回想:旅が終わるまでは

 勇者御一行様とて、路銀には限りがあるものだ。


「なーアレスぅー、もうここでよかがー。わー疲れちー」


「だめです。ここじゃ二人部屋は取れないじゃないですか」


「四人部屋でもアタシたちは気にしないぞ」


「私が、気に、するんです! あなた達と一晩同じ部屋なんて……生殺しじゃありませんか!」


「わーもトマクも一晩くらい我慢しゅーが! な、トマク」


「…………………………………………ああ、もちろん」


「どこを信用しろというんですの!」


 アレスの目を見ずに答えたトマクにアレスが食って掛かる。


「私も混ぜて頂けるなら喜んでご一緒しますけれども!」


「ダメだ。ルティの肌に指一本触れてみろアレス、お前と言えども顔の形を変えてやるぞ」


「だから嫌だと言っているのですわ!」


「と、トマク以外に見られるのは、は、恥ずかしけー……」


「あはは……まぁアレスの顔はどうなってもいいけど、それはあたしも落ち着いて眠れそうにないかな」


「ほら、ハーシュさんもこう仰ってますし! 私の扱いは別にして!」


 あたしという味方を得てアレスが勢いづく。


 魔族領と人間領の境界に沿って行くような旅路が続いたここしばらく。野宿が続いた中でようやく小さいとはいえ人の灯りがある宿場町にたどり着けたのは僥倖だった。とはいえ、人間領のほぼ中心たる王国からこの辺境まで、直線距離でも大陸の半分ほどの距離を踏破したことになる。野宿も多かったとはいえ、心身を休める意味でも宿に泊まれるならなるべく泊まってベッドで眠るようにしてきた。


 その判断が間違いだったとは思わないし、事実そのお陰で、こうして人間領の半分ほどを踏破し魔族領にもいくらか出入りしていても私達の気力に目に見えた衰えはなく、こうしてのんきに宿選びなどしていられる。


 ただ、選ばなければならない、というのにもそれなりの理由があるもので。


 まず第一に路銀。長旅を続けている私達の財布の中身は、道中で狩った魔物の装備や剥ぎ取った部位を売ったり、討伐対象になっている魔物の掃討で報酬を得たり、あるいは長距離移動のついでにちょっとしたお使い、配送屋もどきの仕事をしたりして増やしているが、それらはいつだって潤沢というわけではない。


 傷んだ装備を交換すればそれだけでも相当額が吹き飛ぶし、都合の良い討伐依頼やリスクに見合った金額になる魔物に出会わなければ収支がマイナスになることだって珍しくない。現在のあたし達はといえば、しばらくの平和な旅の代償に、懐事情は些か寂しく、この小さな宿場町の中でも、数軒の宿屋のうち最も安くところを見繕わなければならなかった。


 尤も、それだけならばそう難しい話ではない。一番安い宿で、あたし達全員を一部屋に詰め込んでしまえば安く済む。が、それが難しい事情が少々。


「そもそも、相部屋にするなら私が我慢すると言っているのです! なのにトマク、貴女はどうして一晩我慢できないのですか!」


「じゃあアレスは恋人が隣で無邪気に寝てるの見て我慢できるのかよ」


「する気もないですわ!」


「人のこと責められねぇだろうが!」


 トマクが尖った歯をむき出して怒鳴るが、アレスは怖じた様子もない。ルティとあたしは顔を見合わせてやれやれと同時に首を振った。ルティの顔は、ほんのり赤かったけど。


 要するに、だ。


 宿に泊まるということは、いつもの野宿と違って背中を預ける柔らかなベッドが在る。ベッドがあればどうするかといえば……まぁ、愛し合う二人にとっては自然なことである。


 全員が個室を取る機会も旅の初め頃にはあった。その頃は逆に、アレスの部屋から毎晩違う女の甘ったるい声が聞こえてあたしとトマクがげんなりしていたものだが、次第に路銀が――特にナンパに金を惜しまないアレスの財布が――寂しくなり、そしてルティとトマクの二人が親密になるにつれて現在の問題が浮上し始める。


 すなわちルティとトマクの二人部屋と、あたしとアレスの二人部屋に分けて部屋が取れる宿で、なおかつ一番安い場所、を探す必要が出てくるわけだ。


 まぁ「自分は女の子を抱けないのに隣でヤってるなんて!」というアレスの憤り方もどうかとは思うけれど、あたしだって仲間二人が睦み合っている同じ部屋で安らかな休息が取れるとはとても思えないので部屋を分けるのには賛成だ。


 トマクの方は元々あたしやアレスのような王都育ちでないどころか、ルティの田舎よりもはるかに遠い場所、文化的にも全く違う土地の少数部族の出身であるからして、家族や親しい者が同じ屋根テントの下にいたところで、まぐわいを躊躇う理由にはならないらしい。


 ルティはそれでもいいの? って前に聞いたら真っ赤になりながら「……トマクが、したいって言うき、しゆー、よ?」と言われた。ごちそうさまです。

 ともかくそんな訳で、あたし達は少ない路銀と空き部屋の数と相談しながら宿を選ばなければならないのだけど……。


「でもアレス、この街の宿はあともう一箇所だけだってよ」


「くっ、神よ私の明日に穏やかな目覚めを」


 慌ただしく念入りに祈りの印を胸の前で結ぶアレスにあたしたちが「こんな時だけ神をアテにして」と冷めた目を向けているのを知ってか知らずか、祈りを終えたアレスは「行きますわよ!」と先陣を切って最後の宿に向かって行った。



* * *



「ハーシュ、起きていますかしら?」


「……んー、うん」


 暗闇に呼びかけると、明らかに半分寝ている声で返事が返ってきた。私は隣の部屋からかすかに、けれど絶えず聞こえてくる我らが勇者さまの嬌声に悶々とさせられているのに、この魔術師ときたら自分だけさっさと夢の世界に逃げ込もうとしていたようだ。


「トマクにも困ったものですわね。私達の旅は、そう余裕のあるものではありませんのに」


「ん、ふふ」


「なんです?」


「それ、最初の頃、トマクがアレスにおんなじこと言ってた、よ」


「まぁ」


「全員個室なんて必要ない、女を抱きたくて部屋を分けるなんて、魔王に挑む自覚が足りないって」


「それは良いことを聞きましたわね。明日当人のお耳に入れてさしあげなくては」


「ふふ、そだねぇ」


 眠いからなのか、リアクションがふにゃふにゃしている。普段は魔賢者の称号に相応しく穏やかで落ち着いた賢人といった風情なのだけど、旅を同道しているうちに、多分こっちのふやけた方が素の彼女なんだろうなと思うようになった。


 私も、まぁ聖女と讃えられるには奔放が過ぎると自分でも思うけれど。


 ハーシュというひとつ年下の少女もまた、賢者と呼ばれるにはまだ幼く、年相応に悩みや迷いを抱えている娘だった。


「魔術師のハーシュ……です。あたしは、憧れの人に相応しい人間になりたくて、この旅に参加すると決めたの」


 始めて顔を合わせた時の彼女の自己紹介。その表情から、ああこの子は恋をしているのね、とそう思った。私は愛の多い女だと自認していたけれど、恋というものには縁がなくて。でも、その恋ってものに振り回されて傷ついて、涙を流す子をたくさん見てきた。


 そういう娘を慰めてあげながら夜を過ごしたことは一度や二度ではなかったけれど、誰もがみな同じ間違いを犯すのが不思議だったし、心の片隅ではバカな子たちだと思っていた。


 傷ついた彼女たちは進んで私に抱かれたがったし、私はハーシュと名乗った女の子の青みがかった灰色の髪を綺麗だと思った。退屈しない旅になりそう。そう思った。だって、生きて帰れるかもわからないこの旅の中で、彼女が恋人でもなく、身体のつながりもない「あこがれの人」なんてものを想い続けられるとは思わなかったから。


 でも、一緒に旅をしてみれば、彼女はいままで私に泣きついてきた娘たちとはまるで違った。


 恋をすることを素晴らしいことだなんて思っていなくて、私が「恋なんてどうせ報われませんよ」と嘯けば「そうかもしれないね」なんて寂しそうに微笑んで。かと思えば数分後にはケロッとした顔で「あたしの師匠がね、本当にかっこいいのにもーほんと自己評価低くて、そこが可愛いんだけど」と惚気話を始める。


 彼女という人間がよくわからなくて、でも私はもっとこの子を知りたいと思った。


「ね、ハーシュ」


「んー……」


 既に半分以上、彼女の意識は夢の中だ。それを確かめて、私はゆっくりと音を立てずにベッドを降りる。古い床板がぎいと鳴いたけど、ハーシュはもぞ、と少し動いただけで起きる気配はない。


 私は床を鳴らさないように足元に注意しながら、そっと隣のベッドに回り込む。私のベッドに背を向けて丸まっていたハーシュの顔は、もうほとんど瞼が落ちていて、でも辛うじてまだ寝息とはいえない不規則な呼吸をしていた。


「……ハーシュ」


「あれ、す。ごめん、あたし、ねむ……」


「いいですよ、そのまま眠っていらして」


「ん……」


 もぞ、ともとから丸めていた身体を、薄い毛布を抱え込むようにしてさらに丸めて、彼女は本格的に眠りの姿勢に入る。


 いまなら、きっと気づかれない。


「ハーシュ」


「ん」


「はー、しゅ」


「…………ぅ」


 もう、返事も忘れるくらいだ。

 私はそっと身を乗り出す。ぎしり、とベッドが沈んでも、ハーシュはもうみじろぎもしない。


「抱かせて、なんて言いませんわ。きっと貴女、困ってしまいますものね」


 だから、我らの神である太陽がお隠れになる、そんな夜に少しだけ。ほんの一瞬だけ、触れてもいいでしょう?


 そっと彼女の頬に手を添えると、無意識なのか彼女の手が私のそれに重ねられた。彼女もきっと、拒まない。たとえ気づいたとしても、一度くらい許してくれる。

 だんだんと一定のリズムで寝息を立て始める彼女の唇に、私のそれを重ねようと――。


「し、しょー……あたし、帰ります、から」


 彼女に触れるまで、あとほんの指ひとさし。その距離で、私は止まった。思わず、止まってしまった。


 だめだ。たとえこの子がどんな愚かな恋をしていても。この旅の間に、それを踏みにじってはいけない。彼女はきっと、その想いのために生きている。この過酷な旅で、誰よりも何よりも彼女を支えられるのは今ここにいない「師匠」で、その人物への彼女の想いだ。


 だから、旅が終わるまでは。

 彼女がちゃんと、生きて、旅を終えて、日常に戻れるまでは。


「……私にお預けなんてしたの、あなたが初めてですのよ」


 ちらりと窓の外を振り返る。私達を覗き見る欠けた月に「無粋ですわよ」と苦情を申し立てて、私は自分のベッドに潜り込んだ。


 いつの間にか、隣の部屋も静かになっていた。

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