 えーと……恋人がいる、って伝えればいいかな。メモ帳に「あたし彼女いるから、アレスをとったりしないよ」と書き込んで返す。


「……?」


 ところがエリーは不思議そうに軽く首を傾げると、すぐに手帳に書き込んでこちらに戻してきた。


『かのじょってなに?』


「あー」


 さすがのアレスも、この子の情操教育には気を遣ったのか。んー、と少し伝え方を迷い、結局あたしは『彼女は一番大好きな女の子のこと』と書いて返す。


「……!」


 あたしの書き込みをみたエリーは目を輝かせるとしゃかしゃかと慌ててペンを走らせた。


『じゃあ、あれすはわたしのかのじょ』


 ……なるほどー、そうなっちゃうかー。


 確かに、いまのエリーにとって一番大好きなのはアレスなのだろう。彼女、恋人というのは両想いである必要がある。あるのだけど、アレスが彼女に注ぐ愛は親代わりの愛情だ。エリーがどういう気持でアレスを慕っているにしろ、ふたりが今の時点で恋人であるとは言えないだろう。


 ただ、大好きの気持ちにも種類があることをどう説明すればいいのかわからない。種類は違えどアレスがエリーに注ぐ愛情だって確かなわけで、あたしが余計なことを言ってエリーがアレスの愛情を疑ったりしたら、と思うとあまり適当な答えを返すわけにもいかないし……。


 迷った挙げ句、あたしは短く一言書いて、エリーに手帳を返した。


「……! んー! んぇっ、るぅ!」


 満足気にぴょこぴょこ上下に動くエリーが可愛い。思わず手を伸ばして撫でてやると、抵抗もなく頭をあずけてきた。おや? と思っている間に、アレスが戻ってくる。


「珍しいですわね、エリーが私以外に触れられるのを許すなんて」


「おかえり。あたしもちょっとびっくりしてるとこ」


「ん! んー!」


 戻ってきたアレスに、エリーが手帳を押し付ける。あ、ちょっと待って今の会話――。


「なになに………………は?」


 アレスが、聞いたことのない低い声を出した。


「……え、とあの、アレス、それはほら、言葉のあやというか、さ」


「ええ、わかりますとも。確かに難しい問題ですわ。私も、エリーにはまだ早いと思い、夜遊びもやめて、そういった話題から遠ざけてきたのがいけなかったのでしょう。もう少し、この子には色恋のことも教えておくべきだったかもしれません」


「い、いやいや、それはほら、アレスのタイミングもある、だろうしね?」


「ですが、これはいい加減すぎると怒ってもよいのではないかと、私思うのですけれど」


 ス、とアレスがあたしが最後に書いた一言を指差す。そこには一言。


『そうだね』


 とある。念のため確認すると、その前のエリーの書き込みは『じゃあ、あれすはわたしのかのじょ』である。つまり――。


「いつの間にか、私はこの子の彼女にされているのですけれど、申し開きはありますかしら?」


「い、いいえ……」


「今日は全部貴女のおごりですからね」


「はい……」


 まったく、と呆れのため息をつくアレスに平謝りしながら、ちらりとその横であたしたちのやり取りを不思議そうに見つめているエリーを見る。


 いままで、あたしが撫でようと手を伸ばしてもすぐにアレスの後ろに隠れてしまっていたエリー。アレスの口ぶりからすると、他の人にも同様だったらしい。あたしとは何度も顔を合わせているから慣れたというのもあるかもしれないけれど、態度が変わったのは手帳のやり取りをしてからだった。


 もしかして、この子は他の人に懐かないというよりも、アレスを取られないか警戒している、のだろうか。


 だからアレスの近くにいる他の誰にも寄り付かない。いつもアレスのそばにいるのは、アレスがいないと不安だとかいう話ではなく――アレスが誰かと親しくなるのを、警戒して見張ってたんじゃ……。


「んー!」


 あたしとアレスの様子に構わず、上機嫌に手帳を眺めているエリーは、それだけ見れば幼くて無邪気な女の子なのだけど。


 ……アレス、これから大変かもね。


 未来の友人に少しだけ同情しつつ、でも、それはきっと幸せなことなのだろうなと思う。


 お互いに愛し合うこと。それは時にはあたしと師匠のようにすれ違うこともあるかもしれない。上手くいかないことがあるかもしれない。でも、二人が想い合っているのは間違いなくて、それはきっとどんな形であれ実を結ぶはずだ。


 あたしと師匠が、遠回りの末に気持ちを通じ合わせられたように。

 あたしとアレスが、今もこうしてじゃれ合っていられるのと同じように。


 二人の間にもそんな確かな何かが芽生えている気がして、あたしは自分のことみたいに嬉しくなった。




********




次回、最終回です。

最後はもちろん、師弟のお話の予定です。

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