三度目の
「たまにはこういった出し物も悪くないと思いませんこと?」
「そうかもね。あたしたちは3年も一緒にいて、こういう時間を過ごさなかったわけだし」
当たり前のことでは在るけれど、あたし達はあの旅の最中こうした娯楽の類に触れることはなかった。機会が全く無かった訳ではない。毎日、休む間も無く戦っていたという訳でもなく、むしろただ歩いているだけの時間の方がずっと長かったし、襲われる不安のない平和な街で過ごす夜も幾夜もあった。
そんな夜の中で、旅一座や劇場を目にすることがなかったなどということはない。なんなら、お祭り気分のお気楽な村に宿をとったこともある。
でもあたしたちはそれらに加わらず、参加することもしなかった。あたしとアレスだけじゃない、遠方出身で見るもの全てが珍しいであろうルティとトマクさえ、それらに加わることを口にしなかった。お互いそのことについてほとんど話題にはしなかった。けれどなんとなく、お互いにそうしない理由もわかっていた。
多分それは、日常だったから。
祭事や娯楽は、人の営みが続くからこそのものだ。あたしたちはそれを守るために戦っている。それらを庇い、それに背を向けて戦っている。営みを外れるのは強いからじゃない。むしろあたし達は、自分たちの強さを信用していなかった。
死ぬことは怖くなかった。あたしも、きっと多分、みんなも。いや、怖くなかったというのは少し違うかな。でも覚悟はしていた。
でも、守れないことへの恐怖だけは逃れようもなくて。
夜目の効くトマクはいつも、震えるルティを守るように抱いて夜の番をしていた。ルティはいつも気丈に振る舞っていたけれどあたしたちの中では最年少であり、そして最も重責を担う「勇者」だった。
ルティはいつも、眠りながら「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返していた。
――わーが、まもれんきーて、ごめんなさい。
守るものの大きさをこの子は知ってるんだよ、とトマクは言った。恐れの大小はあれどきっとあたしたちみんな同じで、自分がその背に庇うものの大きさを、何よりも恐れていた。
あたしたち四人で、世界なんて大きすぎるものを背負うのが怖かった。
あたしは師匠ひとりを守ると言い聞かせて重責を誤魔化し、ルティとトマクは互いを守るためと前だけを向くことにした。アレスは、女の子との行きずりの関係の中だけで誰かと繋がることで、自分の世界を小さく閉じた。
あたしたちはそうやって、世界という重圧から逃げていた。
その必要がなくなった今、あたしたちはどうやって生きていくべきなのだろう。
「……楽しい観劇のあとで、ずいぶん難しい顔をするんですね」
「え?」
俯いていた顔を上げると、アレスがいつものように微笑んでいる。
「いいんですよ、もうそんな風に考えなくても。私達の旅は――戦いは終わったんですもの」
「終わっ、た」
その通り、旅は終わった。だからあたしは師匠に会いに行って、それで。
「貴女の師匠のためだけに生きる必要は、もう無いんじゃないですか」
「…………」
そんなつもりじゃなかった。でも、アレスの言葉に咄嗟に違うと言えなかった以上は、そういうことなのかもしれない、と思ってしまう。
あたしは師匠のために生きることを言い訳にしていたんだろうか。
「どうしてそう難しく考えるんですの。あたし達は生きて戻った。これからも生きていける。時間はたっぷりありますわよ」
「先送りにしろって言いたいの?」
あたしがじとりと睨むとアレスは肩をすくめた。
「少しくらいよそ見をしたって、誰も咎めませんわ」
「よそ見?」
「たとえばこんな風に」
す、とあまりにも自然な様子で、身を引く間も無かった。
「――ん」
アレスの甘えるような息が鼻からこぼれた。突然何を、と驚きを言葉にするはずの口はアレスの唇に塞がれて、思わず開いてしまった口に滑り込んできた舌に歯茎を舐められた。
「っぷぁ――、なに、急に」
「急じゃありません、やっと、ですのよ」
「アレスの女遊びにいまさらどうこう言うつもりはないけど、これはちょっと悪趣味なんじゃない? 仮にもあの旅を共にしたあたしを、遊びに誘うなんて」
「遊びじゃありませんもの、問題ありませんでしょう?」
「……遊びじゃないって」
「もう一度すれば、わかっていただけますかしら?」
「ん、ちょっ、んん!」
アレスの深いキスを逃れようと身を捩るけれど、彼女は劇場前を行き来する人々を気にもせず、むしろ見せつけるようにあたしの頭を押さえてまで口づけを深める。
「やめ、て、んっ、アレスッ!」
「っん、あっと」
思わず突き飛ばすと、アレスは数歩後ずさる。けれどそれだけ。ぺろりと自分の唇を舐めて「おいしい」と呟いた。
「なに考えてるの」
「これでも我慢したんですのよ。旅が終わるまで貴女の希望を奪いたくなかったから、ずっと」
「そんな、あたしには、師匠が」
「もういませんでしょう?」
「…………」
「私のことは嫌い? 受け入れられないかしら」
「それは」
「私の言葉は信用なりませんか? それなら、神に誓っても構いませんわよ。貴女が私を見てくれるなら、私も貴女だけを見つめます。一夜の恋など捨てます。貴女のために生きますわ」
あの遊び人が口にするとは思えない言葉に思わず彼女の目を見返すけれど、アレスはいつものように穏やかに微笑んでいるだけだ。
「なんで、そこまで」
「貴女を見て、私は恋を知ったのです」
恋多き女。自らそう嘯いていたアレスは、微笑を崩さないままそう言った。
「恋なんて愚か者のすることだと思っていました。いつも、誰もが恋に裏切られて泣いていましたわ。でも貴女だけは違っていた。貴女は恋の終わりではなく、そこへ向かう道こそを理由に生きていましたもの」
「あたしは、別に」
「恋するために恋するでなく、愛されるために恋するでなく、生きるために、前に進むために恋をする人を初めて見ましたわ」
そんな大層なものじゃない。あたしはただ、師匠のいる世界を守りたかっただけ。師匠の生きる世界に、あたしの居場所が欲しかっただけ。
生きていきたいと思える場所を、欲しがっただけ。
「私にとってその場所はハーシュ、貴女の隣なのですわ」
「あたし、の」
「ねぇ、ハーシュ。もしも貴女の恋が破れてしまったというのなら、貴女が共に生きたい誰かが手に入らないのなら。私ではいけませんか?」
「そんな、そんなの」
いい訳がない。誰かの代わりなんていない、誰かが変わりになんてなれない。師匠の代わりなんてどこにもいない。
――でも、アレスの代わりだっていない。
師匠のために生きていきたくて、でもそれが叶わなくて。あたしに残った大事な物は多くない。
あの人を想って生きたあたしのように、あたしを想って生きたいと言ってくれるのがあたしの大事な人なら。
「私は、ハーシュの隣で前を向いていたいんですの。貴女が俯いているなら、私が引っ張ってでも、前を向かせますわ。貴女が教えてくれた恋で」
「…………」
頷くことも、受け入れると言葉にすることもできず。
でもあたしは――。
「……ん」
三度目の口づけを、拒まなかった。
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