時間つぶし(後)

「……だったらやっぱり、お酒かしらね」


 酒なら、はじめから誰の代わりでもない。

 思い立って最初に目についた酒場に入ろうと足を向けたところで、ふとその戸口に蹲る小さな影が目に留まった。


「うぅ……う……」


 酔っぱらいかとも思ったが、いい大人が突っ伏しているにしては小さい。というより、蹲っているのを差し引いても小柄だ。まるで子供みたいに。


「もし、どうかなさいまして?」


 蹲る影に声をかけてみるが、反応はない。うう、ううと呻くばかりだ。

 周囲を見回してみると、向かいの店に立った顔なじみの一人が私とその影に気づいたらしく、こちらへ渡ってきた。


「残念だけどアレス。その子、別に客を取ろうって訳じゃないみたいよ」


 開口一番、そう言われて改めて小さな影を振り返る。やはり子供らしい。


「いつからここに?」


「さあね。アタシらが仕事を始める頃にはもういたよ。そこの店主も困ってたみたいだけどさ、呻くばっかりでなんにも言いやしないから、放って店を開けたみたい。何人か声かけてるやつがいたけど、全部無視してたよ。無視っていうか、聞こえてないみたい。何の反応もしてなかったしね」


「そう、ですの」


 面倒くさい。そう思った。見つけてしまった以上、放ってはおけないじゃないか。なんで、わざわざこんな風に私の気が重い夜に、わざわざ私の足を運ぶ店先で丸まっているんだ、と思いつつ、結局私はその小さな影の傍らにしゃがみ込んだ。


「もし、もし」


 声をかけながら、軽く背を叩いてやる。すると今度はゆっくりと、その影は身を起こし、振り返った。


「……まぁ」


 思わず声を上げたのは、それが年端もゆかぬ少女だったから、というだけではない。少女の瞳が、見覚えのある、珍しい薄灰色だったからだ。


「……あなた、どうしてこんなところに?」


 問いかけるが、少女はぼんやりと焦点の合わない目をぱちぱちさせる以外、これといって反応を見せない。何かを求めるでも、逃げるでもなく、そこに座り込んだまま動かない。


 背格好を見るに、歳は十と少しくらいか。痩せているので食事に窮するような暮らしだとしたらもう少し上かもしれない。教会に併設された孤児院で見かける子どもたちを思い出しながら、当て推量で年の頃を窺う。


 瞳はくすんだ薄灰色。髪色はこの辺りでは珍しい黒で肌は浅黒い。我らが魔賢者と同じ色の瞳に、勇者と同じ色の髪、褐色の女戦士と似た肌の色。人種と言おうか国籍と言おうか、何かいろいろとちぐはぐな見た目の少女はどういう訳か私の仲間たちと似た特徴を揃えていた。


「もし? 聞こえていますの?」


 繰り返し言葉をかけるうち、ぼんやりしていた少女の視線がゆっくりと私の顔を捉えた気がした。


「ぅ」


「う?」


「ぅあ。あー」


「……なんです?」


「あぇ、ぅ、ぅー。あー、えーぁ」


 少女は自分の耳を指し、ぅーと首を横にふると、次いで自分の口を指差し、えーぁ、とまた首を横に振った。


「話せない? いいえ、聞こえないから話せない、のかしらね」


 そう呟いた私の声も、もちろん聞こえていないのだろう。少女は私の呟きには何の反応も見せず、またぼんやりと私を見つめている。

 どうしたものかと首をひねっていると、ぎゅうと彼女のお腹が情けない声を出した。


「お腹が空いていますの?」


「れぇー」


 彼女は私の顔を見て、ふるふると首を横に振った。


 会話――というには一方通行ですけど――の流れからすると、そうじゃない、の意思表示にも思えるが、そもそも目の前の少女はおそらく言葉が聞こえていないし、話せない。言葉を認識できないなら、唇の動きでこちらの発言を読み取っている訳でもない。


 ということは、彼女が首を振っているのは多分「なにも聞こえない」「言っていることがわからない」の意思表示以外の意味は持たないのだろう。


 ぎゅう、とまた彼女のお腹が鳴いて、少女は「うぅ」と蹲った。


「なんのことやら、だな」


 少女と私の様子を見ていた女がお手上げだとばかりに首を振る。まぁそうだろう。少女の反応ひとつひとつの意味をきちんと考えなければ、何をしてあげようとしても首を横に振られるだけなのだから。


「お腹が空いて行き倒れるなんてこと、今の王都でもありますのね」


「え、でもこの子腹減ってる訳じゃないんだろ?」


「首を振ったのは、何も聞こえてないからですわ」


 私の言葉にぽかんとした顔を浮かべた彼女は、少し間をおいて理解したのか「あ、ああなるほど」と頷いていた。


「仕方ありませんわね。少し、この子を見ておいて頂けます?」


「いいけど、どうするのさ?」


「これでも聖職者ですからね」


 私はそれだけ言うと一度酒場に入り、店主に二階の宿の空きを尋ねた。空きがあることを確かめると一部屋頼むと告げて、それから酒はいいからつまみをいくつか運んでおいて欲しいと頼んだ。


 店の前に戻ると、少女は相変わらず蹲って呻いている。


「うぅ、ぅー」


「早かったね。どうするのさ?」


「今夜は私が面倒を見ますわ。明日になったら、教会へ連れて行きます」


「さすが聖女さまだ。その子と寝ないなら、ついでにあたしも買っていかない?」


「魅力的なお誘いですけれど、遠慮しますわ。私、子供に見られながら寝る趣味はありませんの」


「ちぇ、こんなちっこい子に上客持ってかれるなんてショックだよ」


「ふふふ、そんなこと言って。貴女ならすぐに良いお客が見つかりますわ」


「それ、神様が言ってんの?」


「ええ、神は仰っていますわ。貴女は素晴らしい器量をお持ちですから、今宵はどなたと床をともにしても昼仕事より良い稼ぎになるでしょう、と」


「ひっどい神様」


 けらけらと笑うと、彼女は少し真面目な顔になって私と蹲ったままの少女を見比べた。


「……なにか?」


「いや。そうやってると、本当に聖女様みたいだなってだけ」


 またね、と手を振って彼女は客引きに戻っていった。

 聖女様みたい。つまり私は、聖女ではない。知ってたけど。


「当たり前のことですわ」


 当たり前のことを改まって言われたものだから、思わず笑ってしまった。


 ひとしきり笑って気が収まると、私は蹲っている少女の背をまたとんとんと軽く叩いた。彼女がぼんやりとした目に、もう一度私を捉える。


 言葉は通じないとわかったので、私は黙って店の戸口を指差す。少女は私の手と戸口との間で何度か視線を往復させて、ゆるゆると力なく首を横に振った。入れてもらえないと思っているのか、お金の概念は理解していて、無一文であると言っているのだろうか。


 どうすれば伝わるだろうかと首をひねって、結局面倒くさくなった私はさっさと少女を抱え上げた。


「ぅあ、あー」


 少女はもぞもぞと軽く身じろぎしたが、抵抗らしい抵抗はしない。身につけているのは質の良いものではなかったが、さりとて旅の途上、治安の劣悪な街で見た路上の子どもたちのようなボロという訳でもない。どこかの家で暮らしていたが訳あって捨てられたか、或いはごく最近どこからか逃げ出してきたのならこんな感じだろうか。


 背格好から感じた印象通り、少女の身体はひどく軽く、私でも簡単に持ち上げることが出来た。彼女を抱えたまま店に入ると、店主は驚いた顔をしたが納得半分、諦め半分といった様子で私達を二階の部屋に通した。

 そこには既に、ありあわせと思われるつまみがいくつか用意されていた。


「よい、しょ」


 少女をベッドに降ろして座らせると、私はつまみの皿が乗った小テーブルを少女の前に移動させる。


「ぅ」


 ぎゅう、と少女のお腹がまた鳴いた。彼女が皿と私を交互に見つめるので「どうぞ」と頷いてやると、彼女はおそるおそるソーセージに手を伸ばす。ゆっくりとそれを掴み上げてから、また窺うように私を見たので、もう一度頷く。それでようやく自分が食べていいのだと確信したのか、少女はそれまでの緩慢な動作が嘘のようにつまみをもしゃもしゃと口に押し込み始めた。


「ほら、焦らなくてもたくさんありますわよ」


 聞こえていないとわかりつつも、あまりといえばあまりな勢いで無作法にがっつく少女に思わずそう声をかけてしまう。もちろん聞こえていないので、彼女は顔も上げない。


 私も小皿に取り分けて揚げた芋をもくもくと口に運びつつ、時折喉をつまらせる少女に水を飲ませながら見守ること十分ほど。用意されたつまみをキレイに平らげた少女は「けぷっ」と品のないげっぷをして食事を終えた。


「ごちそうさま」


 私が手を合わせてお決まりの祈りを唱えていると、彼女が不思議そうにこちらを見ていたので、なんとなく彼女の両手を祈りの形に合わせてやる。すると祈りの言葉こそ無かったけれど、彼女は私の見よう見まねで祈りのポーズをしてみせた。


「よくできましたわ」


 頭を撫でてやると、それまでぼーっとしていた彼女の顔に、ようやく表情が浮かぶ。嬉しいような、気恥ずかしいような、落ち着かない様子できょろきょろと視線を彷徨わせると、彼女は両手で私の手を押しのけて、そそくさと部屋の隅に逃げてしまった。


 どうするのかと見守っていると、何をするでもなく部屋の隅に座り込んで、ぼーっとなにもない空間を見つめ始める。


 空腹が満たされたからか時折「くぁ」とあくびをしているが、堂々と部屋の半分ほどを選挙している、先程まで腰掛けていたベッドには目もくれない。ベッドで眠る習慣はないらしい。


「まったく、ひとつひとつこれですのね」


 私はため息一つ、店に入る時と同じように少女を抱えあげると、ベッドに降ろしてやった。少女はやはり抵抗らしい抵抗はせずされるがままになっている。が、ベッドに降ろしても横にはならず、じっとこちらを見返している。どうしていいかわからないのだろう。


 言葉が通じないのだから、言っても仕方ない。


「……まぁ、今日は私も疲れましたし」


 他に、することも、考えたいことも、思い出したいこともないし。

 私はいつもの修道服をあっさりと脱いで床に放り出し、肌着だけの姿になると少女が座り込んでいるベッドに潜り込んだ。


 彼女がじっと私を見ているので、ひょいと掛け布団をめくってやると、何度か私と掛け布団とを見比べながらおずおずとベッドに入ってきた。


 よろしい。あとは勝手に、眠気がこの子の意識を沈めてしまうだろう。

 そう判断して、私はさっさと目を閉じた。眠れるかどうかは彼女次第。そこまで面倒を見てやる義理はない。


 しかし私の意識が落ちるより早く、すぅすぅと小さな寝息が聞こえてきた。片目を開けて確かめると、少女はこちらを向いて小さく蹲ったまま目を閉じていた。


「寝付きは良いんですのね」


 私はといえば、行為のため以外に誰かと一緒に眠った記憶がなく、その違和感にとらわれてなかなか意識が沈まなかった。……起きていても、余計なことしか考えないのに。


 やっぱり今からでも表へ出て馴染みの女の子に声をかけようか。そう思って身を起こそうとすると、肌着を引っ張られる感覚があった。


「あら」


 見れば、寝息を立てる少女の片手が、私の服を掴んでいる。多分眠ってから無意識にそうしたのだろう。子供というより赤ん坊みたいだ。


「……仕方ありませんわね」


 起こすのもしのびないかと、私は渋々布団に戻った。


「…………はぁ。何をしているんでしょうね、私は」


 恋敵に喧嘩を売って、束の間の恋人に振られて、帰ろうとした教会で小言から逃げて、酒か女で忘れようとしたのに、なぜか見知らぬ少女と並んでベッドに入っている。どうしてこんなことになっているのか、知っている人間がいるならぜひとも問い詰めたいところだ。


 でも、見つけた以上放っておく訳にはいかなかった訳だし、と自分に言い訳する。別に悪いことをした訳でも無いのだけれど。


「……そういえば、この子は誰でもありませんわね」


 誰でもいい誰かと寝たい。ここへ来る道すがら、そう思ったのを思い出してくすりと笑う。私の知る「誰か」の特徴をちぐはぐに持っているくせに、その誰でもなく、言葉もなく、誰とも名乗らない。誰かであって誰でもない、それは確かに目の前の少女を示す言葉のように思えた。寝る、の意味が素直すぎたけれど。


「……天啓かしらね」


 知らず心に浮かべた「誰でもいいから抱きたい」という言葉が神の啓示だとしたら、やはりそれは「ひっどい神様」だろうと思う。でも、私のような人間でも聖女になれるような教えの神なら、そのくらい大雑把で手頃で捻くれているのも納得だった。


「せっかくのお言葉なら、従わないわけにはいきませんわね」


 そう呟いて、私は少女の小さな身体に身を寄せ、起こさないようそっと抱きすくめた。

 私が内心でぼやいたのは「抱きたい」だったのだから、それが神の啓示なら、ちゃんと抱かないといけませんものね。


 少女の小さな身体と、思いの外高い体温を感じつつ、私もゆっくりと目を閉じた。

 寝心地の良いベッドではなかったけれど、夢は見なかった。

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