甘味処にて
「「美味い」」
ハーシュと声が重なって、思わず顔を見合わせる。どちらからともなくクスクスと笑いが漏れた。
「王都で流行りのお店なんて旅をしてたあたしはご無沙汰でしたけど」
「私はそもそもこういう場所で食事をしないからな」
「ですよね」
「……自分で言ったことだがそういい笑顔で肯定されると腹が立つな」
「理不尽っ!?」
そんなやり取りをしながら私達が口にしているのは最近隣国から王都に持ち込まれた甘味だった。樹の実を原料に砂糖を大量に使った贅沢品。元の果実の色なのか見た目はあまり食欲を刺激しない茶色なのだが、砂糖の甘い匂いにまじって香る果実特有の甘さと渋さの溶けた匂いは舌をうずかせた。
「液状にしたものを冷やして固めてそのまま食べるのが基本みたいですけど、そっちは贈答品とかお茶菓子用って感じですね。液状のままケーキの生地に混ぜたり、果物にかけてみたり、いろんな食べ方があるみたいです」
高級感のある縁取りのついた、やたら枚数の多いメニューに目を通しながらハーシュが言う。
「その辺りも一揃いここにあるのか?」
皿に盛られた粒状のその菓子――見慣れない、チョコレートとやらをもう一粒口に放り込みながら尋ねると「ですね」とハーシュが頷いた。
デートをリードするとか余裕を見せてやるとか息巻いていた私だったが、現在完全にハーシュのエスコートに身を任せてしまっている。いや、ハーシュのそれとて特別にスマートなものという訳じゃなく、私だって用意があれば主導権を取れたかもしれない……と負け惜しんでみたりするものの、そもそも普段はこうして人の多いメインストリートなど滅多に利用しない私は、流行りの店や定番のデートスポットなどというものに全くと言っていいほど縁がない。
ハーシュの方も三年間王都を離れていたことに加え、魔王城陥落の報が届いてからハーシュたちが帰国するまでの期間だけでも、連日お祭り騒ぎとなった王都の経済はくるくると面白いように回り、三年前とは通りの店構えもかなり変わっているはずで、それら全てを把握していた訳ではないだろう。
それでも彼女は今日のデートの言い出しっぺということもあり、一応事前に下調べはしていたらしい。
待ち合わせ場所で野次馬に囲まれていた私を引っ張り出してから、ハーシュは「えーと」「多分この辺りに」などと若干心もとない呟きと足取りながらも迷うことなくこの店に案内してくれた。
若者に流行りの甘味の店、と聞いて尻込みする私を強引に引っ張り込み「煙草吸いまーす」と店員に宣言してさっさとテラス席を確保してしまった。
とりあえず、と「基本」らしい一皿チョコレートを頼んだ彼女に「どうぞ」と灰皿を差し出されたので、私は現在灰皿からチロチロ昇る細い煙を横目にチョコを口に含み、少々強すぎる甘みを煙草で打ち消すのを繰り返していた。
私はもともと甘味がそれほど好きなわけではないのでチョコだけだと舌が甘ったるくなるのだが、不思議と煙草と交互に口にするとどちらも美味く感じられた。酒とツマミみたいなものか、と納得してその甘ったるさを楽しんでいる。
手の混んだメニューを「ほぉ」「ふむふむ」「んん?」とくるくる表情を変えて眺めているハーシュを、甘味と煙の合間に見つめる。
「……ゎいい」
煙草を咥えながら、かわいい、とシンプルな感想が口の端から漏れた。「ん?」と顔を上げたハーシュに「なんでもねーよ」と手を振ってから、その手を差し出した。
「どうぞ」
何も言わずとも、私の手にメニューが乗せられる。やたら凝った見た目に違わずそれなりにずしりと重量感のある手応えに「ん」とだけ返して、咥え煙草のまま見るともなしにページをめくった。
ハーシュほどこれらの甘味の種類に興味はなかったが、丁寧なイラスト付きのメニューは全体的に茶色いものの菓子の種類によっては果実や葉の色もあり意外と華やかで、イラストを眺めているだけでもまぁ面白い。
黙々とメニューをめくっていると「師匠」と声をかけられて顔を上げる。
「えい」
ひょい、と煙草が抜き取られ、灰皿に放り込まれる。
「なん――」
だ、と言う前に思わず固まった。
「んー」
わざとらしく唇を突き出したハーシュがパチリとウィンクを飛ばしてきた。口には、皿からつまんだチョコが咥えられている。
「……行儀が悪い」
「んん!」
そうじゃない、と言いたげに首を振るハーシュにため息をつく。……まぁ、ため息の半分は照れ隠しだ。大通りに面したテラス席、多少――いやかなり恥ずかしくはあるが、今日はデートである。多少渋って見せても、断る理由はないのだ。
「よこせ」
それだけ言って、ハーシュが咥えているチョコレートを口移しで奪う。
「――――んぇろっ」
「!?」
思わず飛び退いて口元を押さえながらハーシュを睨むとへへーと悪戯が成功した子供みたいに笑う。こいつ、チョコを押し込みついでに私の口に舌を突っ込みやがった!
「えへへ、師匠も甘いです」
「……チョコの味だろ」
「そんなことないですよ、師匠のキス、いつも美味しいですもん」
「気のせいだ。でなきゃお前の舌がおかしいか」
「えー、そんなことないですよ」
気にしてないフリで取り繕うが、顔に上ってくる熱までは誤魔化せない。くそ、いま絶対私は真っ赤じゃないか。
そんな私の反応に気を良くしたのか、調子に乗ったハーシュが身を乗り出してくる。
「じゃあ、今度はチョコなしで確かめさせてください、師匠の味」
「お前……最初から飛ばしすぎだろ」
はじめてのデートでのキスってのはこう、もっとこう、雰囲気とかシチュエーションとか、そういうのが大事なんじゃないのか。いや私の感覚が古いのか? 若い連中にはこれくらい普通のことか? などと余計なことが頭をちらつく。
「え、でも今さらじゃないですか? あたしたち、もういっぱいキスしてるじゃないですか。今さらそんなに意識しなくても」
「悪かったないちいち意識してて!」
ああ、こんな乱暴な言い方がしたいわけじゃないんだが。ずいぶんと余裕な様子のハーシュに、意識してるのは私だけかと、先程の羞恥とは別種の恥ずかしさで耳が熱くなる。そんな私の八つ当たりになぜかハーシュはにこにこと笑みを深めた。
「師匠」
「なんだ」
「かわいい」
「ハーシュ!」
思わず立ち上がるとハーシュがけらけらと楽しそうに笑う。人の気も知らないでこいつは!
「大丈夫ですよ師匠」
「何がだよ」
「あたしもちゃんと、ドキドキしてます」
確かめてみます? と悪戯っぽく笑って自分の胸元に手を添えてみせる。
「お、ま」
「いいですよ、師匠になら。むしろ――」
――あたしが師匠にドキドキしてるの、ちゃんと確かめて欲しいです。
「っ、お前は本ッ当に――ぁむ」
「ん……」
ハーシュの唇に噛み付くように乱暴にキスをする。ああもう、そうだよ甘いよ。私の味なんて知らないけれど、ハーシュとのキスは確かに甘い。チョコよりもずっと。
キスをしたまま、ハーシュに右手を取られ、そのまま胸元に導かれる。微かにその膨らみを感じる胸元に手の平を押し付けられてどきりと私の心臓が大きく跳ねるが、手の平に伝わるトクトクと早い鼓動に、思わず汗が滲んだ。
「ん、ふ……ぁ。どうです?」
「…………」
私は何も答えず、さっき立ち上がった勢いとは真逆の腰が抜けるような感覚とともにストンと椅子に腰を落とした。恨みがましい目でハーシュを睨むので精一杯だ。
「師匠とあたし、どっちの方がドキドキしてるんでしょうね?」
あたしにも確かめさせてくださいよ、と今度はハーシュが腰を浮かせて身を乗り出してくる。ハーシュに触れる前から既に激しくなっていた鼓動は、いまもう一度彼女にキスされたらどうなってしまうのだろう。触れられたら、それだけで破裂してしまうんじゃないかと思った。
でも、拒否するという選択肢はない。だって今日のこれはデートなのだから。
迫るハーシュがゆっくりと目を閉じるのに合わせて、私も瞼を下ろす。視界が閉ざされた分、他の感覚が鋭敏になり、見えていないはずのハーシュがゆっくり近づいてくるのが感じられてしまう。
「っ」
唇が触れる、そう思った瞬間。
カチャッ。
硬いもの同士が擦れたような甲高い音が割り込んで、私は思わず目を開ける。音の出処を探ろうと首を巡らすと、しまった、という顔をしたウェイトレスと目が合った。
「ご、ごめんなさい、邪魔するつもりじゃなかったんですけど! あの、気にしないで続けてください! 役得なので!」
そう言って真っ赤な顔でぺこぺこ頭を下げる彼女の手には二皿のチョコケーキが載った盆が抱えられている。……音の出処はそれか。っていうかなんだ役得って。
「じゃ、お言葉に甘えましょうか、師匠?」
ウェイトレスに向けていた顔をくいっと引き戻されると、思ったより近くにあったハーシュの瞳に絡め取られる。灰碧色の瞳に、耳まで赤くした情けない顔の自分が映っていた。
「さ、師匠。続きを――いっ!?」
ゴッ、と額を叩きつけるとハーシュは仰け反るように自分の椅子に戻って悶絶した。
「すみません、お恥ずかしいところをお見せしました」
これ以上何も言うな、という意思をたっぷり込めた笑顔でウェイトレスに向き直れば、彼女はこくこくと慌てて頷くと私達の前にケーキの皿を置いてぱたぱたと逃げていった。
「ったぁ……可愛い弟子に本気の頭突きなんてします?」
「人目がある場所では自重しろ」
「そんなこと言って、さっきまで師匠もノリノリだったじゃないですか」
「…………」
キッと無言で睨むとハーシュはやれやれとお手上げの動作をして、ようやく気分を切り替えた様子で椅子に座り直した。
「わー、おいしそー」
棒読みだった。
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