怖がりと寂しがり

「師匠、あたしと賭けをしませんか?」


「あ?」


 学長が部屋を出ていった後、わざわざ私の隣にぴたりと椅子を寄せてひっついてきたハーシュがまた妙なことを言い出した。


「私はギャンブルはしない主義だ」


「知ってますけど、でも師匠、賭けには強いじゃないですか」


「たまたまだ」


 確かにハーシュの言う通り、私は昔から変なところで運がよく、賭け事や一度きりの勝負事には実力とは関係なしに妙に強いところがあった。ただ、私がそれを苦々しく思っているのもハーシュは知っているはずである。


「実力以外で得た成功なんてロクな結果にならないんだよ。それに確率ってのはな、結局最後には収束するもんなんだ。勝ち続ければそれだけデカい負けがくる。一文無しになりたくないなら、ギャンブルなんて手を出すべきじゃないんだよ」


「相変わらず堅実ですね」


 師匠らしいですけど、と口を尖らせる。


「でーも。実力での賭けならどうです?」


「どういうことだ?」


 問い返すと、ハーシュはにまーっと悪そうに笑いながら「あのですねー」と話し始めた。


「模擬戦と言っても、真剣勝負をするわけじゃないですよね?」


「まぁ、そうだな」


 魔術師同士の決闘、真剣勝負。それをそのままやれば、私の敗北は目に見えている。魔術の腕だけでなく、相手を追い詰める戦いの勘所や経験の差は、実践をくぐり抜けてきたハーシュと王都で安穏と暮らしてきた私では差がありすぎるし、まぁ勝負にもならないだろう。


 手を抜いて見せたり、予め互いの手を極めて演舞をするという手もあるが、おそらく聴衆にとって一番魅力的なのは「英雄の本気の技が見られる」という点にあるだろうし、師弟対決という看板を掲げる以上、師匠が明らかな実力不足では見栄えが悪い。


「それでですね、あたし学長と話し合ったんですけど」


「……待て、お前学長とグルだったのか?」


 しれっと言われたので思わず聞き流しかけたが、聞き捨てならない発言があったことを問い詰める。講演会で私が進行と模擬戦の相手を務めると決まったのはついさっきだと思ったが、学長とハーシュは既にそのつもりで話を進めていたのか?


「あれ、講演のことで学長先生と話したって言ってませんでしたっけ?」


「聞いてない」


「この間講義にお邪魔した時に――」



『……ああ、さっき学長に呼ばれたので、ついでに顔だしてきました』



 ……あれか!


「帰国の挨拶に行ったものだとばかり……」


「まさか。そもそも学長へのご挨拶なんて帰国してすぐ、陛下への謁見のあとに済ませてますよ。あの人、王都の最重要人物の一人なんですから」


 まぁそれはそうなのだけど、と納得しかけたところで「む」と気がかりに首を傾げた。


「どうかしました?」


「お前、確か凱旋パレードの翌日にはもう私の家に押しかけてきたよな?」


「はい」


 それが何ですか、みたいな顔でハーシュは頷く。

 私が帰国したハーシュを初めて見たあの凱旋パレードは、もちろんその瞬間に彼女たちが帰国した、という意味ではない。パレードの数日前には既に帰還し、王城の国王陛下や諸大臣、元老院といった有力者への挨拶回りは先に済ませてあったはずである。


 その直後、学長への挨拶を済ませている、ということは。


「……最初に私のところへ来たわけじゃなかったのか」


 学長もそういった有力者の一人には違いないが、彼女は基本的に学院を離れられない。つまり彼女に挨拶を済ませていたということは、パレードより前に学院を訪れていたということだ。にもかかわらず、ハーシュはパレードの日まで私に姿を見せなかった。英雄帰還の報を聞いてから、教え子をひと目見たいと柄にもなくそわそわしていたのに、それは私だけだったというのが不愉快だった。


「師匠、それって」


「なんだ」


「嫉妬、ですか?」


「……………………ち、違う」


 違わなかった。いや言われるまで本当にそんなつもりはなかったのだが、ハーシュに正面からそう言われて思わず目をそらしたのは、もう明らかに図星だと自分でも思う。


 だって、凱旋パレードから飛び出してくるくらい、早朝から私の家に上がり込むくらい、彼女も私との再会を待ち望んでいて、我慢できなかったんだと思っていた。それなのに、私に会おうと思えば会える場所まで来ていながら、会いには来なかった。


 それがどうしようもなく、悔しい。


 そんな私の胸の内をどこまで察してしまったのか、ハーシュはいつもの生意気な顔ではなく、今まで見たことのないような大人びた顔でふっと笑うと、こてっと私の肩に頭をあずけてきた。


「すぐに会いにこれなくて、ごめんなさい。本当はあたしだって、真っ先に会いに来たかったんですよ? でも、偉い人たちにパレードまで私用で出歩くなと厳命されてましたし、あたしも、勝手に出歩いて騒ぎにしたくなかったんです」


 表情と同じ、真っ当な大人の理由。そうだ、私に会いに来るのが無理なことくらい、私だってわかっている。ハーシュはもう、私の教え子で不良学生だったあの頃とは違うのだ。救国の英雄で、史上最強の魔術師で、その行動には三年前とは比べ物にならない大きさの責任が伴う。


 私に再会するのが、数日遅れるだけ。事実自由に行動できるようになったパレードの翌日、彼女が真っ先に訪れたのは私の家だった。彼女はその立場と責任に許される限りいちばん早く、私に会いに来たのだ。

 それは正しい。私だって逆の立場ならそうする。そう私も頭ではわかっていて、それでも、それでも思ってしまうのだ。


 こいつの帰還を最初に迎えてやるのが、私だったらよかったのに、と。


「……いえ、騒ぎにしたくないとか、そんなのは言い訳ですね」


「え?」


「本当はあたし――師匠に会うのが怖かったんです」


 私の肩に頭をあずけたまま、決して私と視線を合わせず、ハーシュは懺悔するようにつぶやいた。


「三年間ずっと会いたくて、王都へ帰れば師匠に会える、約束のキスがもらえる、ってわくわくして帰ってきたんです。でも、王都の門を前にした時、足がすくみました」


 あたしだけだったら、どうしようって。


「あたしは旅の間ずっと、師匠にもう一度会うために、そう思って戦ってました。旅の全部がそのためでした。でも、師匠にとっては違うかもしれない。あたしのいない三年の間に、もしかしたら恋人ができてるとか、結婚してるとか、そんなことだってあるかもしれない。何より――忘れられてるかもしれない。会いたいと思っているのは、こんなにも恋しく思っているのは、あたしだけかもしれない」


 いつも能天気で生意気な弟子。私なんか足元にも及ばぬ大魔術師の教え子。そんな彼女らしからぬ、私にしてみれば杞憂もいいところな苦悩。

 けれどこうしてそれを語るだけで苦しげに顔をしかめる彼女にとってそれは本当に、心底恐ろしい迷いだったんだろう。


 何か言うべきか、何を言うべきかわからず、タバコ味の息をふぅと吐き出した私の肩で「でも」とハーシュは苦しそうだった表情を和らげる。


「師匠がそんな風に思ってくれてたなら、なりふり構わないで会いに来ておけばよかったですね」


「そんな風にって」


「学長先生に先に挨拶したのが気に入らないくらい、あたしに会いたかったんですもんね」


「ばっ、違……わない、が。違わないが、そうじゃなくてだな」


「嬉しかったですよ。凱旋パレードで、師匠を見つけた時」


 あの時。眩しさに目を細めた私の前に、こいつは迷わず飛び降りてきた。それはそれは嬉しそうに笑って、私まで素直に彼女を出迎えてしまう、心底嬉しそうな笑顔で。

 あれが偽物だなんて、思えるはずもない。


「忘れられてたら、あたしのことなんてどうでもよくなってたら、なんて。そんな不安が全部、吹っ飛んじゃいました。師匠がまっすぐあたしを見上げてくれていたからです」


「……そりゃ、見るだろ。大事な教え子が無事かどうか、気にかけない師匠がいるもんかよ」


「ふふ、へへへっ」


「おい何だよその笑いは」


「帰ってきて、いえ――生きていて、よかったです」


 それが、文字通りの死地をくぐり抜けて戻った、英雄の言葉。

 私なんかに会えたこと、それだけで生き残った意味があったと言ってくれるのがなんともこそばゆく、そして温かい。


「好きですよ、


「っ、ああ、私も好きだぞ


「ふふ。今はまだ、それでいいです」


 私の下手な誤魔化しはまるで通用しなかったらしいが、ひとまずは不問にしてくれるようだ。


「だから師匠」


「ああ、なんだ」


「勝負と賭けの内容ですけど」


「……そうだったな」


 すっかり忘れていた、嫌な予感しかしない話題にがっくりと肩を落とす。タイミングよく私の肩から頭を上げたハーシュは私に向き直り悪戯っ子のように「にまー」っと笑うのだった。

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