憧れ

 コンコン、というノックの音に思わずびくりと身体が跳ねた。


 誰だ。この部屋を訪れる人間なんて学長とハーシュくらいで、学長はたったいま来て帰ったばかりだ。まさか、と思いながら恐る恐る扉に向かって「どうぞ」と声を掛ける、と。


「し、しつれいします」


 部屋に入ってきたのは学長でもハーシュでもなく、わずかに緊張した面持ちの二人組の少女だった。


「……リーリ、アルカ。どうした?」


 ふわふわとクリーム色の髪を遊ばせた少女とかすかに青みがかった黒い短髪の少女の組み合わせは、私の講義でいつも前列の端の方に並んで座っている二人だ。リーリは貴族の娘でアルカは街の細工職人の娘だが、アルカの父親の作品をリーリの母親が気に入っている縁で幼い頃から親交があったようで、少なくとも私の受け持つ講義ではいつも二人一緒に行動している。


 私の生徒の中では真面目に、というか大人しく講義を聞いてくれる学生ではあるが、さりとて特別優秀でもなければこれまで私に直接質問したり、こうしてわざわざ研究室を訪ねてくるようなこともなかった。


「あ、あの、えっと」


「…………」


 もじもじするリーリを後押しするようにアルカがぎゅっとリーリの手を握る。


「お、教えてください! あの、ハーシュさまにやった、まじゅつを」


「……なんだって?」


 何を言われるのかまるで予想できていなかったが、その上で予想外すぎる言葉に思わず目を丸くして聞き返してしまった。


「いや、すまん、聞こえた。聞こえたが、どういうことだ? 私の? ハーシュの術じゃなく、私の術について知りたいのか?」


 あの日私がしたのは泥柱をぶち上げたことと、その水しぶきに仕込んだ植物を操る術式の二段構えでハーシュを抑え込むというもの。たしかに珍しい術ではあろうが――というかあんな面倒で複雑な術、私でもなければわざわざ組まないわけだが――というかそれ以前に、あの講演会に初等科の生徒は参加できなかったはずでは?


「……リーリのお父さまが、きろくまじゅつで見せてくれたんです」


 アルカが答えてくれて、リーリがこくこくと頷く。なるほど、と思うが結局最初の疑問に立ち戻る。


「それで、どうしてハーシュじゃなく私の術を?」


「それ、それはあの、あの、ですね!」


 慌ててぱくぱくと口を動かすものの言葉が出てこないリーリを、アルカがまた手を握って落ち着かせている。……なるほど、良いコンビらしい。


「えっと、ハーシュさまのまじゅつも、とってもすごかったです。でも、せんせーのまじゅつは、みたことなくて、なにをやったのかぜんぜんわからなくて……お父さまも、こんなことができるなんてすごい人だなって」


「……わたしたち、せんせーみたいになりたい、です」


 付き添いだと思っていたアルカからも、短い言葉の代わりに熱の籠もった視線が向けられる。



『ほんと、ですか』



 いつかの中庭で、縋るような期待を込めて、希望の光を見上げるようにして私を見ていたハーシュの姿が、二人の教え子に重なる。


 もちろん、二人は魔術が使えないわけじゃない。私やハーシュのような特異体質ではないし、入学前に行われる魔力測定でも一般的な値が示されている。私の教える初等科で順当に理論を学び、やがて高等科を出る頃には一端の魔術師として遜色ない技術を身につけられるだろう。


 私やハーシュのように、そうすることでしか魔術を扱えない、という理由で魔術回路などという魔術学界の辺境に身を寄せる必要はまったくない。


 けれど、同じこともある。


 魔術に憧れた私が、己に最低限の素質すらないとわかっても諦めきれずに魔術回路に手を出したように。ハーシュが私の指先に灯った小さな火に希望と憧れを見出したように。


 目の前の二人もまた、確かな憧れに目を輝かせている。


 魔術回路は複雑で緻密なものだ。教えたからと言って、すぐに組み立てられるものではない。魔術の流し方も人それぞれで、私やハーシュが使う術式をそのまま流用すればいいというものでもない。最終的には、誰かと同じ結果を自分にとって最高の効率で引き出す式を自ら描かなくてはならない。


 それは本来の、普通の魔術師ならば全くする必要のない研鑽であり手間だ。魔術師としての将来に必要か、と問われればまず間違いなく必要ない。


 でも、と若かりし日の私が言う。

 そんなこと、とあの日のハーシュの瞳が語っている。


 憧れって、そういうことじゃないでしょ、と。


 そうなりたいから、憧れなのだ。その後にも先にも、上にも下にも求めるものはなくて。ただ憧れた輝きを、自分の手のひらに収めてみたいだけ。


 私は英雄を育てたかったわけじゃないし、ハーシュは魔王を倒したかった訳じゃない。

 それでも私達は、そんな未来を一欠片だって想像しないまま魔術に焦がれ、がむしゃらに手を伸ばした。憧れから手を離すことを、何より私達が一番嫌がった。


 だったら――教えるべき、なんじゃないのか?


 ハーシュと再会するまでの私だったらきっと考えもしなかったようなことがぐるぐると頭の中を巡っていく。誰かに魔術回路について講義するなんて、考えたこともなかった。偶然の出会いからハーシュにそれを教えることになった時でさえ、最初で最後の機会だろうと思っていた。


 それを、かつての私やハーシュのような二人が、教えて欲しいと言う。


 必要ない。それを理由に突っぱねて、この子たちのためになるだろうか。憧れに届くかもしれない手をはたき落とすことが、教師としての役目なんだろうか。


 そうではないと、思いたい。


「……二人とも、よく聞いてくれ」


「は、はい」


「…………」


 アルカも無言のまま頷く。


「私とハーシュが使う魔術は、私が君たちにこれまで教えてきたものとはまるっきり違うものなんだ。君たちの成績は悪くない。けれど、初等科で勉強しなくちゃいけないことはまだまだたくさんある。わかるね?」


 二人が頷く。


「私の仕事はね、君たち、そしてクラスのみんなが中等部で学ぶための準備を手伝うことだ。みんなと同じようにできるように。だから、私やハーシュの特別なやり方は、もっとずっと後から勉強したって遅くはない。まずはみんなと一緒に、普通の魔術が使えるようになった方が、君たちにとってもきっと良いと思う」


 私の否定的な口ぶりに教えてもらえないと落胆したのか、二人の表情が曇った。それでも、目線を私から外さない二人は、きちんと私の言葉を最後まで聞こうとしてくれている。それなら、私もこの子たちの気持ちを信じて、問いかけられる。


「だから――もう一度、よく考えてみてもらえるか。みんなと同じ勉強をしながら、それ以外にもう一つ、私やハーシュと同じ術を身につけるための勉強もする。それができるかどうか、二人でちゃんと考えてもらいたい」


 私がそう言うと、二人は落ち込みかけていた目をぱちくりとしばたかせ、お互いに見つめ合う。


「帰ってゆっくり考えてもいいぞ。返事はいつでもいい」


 急かすつもりはないし、彼女たちにそこまでの熱意が無いのに無理に教え込みたい訳でもない。あくまでも二人が本気でやってみたいと思うなら、できることをしてやりたいだけだ。


 しかし数秒見つめ合った二人は、どちらからともなく頷き合うと、改めて私を見上げた。


「わ、わたしたちに、せんせいのまじゅつ、教えてください!」


「おねがいします!」


 そして勢いよく、小さな頭が下げられる。


「……わかった。それじゃ明日の放課後、またここに来なさい。準備しておくから」


「はい!」


「ん!」


 弾けるような笑顔で頷く二人の頭をそっと撫でてやると、二人ともくすぐったそうにきゃらきゃらと笑った。


 私にこんな顔をする生徒は、初めて……いや、一人だけ、いたか。私に撫でられて、褒められるのを何より喜んでいた馬鹿が。


 ――ハーシュ。


 二人に聞こえないよう、口の中だけで名前を呼ぶ。私みたいに、お前みたいになりたい、そんな後輩ができたぞと話してやりたい。顔を見て、笑いながら自慢してやりたい。


 あの子に、無性に会いたくなった。

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