落ちこぼれの憧憬
「あたしは、この学院の歴史上稀に見る、劣等生でした」
ハーシュの講演は、そんな言葉から始まった。
「お集まりの皆さんもご存知かもしれませんが、あたしは今、有史以来最強の魔術師、だなんて大層な評価を頂いています。確かに、あたしはディフィアン学長を凌ぐ魔力量を生まれながらに有し、今ではきっと、皆さんの想像を超える魔術も、そう無理をしなくても扱えるだろうと思います」
ですが、とハーシュはそんな自分の偉大さこそを卑下するように軽く笑った。
「この学院で過ごしたほとんどの期間、あたしはただの一つの魔術も発動させたことのない出来損ないでした」
魔力量が多すぎるが故に、その強烈な才能を持て余し、その才能に弄ばれたのがそれまでの自分の人生だったのだと、ハーシュは回想する。
「力は確かにありました。自分の中で渦巻き、息づく魔力を、あたしは常に感じていました。でもそれだけ。あたしのそれよりきっとずっと小さな力しか無いはずの級友たちが次々に魔術を身に着けていく姿を横目に、あたしは初等科の最終講義で習う、はじめての実技演習用の魔術を練習し続けていました」
ハーシュの言葉に、講堂に集まった学生たち、そして外部からこの講演を聞きに来た人間も含めたほとんどの人間がざわついた。確かに、彼女はこれまでほとんどその素性や経歴を明かしてこなかったから、そんな経歴を知るのは当時の学院関係者くらいのものだ。
別に、ハーシュ自身や周囲の人間が殊更に彼女の経歴を隠そうとしたわけではない。ただ四人の英雄のうち、王都から遠く離れた田舎町から突如として「勇者」として見出されたルティ、辺境に暮らし独自の文化を持つ部族の戦士であったトマク、教会が厳重に守り有事の最大戦力として期待をかけられていたアレス、と他の三人はそれぞれに物珍しい経歴であったのに対し、ハーシュは国王陛下に請われたディフィアン学長が推薦した優秀な生徒、というだけで多少なり腕が立つ以外は王都育ちの普通の人間だった。
特別注目を集めるような経歴もなければ、喧伝するような武勇伝もない。だから大半の人々はハーシュを学院のエリートだろうと勝手に推測し、勝手に納得していた。
「学友たちへの嫉妬が無かったと言えば嘘になるでしょうね。彼らがより多くの魔力を欲する中、あたしが彼らの、あたしに比べればごく小さな魔力にどれほど焦がれたか、言葉では語りつくせません。この手に無いものを望むのと、この手にありながら使うことのできない力を厭うことの、一体どちらが苦しいのでしょう」
魔賢者の称号を有するとは思えない、劣等感で塗り固められた過去。
悲惨というわけではない。虐げられたわけではない。それでも、ほとんどの人にとって生まれた時から成功者だったと思われていたハーシュが、淡々と振り返った半生は聴く者たちにそれなりの衝撃を与えた。
「そんなあたしに一つの道を示してくれたのが、ここにいるイアリー先生、あたしにとっては魔術と――人生の師でした」
……ずいぶんと持ち上げてくれる。
進行役として、ハーシュの立つ壇上から一段低い場所で手元の進行表を意味もなくめくっていた私に会場の視線が一斉に向けられた。私が「余計なことを言うな」と念を込めてハーシュを睨むと、彼女は会場の意識が私に向いているのを良いことに嬉しそうにひらひら手を振ってきた。
「師匠は決して、魔術師として偉大な人ではありませんでした。目立った実績がある訳でもなく、少し風変わりな魔術を扱うがために、学長に請われて学院で研究をしていた、術者というよりは研究者といった風の人で、だからこそ、あたしにも可能性を与えてくれました」
やたらと持ち上げたあとで「偉大ではない」なんてハーシュが言ったことに少し驚いた。いやもちろん「そんなことはない私は偉大な魔術師である」などとバカげた主張をするつもりはない。無いが、ハーシュは例の賭けのために、ここで私の印象を良くしておこうと企んでいるのかと思ったのだ。
ハーシュが私を偉大な、あるいは強力な魔術師だと紹介した後で、私が派手な魔術を披露すれば、模擬戦の勝敗に関係なく歓声が上がる可能性はある。
まぁ、そんな思わせぶりな言動で聴衆を煽るようなやり方をするなら、私は徹底的にしょぼい魔術で落胆の声を会場中に響かせてやろうと思っていたのだが、どうやらそういった思惑で私を持ち上げていたわけではないらしい。
「師匠もまた、学生時代は落ちこぼれだったとあたしに話してくれました。あたしと同じくひとつの魔術も使えず、それでも魔術師になるという夢を諦められずに学院にしがみついていたんだって」
おいそこまで全部言うな。情けない人みたいになるだろうが。
「あたしと師匠の魔術的な問題は違ったものでした。術を発動できない原因はあたしと師匠とで違っていて、どうすればあたしが魔術を使えるようになるか、師匠も初めからわかっていたわけではありませんでした」
そりゃそうだ。私は少なすぎる魔力、火の玉一発にも満たない量の魔力でなんとか術を発動させる方法を磨いてきた。大してハーシュの問題は、火の玉一つ作るにも隕石を落とすような規模の魔力が弾けそうになってしまうこと。その魔力を体外に、術という形で放つことが出来なかったこと。
放出点の形成が難しい、という共通点こそあったが根本的な原因は真逆だった。
「でも、師匠はあたしを見捨てなかった」
壇上のハーシュが投げてくる強い視線を受け止めて、私も彼女を見つめる。
「師匠のもとで学ぶようになっても、すぐに魔術が使えたわけではありません。毎日違った方法を試しては失敗し、その度に、あたしは一生魔術が使えないんじゃないかと震えが走りました。でも、そんなあたしに師匠は何度も言いました」
……恥ずかしいのでやめて欲しい。ハーシュが何を言うか察した私は、なるべく平静を装うため表情に力を入れた。もちろん、私だってその言葉は覚えている。
「『私と同じ落ちこぼれを拾い上げてやるために、私は今日まで教師を続けていた気がする』。そう言って師匠はまた、すぐに別のやり方を考えてくれました。あたしがどれだけ失敗しても、あたしを諦めなかった、たった一人の先生でした」
だからなのだ、と。ハーシュは講演が始まってから初めて講堂全体に向けて微笑む。
「師匠がそんな風に言ってくれたから、言い続けてくれたから、あたしもあたしを諦めなかった。そしてあたしは自分のために求めていた魔術を、いつからか師匠のために求めるようになりました。この人の期待に応えたい。この人のような魔術師になりたい。誰かの絶望に寄り添って、一緒に戦える人になりたい。そう思えばこそ、あたしは絶対に、あたしの可能性を諦める訳にはいきませんでした」
それは初耳だった。
確かに、当時のハーシュは今よりも塞ぎがちで、おとなしかった。泣き言を口に出しこそしなかったが、失敗が重なるたび、その事実に唇を噛んでいたのを私は知っている。でも、それでも彼女が諦めなかったのは彼女の意思の強さであり、かつて私がそうであったように我武者羅な魔術への渇望がそうさせるのだと、勝手に思い込んでいた。
……それがまさか、私なんぞへの憧憬だったとは。
「さっきあたしは、師匠を魔術の師であり人生の師だと言いました。あたしは師匠の特別な魔術に希望を感じて、魔術師としての師匠に憧れました。そして落ちこぼれのあたしを何度だって立ち上がらせてくれた強さと優しさに、人生の師と仰ぎました。魔術に於いても、人としても、あたしが目指すのはこの人なんだと、そう思いました」
恥ずかしい。恥ずかしいけれど、どうしようもなく嬉しく、誇らしい。
ああくそ、口の端がにやける。だって仕方ないだろう。たった一人の愛弟子、決して多くを教えられたとは思っていなかった、けれど私の人生にとってきっと最も意味のある時間をくれた相手。そんな彼女が言ってくれたのだ。
私のようになりたかった、と。
「そうして魔術を手にした私は、学長の推薦でルティたち、三年間の旅路を共にすることになる仲間たちと出会います。あの旅路を切り抜けられたのは、厳しい戦いで折れずにいられたのは、旅の間もずっと、憧れた師匠の背を追っていたからです。世界なんて漠然としたもののためじゃなく、この手が届く誰かに寄り添って、一緒に戦って、そんな師匠のような在り方を志せばこそ、あたしはあの旅を無事に終えることができたのです」
そこまでを前置きに、講演の内容は長い旅の経験へと移っていく。もちろん、聴衆に向けて話すハーシュはその先を語るのに必要以上に私の名を出すことはしなかった。
けれど折に触れて、彼女は度々「師への憧憬」を口にした。それらは決してわざとらしいものでも、取ってつけたようなものでもなく、聞いているこちらが赤面するような実感の籠もった声で、否応なしに私という存在が彼女の過酷な冒険の一助になったのだと伝わってくる。
嬉しい。ああ認めるとも、私はいまこの上なく嬉しい。
何もしてやれなかったと思っていた。私よりはるかに力をつけていたとは言え、精神的にもまだまだ未熟で、幼いとさえ思っていた弟子を、私は王都の門から見送るしか出来なかった。彼女が一番辛いとき、人生で最も大きな障害と戦っている時、私は何もしてやれないのだと、それが悔しくてたまらなかった。
でも、そんな何もしてやれなかった私と一緒に学んだ時間が、ハーシュの旅の助けになったのなら。
ああ、それはなんて幸せなことだろう。
だらしなくにやけてしまう顔を隠したくて、私はハーシュが朗々と語る旅路を聞きながら両手で顔を覆う。
まったく、これがこの後の模擬戦、例の賭けまで見据えた布石だとしたら、この前哨戦は私の完敗だ。手を抜いて会場を冷ましてやろうなんて考えはもう、私の頭から吹き飛んでいる。
――あんな話を弟子から聞かされたら、少しくらいカッコつけたくなるのが師匠って生き物なんだよ。
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