3章

目が覚めて

 デートだと言われて、ではこうしようと簡単に正解にたどり着けるほど私は場馴れしていないのが正直なところで、一夜明けて早朝、ばっちり目が覚めたはいいもののまず何から取り掛かれば良いのかわからずベッドの上で悶々としていた。


「デートだと? そんなもの、最後にしたのはいつだ?」


 記憶の糸を手繰れば、学院の初等部にも入る前に、近所の幼馴染の女の子とデートと称して家の近くの商店街を手を繋いで散歩したくらいだ。何の参考にもならない。


「つまり何か? 今日の、あいつとのデートが、私の実質的な初デートというわけか?」


 いくらなんでも情けなくないだろうか。私は一応あいつより十以上も年上なのだ。人生経験という点では王都の外で三年の旅をしたハーシュの方が多様な経験を積んでいるかもしれないが、私はその三年も含めてずっと王都にいたのだ。英雄として魔族領で冒険をするよりは、デートに漕ぎ着ける機会は多そうなものだ。


 それなのに、実際はどうだ。恋人がいたこともなく、デートの経験もない。何ならまともに恋をしたことさえなく、恋愛なんて初めてする。いい大人が、今さら初恋。それも相手はこの手で鍛えた弟子で、告白も、デートに誘うのもあちらから。この上デートもろくにリードしてやれなかったら。


「……さすがに情けなくないだろうか」


 ハーシュに失望される? いや、そんなことで呆れるくらいなら私はとっくにあの子に愛想を尽かされている気がする。きっとデートで情けないところを見せるくらいでは、あの子は私を「かわいい」と笑ってキスをねだるんだろう。


 だからこれはハーシュにどう思われるかではなく、私があの子にどう思われたいかという意地みたいなもので――。


「……何を舞い上がってるんだ、私は」


 ハーシュにどう思われるかなんて、もう関係がないのに。


「いつも通りでいい、それで終わりだ」


 妙な気を起こすものじゃない。浮かれればその分沈むだけ。何事もなく今日を終えれば、それで――。


 ちらりと、使わない日も多い閉じたままの化粧台に目をやる。いや、意識してのことじゃない。勝手に視線がそちらへ向いただけだ。何か、見たいものが会ってそちらを見たんじゃなく、そう、何を見るともなしに視線を彷徨わせていたらそちらへ向いただけで――。


「…………っち」


 舌打ちを一つ、私は勢いをつけてベッドから身を起こした。



* * *



「……おはようございます、師匠」


 枕元に立て掛けた師匠の姿絵に挨拶する。もちろん返事はない。


 ちなみにこの姿絵は学院の教職員室にある教授全員の肖像画から師匠のもの転写魔術で写し取ったものだ。転写魔術を師匠から教わった私が練習用にと言い訳して師匠の姿絵を写し取ったとき、師匠は「何もそんなもんでやらなくても」と妙なものを見る目であたしを見ていたものだけど、あたしにとってはこの絵だからこそ意味があったし、転写魔術を完璧に身につけようと気合も入ったのだ。


「師匠と、デート……」


 寝起きの頭も一瞬で沸騰しそうになるくらい、その事実はあたしの正気を揺さぶった。


 正直、例の賭けに勝算は十分あった。師匠は元々、彼女自身が言うほど能力が低いわけじゃない。あの人は魔力が少ないから仕方なく外法に手を出した、日の目を浴びてはいけない存在、みたいに自分のことを思い込んでいるけれど、実際はまったくそんなことはないのに。


 弟子の贔屓目というだけじゃない。そもそも魔術回路を用いるタイプの魔術は研究例こそ少ないもののかねてより存在していた体系であって外法なんてことはないし、長らく実用的でないとして放棄されていた研究を彼女はたった一代、どころか十年足らずの期間でそれまでの数百年分前進させたと言っても過言ではない。


 魔力量というハンデもあり、単純に魔術師としての技量だとか戦闘能力で比べればあたしの方が上かもしれないけれど、研究者として、あるいは教育者としては間違いなく師匠の方が数倍優秀だ。


 普通の魔術師なら同時に発動する複合魔術をひと繋がりの詠唱にすることで時間差で発現させる、なんて一般に普及している魔術ではどうやっても不可能だ。それをやってのけただけでも、師匠は魔術史に記録されていいはずである。


 ディフィアン学長はそのことをよくわかっているのだけれど、恩師であるせいか師匠は学長の言葉も贔屓目か哀れみと思い込んで聞き流している節があって、師匠の背中をずっと追いかけてきた弟子としては歯がゆいものがあった。


 何より、この世の誰よりも愛してやまない彼女が、そんな風にあたしの愛する人を貶めているのが、どうしようもなく悲しかった。

 でも、それももう終わり。


「昨日の模擬戦、見なかったなんて言わせないから」


 昨日の講演には、以前ルティたちと一緒にあたしたちのインタビューをした王都の新聞記者の顔もあった。学長が取材を許可したなら、根拠のない風説を垂れ流すような二流の新聞ではないだろうし、師匠が間違いなくあたしの魔術をキレイに消し飛ばしたこともすぐに記事になるはずだ。


 あたしたちだけじゃなく、世間が認めれば、きっと師匠だって自分をきちんと認められるはず。そうすれば、あたしの隣にいて見劣りするとか、そんなことをもう言わせなくて済む。


「……そしたら、師匠と付き合えたり、とか?」


 ぼふっとベッドに顔から突っ込んだ。そのまま足をばたばたさせて、茹だって調子のいいことばっかり考える頭を落ち着かせる。

 どうにか頭を冷まして起き上がり、乱れた髪をかきあげる。


「師匠が気負わずに一緒にいてくれるように、楽しいデートにしないと、だよね」


 そうだ、一人で悶えてる場合じゃない。すぐに準備しないと!

 あたしはベッドから転がるように飛び出すと、魔術で軽く髪を梳かしながら着替えを始めた。

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