待ち合わせ場所にて

「ねぇね、これってマジなの?」


「魔賢者と真剣勝負して引き分けたって」


 世情に関心が薄く、ろくに新聞も読んでいなかったのをこんなに後悔したことはない。


「英雄のハーシュ様の師匠って、貴女のことでしょ?」


「間違いないって、ほら、この姿絵とそっくり」


「あのー」


「本物じゃん!」


「すげー! ハーシュ様の魔術を完全に打ち消したんだろ?」


「お姉さん、名前なんてーの?」


「いやあの、私はここで人を待っているんだが……」


 どいてくれないか、と言ってはみたものの、私を取り囲んだ老若男女様々な街の人々が離れていく様子はない。その人垣はまったく散る気配を見せず、むしろこれ幸いとばかりに近くで客呼びを始めた新聞屋のせいで人垣は厚くなる一方だ。


 迂闊だった。ハーシュも私も直接取材を受けたわけじゃなかったが、記者らしき人間がいたのは記憶していたし、記事になるかもしれない、ということを予想していなかった訳じゃない。

 しかしまさか翌日の朝にはもうその記事が出回り、昼前には知れ渡っている、というのは予想外だった。情報は鮮度が大事というが、いくらなんでも早すぎやしないだろうか。


 ……いや、長かった魔族との争いの歴史に終止符が打たれてまだひと月と少し。未だ英雄たちはこの王都で最も注目される時の人であり、その一人が母校で講演を行い、魔術の実演まで見せたというのは皆が耳を大きくして聞きたがる話題なのだろうけれど。


 というか、私を囲んで押し合いへし合いする人たちの口から漏れ聞こえた中には「昨日の光は」とか「火の玉が」なんて声も上がっていたから、ハーシュがぶち上げたあの火球は学院の外からも目撃されていたらしい。


 それがまた話を大きくしたというか、普段は目にしないような派手な魔術だったこともあって「あれを綺麗さっぱり消し飛ばした魔賢者の師匠は只者じゃない」と、そんな方向で話題になっているようだった。


「ハーシュ様と勝負したの?」


「いや、私は別にそんな大層な」


「どんな術が使えるんですか」


「だから、別に特別なことは何も」


「ハーシュ様より強いってほんと?」


「そんな訳が――」


「師匠!」


 その声に振り向くと、ハーシュが人垣を強引に割って飛び込んできた。思わず抱きとめてから慌てて離れる。


「ハーシュ」


「お待たせしました」


「あ、ああ。いや、私こそすまんな。まさか昨日の今日でこんな騒ぎになるとは――」


「ハーシュ様!?」


「うそ、本物?」


「すげぇ初めて見た」


 騒ぎの音量が一段階跳ね上がる。待ち人には会えたが、これは囲みを突破するのにだいぶ時間を取られそうだ、と私が既に疲労困憊の息をつくと、ハーシュが「……ちょっと待ってください」と今しがた割ってきた人垣に向き直った。


 その落ち着き払った様子に、そういえばこいつは有名人だったな、と間抜けな感想が頭に浮かぶ。こういう状況の対処にも慣れているのだろうかと頼もしく思う一方で、十も年下の彼女にこの場を任せてしまうことに、押し込めていた情けなさがまた顔を出した。


「ごめんなさい、今日はあたしも師匠も貴重なお休みを堪能する予定なので――」


 と不自然に言葉を区切ったハーシュにぐいっと不意打ち気味に手を引かれて彼女の隣に立たされる。なんだ、と声を上げるより先にキスで口を封じられた。


「――っは、邪魔、しないでくださいね?」


 すぐに私を解放したハーシュはそう言って野次馬たちににっこりと微笑みかけた次の瞬間。


「――――――――」


「ちょっ、お前」


 かろうじて聞こえた詠唱の中身に私が慌てるのとほとんど同時に、人垣が吹っ飛んだ。

 いやほんと、それはそれは見事に。私とハーシュを中心に爆発でも起こったみたいに人々が吹き飛び、中には二階の窓より高い場所まで放り出された人もいた。私達からきっちり一定の距離を空けた場所に、彼らは着地すると、呆気にとられた様子でお互いの姿や、自分を吹き飛ばしたハーシュの表情を窺い合う。


「さ、行きますよ師匠。大事なデートなんですから、時間は無駄にできません」


「……おう」


 何でもないようにそう言って、ごく自然にするりと腕を絡めてきたハーシュに何も言えず、私はぱくぱくと口を動かしただけで結局頷いた。


 そのままスキップでもしそうな上機嫌で私の腕を引くハーシュに「やり過ぎだ」と注意するべきか迷って、でも何も出来なかった自分にそんな嗜め方をする資格があるとも思えない。

 情けない師として何を言うべきか迷った挙げ句、私が口にできたのは。


「ハーシュ」


「はい?」


「その、ありがとうな」


 そんな、しょうもない感謝の言葉ひとつ。


「……師匠、朝ごはんに変なものでも食べました?」


「なっ、私だって礼くらい言うぞ!」


「あはは、冗談です。素直な師匠も可愛いですよ」


「こ、のっ――」


「師匠」


「なんだ!」


「今日は、楽しみましょうね?」


 そう言って、にへっといつものふやけた笑みを向けられる。さっきのキスよりも、組んでいる腕よりも、その笑顔にカッと顔が熱くなって慌てて目をそらした。


「……当たり前だろ」


 誤魔化すようにそう言ってやれば「そですね」と頬にキスされた。


 ……デート。デートね。親しい人間同士が二人で遊びに出かけることを冗談交じりにそう呼ぶこともあると知っていたし、どちらかと言えばそういう一日を想像していたのだが。


「師匠からもしてくださいよ」


「調子に乗るなよバカ弟子、ん」


「んぅ……、そう言いながらちゃんとしてくれるとこ、好きですよ」


「いくらでもしてやる約束だからな」


 初っ端からこの調子では、お友達どうし、なんて空気にはなりそうにない。そのことを嬉しいと思ってしまう自分から目を背けて、ほら行くぞ、とハーシュの腕を引いた。

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