賭けと要求
「それで、結局その模擬戦で私に何をさせたいんだ?」
ハーシュはともかく、学長とも話がついているとなれば実質私に拒否権はない。半ばあきらめの境地に立たされた私は、じとーっとハーシュを睨みながら尋ねる。
「そんな怖い顔しないでくださ……いえ、それはそれで懐かしくて好きなのでもうちょっと睨んでてくれてもいいです」
「いいから早く話せ」
「わぷ」
煙草の煙を吹きかけてやると軽くけほけほと咳き込んだ後、若干恨めしそうな目をしながらもハーシュは説明を始めた。
模擬戦の内容は戦闘というよりも技比べのようなものらしい。攻撃側と防御側に分かれて攻守を交代して行う1ターン勝負。攻撃側は一つの攻撃魔術を放ち、防御側はいくつの術を使っても相手の魔術を無効化すれば勝ち。物理的に移動して避けるのは禁止で、あくまで「相手に打ち消せない術を放つ」「相手の術を自分の術で打ち消す」という攻守それぞれ一点に集中した勝負である。
「これなら戦闘経験の差は気にしなくていいですし、あたしにも師匠にも、それぞれ見せ場が用意できますよね、ってことです」
「まぁ、妥当なところか……」
実戦形式では勝負の体を成さないのは当たり前だが、例えば攻撃側に複数の術の併用を許可してしまえば魔力量で圧倒的に勝るハーシュは技の数を増やせば私を圧殺出来てしまうし、物理的に避けるという手段が使えるなら、そも殺意の無い術であれば私でも簡単に一本取れてしまう可能性がある。
この模擬戦は、引き分けか、或いはハーシュの辛勝が最も都合がいい。
英雄はやはりすごい、英雄の恩師もそれなりにすごい。そうなるのが、ハーシュの名声を護ると同時に学院の名声を高めるという意味で最高の結果といえる。この勝負方法なら、その結果を一番導きやすい。
一勝一敗、或いは一勝一分け。ハーシュが一方的に負けることはまずありえない勝負だし、仮に私が攻守ともに破れて二敗となっても、相手がハーシュなら仕方ない、と思われるだろう。
どう転んでも上手くいく勝負、というのは八百長みたいであまり気は進まないが……まぁ、これも仕事と割り切るべきだろう。
「八百長みたいでやだなー、とか思ってます?」
「……お前、とうとう人の心まで覗くようになったのか」
「違いますーそんな外法には手を出してませんー。ていうか、師匠が真面目で顔に出やすいだけですよ」
「そんなはずは……」
これでも無愛想でいつでも仏頂面だと同期や同僚からはもっぱらの評判なんだぞ。何も自慢できることじゃないが。
「そうですか? あたしは師匠の反応、いつも素直で可愛いなぁって思ってましたけど」
「……変わってるな、お前」
「まぁ、師匠の可愛いところはあたしだけが知ってればいいので」
かっこいいとこはもっと知ってほしいんですけどね、と照れ笑いするハーシュが可愛い。じわじわと胸が温かくなる。こいつが戻ってから、どうもこの言いようのない感覚を何度も感じている。
「言ってろ」
けれどもちろん、私はそれを認めない。この愛しさに従ってしまいたいと呻く心臓を締め上げて抑え込む。
感情に従って良いことなんてある訳がないのだ。私がハーシュを身近に留めようとしたとして、それは彼女の可能性を奪うことにしかならない。ハーシュはもう子供ではない。けれど私がこの学院、この研究室をそうと決めたような、自分の居場所を決めてしまうにはあまりに若く、まだまだ未知の可能性をいくらでも眠らせている。そんな彼女の未来を、師である私が狭める訳にはいかない。
師は、弟子の未来を開くためにいるのだ。
決まりきったゴールに導いて、自分の手元にいつまでも留めおくなんて真似は許されない。私の可愛い弟子は、私だけのものじゃない。
「……で、賭けってのは?」
「そうですねー。単に勝ち負けだと完全に実力というか、賭けじゃなくてそれこそ勝負になっちゃうので――会場から師匠に歓声が上がるかどうか、っていうのはどうですか?」
「は? 私に歓声だと?」
何を言い出すかと身構えていたのだが、もっとメチャクチャな賭けを提案されるかと思っていたら肩透かしだ。そんなの。
「だったら私は歓声ゼロに賭けるぞ」
先の見えた賭けはやめておけ、と言ったつもりだったのだが。
「いいですよ、じゃああたしは会場から師匠に大歓声に賭けますね」
さらりと了承したハーシュをまじまじと見つめる。……こいつ、本気か?
模擬戦は講演会のシメとして用意されているプログラム。つまり観客とは当然、ハーシュの話を聞くために、そして英雄ハーシュの魔術をひと目見ようと詰めかけてくる連中なのだ。ならば会場が味方するのはハーシュであり、私が勝とうが負けようが、何なら私が何もせずともハーシュが魔術を発動するだけで会場に大歓声が響くだろう。間違いなくハーシュに向けて。
「……これじゃ賭けにならないだろう。今や王都でお前を知らない者はいない。対する私は教え子たちの保護者に認知されてるかも怪しいレベルだぞ。しかも見せる魔術はイロモノ。それで会場が静まることはあっても歓声は上がらないだろ」
「てことは師匠が勝てるんですから何も問題ないですよね」
「あるだろ。勝負の見えた賭けは賭けって言わねーんだ」
「いえ、勝つ方法はありますよ」
きらりとハーシュが目を光らせる。
「おい、何かイカサマする気じゃないだろうな」
「いやですね、そんなことする訳ないじゃないですか」
ハーシュはにこにこ顔だが、私はその妙に自信たっぷりな態度に首をひねるしかない。だが、確かにこいつはイカサマなんてするような性格ではない。そんな人間だったら私が好きになるはずが……じゃなくて、そんな人間に魔術を教えるほど私は耄碌したつもりはない。
だからこそ、よくわからない。
イカサマの線はない。無いが、となればハーシュは何の仕込みもなく勝ち筋が、私に向けて歓声が上がる可能性が十分あると踏んでいるらしい。
「なら、私が勝ったらキスの約束は終わりだ」
私は切り札を使う。そう、この会う度にキスを繰り返す爛れた関係さえ断ってしまえば、私がハーシュに抱く気持ちだって落ち着くはずだし、ハーシュもやがて諦めて私以外の誰かに目を向けるはずだ。……それはそれで、想像しただけで胸がムカつくが必要なことだ。
いやそもそも、この切り札の前ではハーシュだってさすがに賭けを引っ込めるはずだ。私との約束を、ハーシュは三年間の旅の支えにすらしていたのだ。そう簡単に手放すはずが――。
「いいですよ」
「え」
「……なんで師匠が残念そうな顔してるんですか?」
「してない」
「だっていま」
「してない」
今度はハーシュが私にジト目を向けてきたが私は煙草を味わうふりで目を閉じて誤魔化した。
「ま、いいです。それじゃ――」
ハーシュが例の約束をベットしてでも得たい賭けの報酬。果たして彼女にとって価値の在るものを、私はキス以外に未だ何か持ち合わせているだろうか? 全財産を差し出したとて、いまのハーシュの私財の方がはるかに多いはずだが。
「――あたしが勝ったら、デートしてください」
負けるわけには、いかなくなってしまった。
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