あとどれだけ、
翌放課後、研究室にて。
「さて、これから君たちに教えるのは、非常に特殊な魔術だというのは昨日も言った通りだが、そのことは改めて確認させて欲しい。少々特殊ではあるし、この方法により適した術、あるいはこの術式でしか発動できない術もある。あるがしかし、だ。ほとんどの場合この術を用いるよりも汎用性の高い術を君たちはもっと簡単に身につけられる。だからこの術は、君たちが普通の術ではどうしても解決できない問題があったとき、その解決策の一つとして初めて思い出すくらいでいいものなんだ」
「…………はい!」
うん、ごめんな、難しかったな。思い切り首を傾げてから元気な返事をしたリーリと、じっと私を見つめたまま微動だにしないアルカを見て、半分も伝わっていないと悟る。
「……まぁ、とにかく。普段の講義で教えるものが魔術の基礎だということは忘れないでもらいたい。この特別講義で教えることは、しばらくはこの講義以外で使わないものだと思っていてくれ」
「はい!」
「わかりました」
「よし、ではまずは基本の理論からだが――」
私がそう言うと二人ともがメモの体勢に入る。初等部の講義では座学と板書の形式は基本だが、今回はそのつもりではなかった。
というか、私は私の最高の弟子に、座学なんてほとんど最低限しかしなかったしな。
「二人には、まずこれを見て欲しい」
ぼっ、と指先に火を灯して見せると、二人は驚いた顔で私の顔と指先の炎とを交互に見つめる。
「せんせーが」
「ふつーのじゅつ使ってる……」
お、おう……その反応はそれはそれで落ち込むな。これは決して普通の術ではないが、あの賭け試合で見せたような派手なものではないし、彼女たちのはごく普通の術に見えているのだろう。
「残念ながら、私は君たちが学ぶようなごく一般的な術はほとんど使えないよ。だからこれも、これから二人に教える私とハーシュの術と同じ理論で発現したものだ」
「わたしたちのとは」
「ちがうん、ですか」
二人とも信じられないという顔で私の手元を見る。まぁ、彼女たちは一般的な魔術理論もまだ基礎の段階で、見たことはあっても自分のものとして使ったことがある訳ではない。魔術という点では同じものを感覚的に見分けるにはまだ経験が無さすぎるか。
「私が使うのは魔術回路を用いた術だ」
「まじゅつ」
「かいろ」
常に二人セットで喋るのは癖なのか、キレイなコンビネーションである。
「通常、魔術を放つ際に必要な手順が何だったか、覚えているか?」
「はい! まずはほーしゅつてんをイメージして」
「ことばにまりょくをこめて、となえます」
「よろしい」
放出点の形成と詠唱。通常はそれが基本だ。先人が完成させた発動詠唱は体内の魔力に
だが魔術回路を用いるなら、自分の意思で魔力と言葉を操り、言葉という回路に魔力を走らせ、イメージする形に練り上げなければならない。その過程は通常の魔術とは比べ物にならないほど複雑で、深い集中を必要とする。
そうしたイメージを言葉だけで伝えるのは、幼い二人にはまだ難しいだろうということも加味して、言葉と、そして実演も含めて指導することにしたのだ。
「まずはこれを修得してもらう」
がっかりされるかとも思ったが、二人はこれほど小規模な術を見たことがないのか、興奮というよりは興味津々といった風で、少なくとも「こんなものつまらない」と思われていないだけホッとした。
「これは見た通り地味で小さな術だが、理屈は同じだ。つまり、これができるようになれば私が訓練場で見せた技も、ハーシュがやったことも再現できるようになる」
その先は自分なりの詠唱を組み立てるだけの理解と、回路に流す自身の魔力を操る集中力の勝負であり、教えるとか教わるとかの世界ではなくなっていくのが回路術士の宿命だ。……なんて、過去の先人以外では私とハーシュしか知らない私が言うのもおかしな話だが。
「魔術回路とは詠唱と似て非なるもの、あるいはより緻密な詠唱だと思ってもらえればいい。普通は言葉と感覚だけで大雑把に制御している魔力を、さらに細かく自分の意志でコントロールするのがこの方法の特徴であり、いちばん重要な技術だ」
難しいが、その分小回りも効く。私やハーシュは必要に迫られてこの方法を選ばざるを得なかったわけだが、私が最初に読み漁った希少な魔術回路の先行研究はその緻密さに着目して研究されたものが多い。
「だから、自分で術式を組めるようになればこんな風に――」
私は言いながら炎を灯した指先をくるくると渦を巻くように動かしつつ魔力を流し込む。本来は詠唱で魔力の流れを制御するのだが、はるか昔に習得したこの術なら迷わず無詠唱でも発動できる。
「わぁ!」
「すごい……!」
小さな炎の渦からひょこっと顔を出した羽の生えた小さな人型を見て二人が目をキラキラさせて身を乗り出す。おとぎ話に語られる妖精をイメージしたそれは、私の指を離れて二人の回りをくるくると飛び回る。
触ろうと手を伸ばしたリーリが「あつっ!」と慌てて手を引っ込めたが、その後不思議そうに自分の指を見つめた。
「熱いと感じるだけの熱はあえて発しているが、基本的には魔力の塊だ。炎としてのエネルギーは持っていないよ」
私の言葉に合わせて、自分が喋っているみたいに妖精はふりふりと身振りをつけてみせる。私が直接操作している訳ではなく、あらかじめ用意して組み込んであった術式が私の声に反応しているだけだ。模擬戦でハーシュに見せた技もそうだが、私は基本的に発動後の術を細かく制御するよりは、事前の回路を念入りに調整して発動後は放り出してしまうタイプだ。
もちろん、その気になれば後から制御することもできるし、簡単な術なら術者とは別の人間に制御権を譲渡することもできる。
妖精は二人の頭上をくるくる回ったのち、一度ずつ二人の鼻先をかすめて「あっつ!」と思わず鼻を押さえた二人を見て笑うように身体を揺すると、その場でくるんと一回転。ぼうっと音を立てて燃え上がったかと思えば、わずかに火花を散らして消えた。
「――とまぁ回路を自分のものにできれば、こんなこともできるようになる」
もっとも、できたから何だという話だが。魔術師に求められるのは、もっと偉大な力だ。魔王を討伐したり、王都の結界を一人で維持したり、そうした魔術師こそが讃えられ、認められるべきで、こんな風にいたずら妖精を作って操ることができたところで、誰の役に立つわけでも、誰に必要とされるわけでもない。
「…………すか」
「ん? すまないリーリ、なんだって?」
「わたしにも、いまのできますか?」
いつになく真剣な顔のリーリに思わずたじろぎながら「ああ、まぁこれくらいなら基礎からの応用、くらいの範囲で、専門研究というほどでもないが」と若干しどろもどろながら答えると、思わずといった風にがたんと椅子を跳ねさせてリーリが立ち上がった。
「わたし、ぜったいに今のまじゅつを使えるようになりたいです!」
「あ、ああ。術式自体は私の作ったものを真似ればいい。自分用の調整は必要になるだろうが、回路の基礎さえ身につければ、これくらいは難しくないはずだが……」
私のように無詠唱自動化まで組み込もうとすると回路が複雑化して面倒なことになるが、さきほどの妖精を形作って自分で操るだけならそう難しくはないはずだ。
「……とはいえ、これは応用だ。まずはこうして」
私は改めて指先に火を灯してみせる。
「一つのシンプルな術を完成させることを目標にしてもらう。初等科の通常の講義では、最後に各人ひとつ、初級の魔術を発動させられるところを目標にしているからな。この講義でも、君たちには初等部のうちにこの火を扱えるようになってもらいたい」
「……ようせいさんは、せんせーはおしえてくれないの?」
アルカが少し不安そうに言うと、リーリもハッとした顔で私を見上げる。そうか、この子たちにとって私は「初等科の先生」だからな。初等科を出るまでの間に教わらないといけないと思っているのか。
「心配しなくていい。二人が初等科を出たあとで、まだ続きを学びたければこの研究室に来たまえ。君たちが私の教え子だという事実は、初等科を卒業したからといって変わるものではないよ」
「わっ、わかりました」
「はい」
安心したような、すぐにさっきの術を教えてもらえないことを不満がるような二人の様子に苦笑しつつ「もちろん、最初の課題を早くクリアできたらその先も教えてやるさ」と約束すると、二人は背筋を正して「どうぞ講義してください」という姿勢になった。素直でよろしい。
「さぁ、それでは最初の講義だ。まずは魔術回路というものについて基本的なことを教える。回路術士にとっては基礎であり、同時に終わりのない命題でもあるもので――」
* * *
「――つまりここで言う回路とは魔力を流す道筋のことだ。発動したい術に合わせた自分だけの回路を組み上げるのが回路術師の腕の見せどころだ」
……一日空けて、どんな顔で師匠に会いにいけばいいのかわからないという気持ちに、単純に師匠に会いたい気持ちが勝った。賢者なんて言われているけれど、旅での経験と魔術に関しての知見以外では同世代の人間と何ら変わらないあたしに、どうすれば師匠の真意を知ることができるのか、告白を
悩んでいる間にも師匠がどうしているか気になって、少しはあたしのことを考えてくれているだろうかと欲張りな願いが脳裏にちらつきもした。
あたしは師匠にフラれたんだから、そんな風に都合良く考えちゃだめだと言い聞かせていたつもりだけど、一方で、師匠だって恋愛感情じゃないにしてもあたしのことを大切だと想ってはくれているはずだと、その確信が期待を抱かせた。
だからとにかく、会ってしまえば、顔を見てしまえば、前に進めると思ったのに。
「……あたしだけじゃ、ないのか」
いつもならしないはずのノックをしようと上げた手が、だらりと力なく落ちた。扉の向こうからは、新しい学びを楽しむ幼い二人の声と、そんな彼女たちを教える、どこか楽しそうな師匠の声が途切れること無く続いている。
師匠に師事したとき、こんな術を学びたがるのはお前くらいだと師匠は自嘲気味に笑った。彼女はいつものように自分を過小評価していたのだけど、それとは別のところであたしは嬉しかったんだ。
師匠の弟子はあたし一人。その分だけ、あたしは他の誰かよりも師匠の特別でいられる。
魔王討伐の旅から戻っても、師匠は変わらず一匹狼ぶっていて、その変わらず意地っ張りな姿に苦笑もしたけれど、でも、あの頃からずっと、この人の弟子はあたし一人なんだってことが、誇らしくて、嬉しかったのに。
いま、この扉の向こうで、師匠は私に代わる新しい二人の弟子を教えている。
……そういえば、もう教えることはないとか、独り立ちだとか、言われてたんだっけ。
もし仮に、今のあたしの実力が師匠を上回っていたとしても、それでも師匠がいなければあたしはそんな力を得られなくて、やっぱりあたしにとって貴女は、永遠に特別なのに。
あたしにとってはただ一人の師匠。
けれど師匠にとっては、弟子たちのうちの一人。
ささやかな特別だとあたしが想っていたものが、知らぬ間に崩れてしまっていたことを思い知る。
「特別なんかじゃ、なかったのかな」
あんなに師匠の顔を見たかったのに。今でも、見たい気持ちでいるのに。
いま顔を合わせたら、子供みたいにとめどなく泣き出してしまうかも。心にもない言葉で師匠を傷つけてしまうかも。彼女の弟子たちに見せつけるみたいに、キスをせがんでしまうかも。
そんな情けない自分ばかりを幻視して、あたしは逃げるみたいにその場を離れた。
ただ一人の恋人にもなれなくて、唯一の弟子でもいられなくなった。
ねぇ、師匠。
師匠にとってのあたしは、あとどれだけ、特別でいられますか――?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます