攻守交代
**お詫び**
ここ3日ほど我が家のネット環境が爆裂して使い物にならなかったので更新が滞っておりました。お待たせして申し訳ありません。先ほど復旧した(と思う)ので、更新を再開します。
***
ゴウッと音を立てて火柱が上がる。
それまで私の植物を燃やしていた小さな火とは訳が違う。ハーシュの全身が一息に燃え上がる、どころかその炎は終わりが見えないほど天高く立ち昇り、伸びかかり、巻き取ろうとする草やら蔦などは、彼女に届く前に、火柱に触れることさえできずに灰か煤かという姿に変わる。
私の伸ばした蔓は、外側には魔力を帯びた泥を纏い、内には泥と共に地に落ちた魔力が通っている。通常の火で燃やせない訳ではない。だがそれでも燃えにくいはずで、事実ハーシュがそれまで小さく燃やしていた火では燃え落ちるまでに少し時間がかかり、その時間に次の蔓が巻き付くことでなし崩し的に彼女を引き倒すまで至ったのだ。
だが、それら全てをハーシュは一瞬にして焼き払った。
火柱が空に吸い込まれるように消えたあと、その場所にはやはり無傷のまま、ハーシュが立っていた。
会場が静まり返る中、ハーシュは苦々しげに私を見る。
「……つい、カッとなりました」
あはは、と誤魔化すように笑うハーシュの表情には適度な余裕と、焦りが共存している。致命的ではないが下手を打った、そんな表情だった。
私は鼻筋をつらりと撫でる冷たい汗を拭って、その間だけ顔を伏せ、全身の震えを押し殺した。
「一本目は、私の負けだな」
押し殺して、笑う。
――――――――――――――――――――っ!
ハーシュと私の言葉に一拍遅れて、会場に爆音の歓声が響く。もちろん、ハーシュに向けて。
「英雄ハーシュに、一本」
学長の声もどこか遠く感じる。割れんばかりの歓声の中で、私とハーシュだけが黙ってお互いを見つめていた。
侮ったつもりはなかった。自分が師だからなどと、実力で彼女に勝るなどと、そんな甘い考えで挑んだつもりはない。私は彼女よりはるかに格下の魔術師で、真剣に、より厳密に技量を競えば勝てるはずがない。そうわかっていた、つもり、だった。
だがそれでも、私はあの子を甘く見ていた。
その圧倒的な魔力を十全に扱えるようになった時、彼女がどれほどの力を発揮するのか、その試算を誤った。それはもう、誤りすぎるほどに。
ここまでか。こんなにか。これほどまでに、か。
実力差ではない。戦力差ではない。魔力の差でもない。この震えは恐怖でも、怯えでもない。
――興奮だ。
だってそれは、その力は、その技は。
私達の魔術の、可能性だ。
「強くなったんだな、ハーシュ」
「ぁ……師匠」
「どうした。お前の勝ちだぞ、笑えよ」
「い、や……あの、こんなつもりじゃ、その」
「なんだ、私の顔を立てようなんて思ってたんじゃないだろうな」
「いえ、そんなつもりは……ただ、こんな派手なことをするはずじゃ」
は、なるほど、もっと手を抜いても勝てると思っていたわけか。
悔しい気持ちがないではない。だがハーシュのその試算は私のそれと違い、あながち間違いではなかった。先程の私の術は、確かに天に昇るほどの炎など無くても振り払えた。ハーシュにとってはその程度の技だ。
だが、冷静であれば炎でひと薙ぎしてしまえば済んだはずの攻撃に、ハーシュはあれだけの、観衆に息を呑ませるだけの魔術を咄嗟に放った。彼女の試算した脅威を、瞬間的に私の方が上回り、動揺させた。
この一本は間違いなく私の負けだ。だが、私は確かにハーシュの予想を上回った。それだけで、私達の間では私の勝ちだ。
そしてこの負けは、私の誇りだ。この負けで、私は見せつけたのだ。
私の弟子は、こんなにすごいんだぞ、と。
* * *
二本目の勝負はすぐに始まる。
一息入れた私達が再び開始位置に立つと、一本目が始まる前よりも緊張感のある沈黙が訓練場を支配した。私も、先程よりもいくらか全身の強張りを感じる。仕掛ける側から仕掛けられる側になったのだから、当然このあと何が起きるのか見当もつかない。
だが、先程は受けてだからこそ余裕を持って対処していたハーシュも、今回はそうはいかない。私の術を打ち消すのにはそれほど派手な術でなくとも「相手に合わせた」で通用するが、逆は無理だ。観衆は何より英雄の技を見に来ている。全力、とは言わないまでも手を抜いたと思わせる程度の術では足りない。
まさか本気で殺しにくる、なんて流石に思わないが……それでも実力差を鑑みるに、怪我の一つや二つは覚悟すべきだろう。
「いつでもいいぞ」
それでも私は笑ってみせる。なによりもハーシュのため、ここで私が怖気づく姿なんて見せたらやりにくいだろうし、こんなところで腰が引けてる姿なんて弟子には見せられない。
そもそも、負けると決まったわけでもない。
「……師匠」
「あ?」
「師匠の本気、信じますよ」
――――――――――――――――。
言うが早いか、私がなにか応えるより先にハーシュは詠唱を始めた。私のそれほど長くはなく、けれど先程火柱を上げた時よりはずっと長い。囁くような詠唱の終わり際、ハーシュは手の平を空へ向けて腕を突き出した。
「
ぼぅっと、手のひら大の火球がその手の平に生まれる。
「
じわり、じわりと火球は大きくなり、そして少しずつハーシュの手を離れて上昇していく。
「
ゴウと風が吹く。人一人は軽く呑めそうな大きさになった火球の見た目以上の熱量が、訓練場の空気を空へ吸い上げるように風を起こした。
「
火球はいよいよ大きくなり、小さな太陽となって訓練場の空を覆う。
「
火球は星となり、太陽を覆い隠す。
巨大な揺れる影を地に落とし、その灼熱の塊はゆっくりと地上へ――いや、私に向かって墜ちてきた。
「……冗談にしちゃ、タチが悪いぞハーシュ」
私の言葉はきっと、業火のはぜる音で誰にも届いていない。観客席をちらりと見ると、最前列から真っ直ぐ天へと透明な壁が伸び上がっているかのようにじりじりと火球の端が削れていて、客席に被害はないらしい。
なるほどなるほど、こいつは重畳。これは、私のための火って訳だ。
「やってやろうじゃないか」
全身に滲んだ汗を拭いがてら、私はローブの袖を捲り上げる。その汗が、私の焦りによるものか、それとも迫り来る灼熱の塊のせいかわからなかったが。
それでも。
やる。やるぞ。私はやるのだ。
「eran ot ihsoh ukay ow ihsoh」
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