呆れた決着

「反詠唱ですか」


 拡声魔術を用いない小さな声で、誰にも聞こえないようディフィアンは呟いた。

 ハーシュとイアリーから一番遠い会場の上空で二人を見ていたディフィアンに、当然囁くようなイアリーの詠唱は聞こえていない。その口元を注視して、即座に彼女がしていることを喝破したのはさすが魔術学院の長といったところか。


 だが、それはこの学長でさえ「わかるだけ」のもの。彼女がイアリーと同じ場所に立たされていたとしたら、絶対に同じことは出来ない。


「本当、師弟揃って大したものね」


 反詠唱は文字通り、詠唱を全て逆順になぞることを言う。これは回路術者に特有の、それもごくごく限られたケースでしか用いることのない「打ち消し」の技だ。反詠唱そのものは、正確には魔術ではなく、なんと表現すれば良いものか「そういう技」である、としか言いようがない。


 そもそも魔術回路とは、言葉そのものだ。


 多くの場合、魔術に於ける詠唱とはイメージの補助や魔力の感覚的な流動をコントロールしやすくする目的で用いられる。故に一般的な魔術に於ける詠唱の内容は個々人によって異なり、また必須とも言い難い。


 しかし魔術回路の場合は別で、詠唱が必須となる。


 ほぼ、というのはこの世界で唯一人、ハーシュだけは魔術回路を用いながら無詠唱での魔術行使を可能にしているからだが、それでもさすがに訓練場全てを焼き尽くさんばかりのこの火力と規模の術を行使するのに、詠唱を省くには至らなかった。


 回路術士は魔術の行使に詠唱を用いる。言葉そのものは何でも良い。ただ、彼らは言葉に魔術を通す。連ねられた無数の言葉を一本の回路、ひとつの魔術とし、その中に細く細く、極限まで小さく練り上げた魔術を、言葉の水路を走らせるように慎重に通していく。


 そうやって編み上げるものが魔術回路を用いた術であり、ハーシュとイアリーという両極端な魔力量の持ち主二人に与えられた力だ。


 人が体内で生成する魔力は、無限である。ならばどうしてその「量」に差が生じるのか。

 魔術とは、発動の瞬間に必要な魔力を一息に放出することで発現する。つまり、最終的に生成できる総量ではなく、一度に吐き出せる、一瞬で用意できる魔力の総量によって扱える魔術の規模は自然と決まってくるのである。


 しかし魔術回路は違う。回路魔術は長い詠唱を用い、詠唱の間口にした全ての言葉に魔力を流し続ける。だから、一度に体外へ放出する魔力の量はごく少量で、けれど長い詠唱を終えるまで、細く長い魔力の糸を決して途切れさせない集中力が必要になる。


 イアリーはその極小の魔力ゆえに、出力を調整することに意識を割かず、詠唱に集中しやすかった。故に、普通の魔術師では集中が途切れてしまうような長い詠唱を用いても、魔術回路を途切れさせずに術を発動まで持っていける。


 ハーシュにとっては魔力に言葉をなぞらせるそのイメージが重要だった。放出点を作ろうにも、点という感覚では大きすぎた魔術が、言葉、あるいは文字となった時、一気にそのイメージが小さく固まる。身体のどこか、ではどうしても制御できずに溢れてしまう魔力が、詠唱に乗せて流れ行く一文字一文字となった時、その文字、その一画ずつをなぞらせ、一つの術を使うのに必要な魔力を一度ではなく長く細く吐き出すことで術という枠組みに抑え込んだ。


 少ない魔力を、細く長く。

 膨大な魔力を、一度にではなく立て続けに。


 そうやって完成したのが、二人それぞれの魔術回路だった。


「……まったく、愛が過ぎるのはどちらかしらね」


 回路術師の使う反詠唱は、ただ言葉を逆順になぞるだけではない。

 なぞる言葉に自分の魔力を流し、相手が言葉に込めた魔力を自分の魔力で塗り替える。それはつまり、相手の詠唱の全てを丸ごと、完璧に、逆順処理していくという意味で。


 言葉づかいだけではなく、その吐息も、流す魔力の量も、イメージの偏りによって生じる魔力の癖も、全てを逆向きになぞらなければならない。わずかでもズレが生じれば、流し込む魔力がそこから漏れ出して霧散し、打ち消しは中途半端に終わってしまう。


 数少ないかつての回路術士たちの研究では、反詠唱による打ち消しは自らが発動した魔術に対し行われることが前提だった。自分の癖を自分で再現することなら、なんとかできる。意図的に発動時の詠唱に癖をつけ、反詠唱しやすくした例もあるという。


 だが、イアリーはそれを。


「oyoonoh eharos oyoonoh――」


 それを、他者の魔術に対してやってのけている。


 彼女を灼き潰さんと迫る巨大な火球が、彼女の視線の先で先端から解けていく。火球の端から光の粒になって、魔力の残滓が空気にこぼれていく。


 弟子の魔術に端から自分の魔術を重ねて打ち消していく。

 つまりそれは、言葉の癖も魔力の癖も、ということで。


 この普通なら打ち消しようの無い術を師にぶつけた弟子は、師匠がそれをやってのけると信じたわけで。


「本当に、呆れた師弟愛ね」


 二人を教えた大魔術師はそう言って、らくがきのハートを散りばめた自作のうちわでぱたぱたと自分を扇いだ。



* * *



 汗が吹き出しては、蒸発していく。既に全身が火傷したように熱くヒリついて、熱い、痛い、という以外の感覚は霧散した。


 体内の水分の大半が蒸発したんじゃないかと思うくらい気だるく、既に立っているのも厳しくて片膝をついてどうにか倒れないよう体重を支えている。


 目がひどく乾いて、瞬きする度に痛みが走る。前に突き出した両手を下ろさず魔力を吐き出し、もはやかすれて声にならない息だけで必死に詠唱を紡ぐ。


 ――――――――――――――――。


 意識だけは、手放さない。

 視界がぼやけて、ハーシュの火球のどこまでを打ち消したのかもわからない。半分は到達しただろうか、それとも、まだ二割程度も削れていないだろうか。


 ハーシュの術を打ち消すこと、それ自体は技術的には可能だ。私はあの子の呼吸も癖も、全て知っている。彼女が火球を選んだのも、もっともっと小さな規模ではあるが実際に反詠唱の訓練でお互いに実践済みだったからだろう。


 気を抜けば落ちそうになる意識を必死に繋ぎ止め、回らなくなりそうな舌を必死に回す。反詠唱で重要なのは術者の回路を正確になぞること。間違いは決して許されないが、速度は関係ない。早く打ち消さなくてはと焦る気持ちを必死に律し、私は回らない舌でも詠唱が途切れないよう速度を落とす。


 だが当然、遅くなればその分、火球は私に迫ってくる。もうほとんど見えない目でも、何も感じなくなりつつある肌でも、じりじりと焼け付く光と熱が迫ってくるのを感じる。


 私の体内の魔力が感じるハーシュの魔力。それだけを頼りに詠唱を続け、魔力を流し込む。


 ハーシュの魔力とぶつかるのではなく、溶け合うように。触れた瞬間に、ハーシュの魔力と私の魔力とが一つに溶け合って、回路の外へこぼれ出ていく様をイメージして。


「―――――――――――」


 ああでも、もう、限界、かもしれない。


 左腕、次いで右腕の力が抜けて、だらりと垂れ下がる。立てていた膝が支えるだけの力を失って、身体が横倒しになる。くそ、情けない。知り尽くしたはずの弟子の術一つ、満足に返せないなんて。


 火球との距離はあとどれくらいだろう。私の口はまだ動いているだろうか。必死に唱えているつもりの言葉は、本当に言葉になっているだろうか。


 こんな風に倒れ伏す姿なんて見せたくない。でも、それでも、地に伏せてでも、私は勝たなきゃならない。


『師匠の本気、信じますよ』


 だってあの子は、私がこの術を破ると信じてくれたんだから。

 どんなに情けない姿になったって、私は、あの子の期待だけは、裏切りたく、な――。


 スッと、意識が溶けた。

 最後の瞬間、私が倒れている地面が揺れるほどの歓声が、聞こえた気がした。

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