提案
「えぇとそれで、何でしたっけ、講演会? 初等科の学生は参加できないはずでは?」
隣に腰を下ろしてにこにこしながら話に加わっているハーシュを横目に見つつ、学長に確認する。
「ええ。さすがに初等科の子たちに目線を合わせた講演では、高等科の皆さんや一般参加の方たちには見合わないでしょうから」
「ですねー。正直あたしも、そんなに年齢層が広いと何を喋っていいかわかりませんし」
当たり前のように話に加わっているハーシュだが、さすがに出て行けとは言えない。何しろ今週末に学院の講堂で予定されている講演会の主役は彼女なのだ。
具体的に何を話すのかについて多少の不安はあるが、まぁ講演会を開くこと自体に異論はない。私が教えている子たちがそうだったように、英雄の姿を見て、その言葉を聞くだけでも学びの意欲に繋がる学生は少なからずいるだろう。
ハーシュだけでなく、勇者ルティやトマクもそれぞれ郷里へ戻っての講演、というかまぁ二人の故郷は田舎なのでどちらかと言うと英雄凱旋をネタにした村祭りに近い催しが企画されているらしいし、聖女の呼び声高いアレスもまた所属する教会の教導に引っ張りだこらしい。
だから、英雄たちのうちでも魔賢者の異名を取り最優の魔術師と目されるハーシュが、母校であるこの学院で講演を行うのは自然な流れだ。
行事としてその予定は認識している。教え子たちが参加しないので会場設営や受付などの手伝いに駆り出されるかもしれないな、程度に思っていたのだが……どうも、そうのんびりしてもいられないようだ。……面倒ごとの予感しかしない。
「その講演会ですが、当日の仕切りと進行役をイアリーにお願いしようと思いましてね」
「……私が進行を、ですか?」
「ええ、気心の知れた同士のほうがスムーズでしょうし」
「余計なお世話です」
「最高のお世話役です!」
「ね? 講演なさる本人もこう仰っていますし」
「…………」
じろりとハーシュを睨みつければ、嬉しそうなニコニコ顔で見返された。
「一応聞いておきますけど、拒否権は?」
「もちろん貴女が本当に嫌だと言うなら、無理にとは言いません。でもよく考えてごらんなさいな。貴女以外に、この子の講演を任せられますか?」
なにげに本人を前にして失礼なことを微笑みながら言う学長に、私は渋面を浮かべるしかない。ハーシュは在学中、高等科の講義にはほとんど出席しなかったし、私と知り合ってからは私の研究室に入り浸って、私が講義などで部屋を空けている間も私の個人研究の資料を読み漁っていた。だからこの学院でハーシュにとって恩師に当たる人間がいるとすれば、それは私くらいのものだろうと思う。
そういう意味で、講演会を円滑に進める上でも、外部への英雄を生んだ学院のスタンスとしても、私が前に出るのが正しい。そうは思うのだが。
「ですが学長。そもそも私は彼女の師を名乗るような実績のある魔術師ではないのですよ? 私のような出来損ないが英雄を指導したなどと尤もらしい顔で仕切るのは、学院の名誉を貶めることになりませんか?」
「相変わらず貴女は自己評価が低いですね」
「事実を述べているまでです」
「少なくとも当の英雄であるハーシュさんと、そして学院の責任者たる私が貴女を認めています。それ以上誰の承認が要ると言うのです?」
「それは……」
そう言われると反論できない。ハーシュもしきりに頷いているし、この場で私を低く評価しているのはそれこそ私だけだった。
世間的に私はこれといった功績のない無名の魔術師であることは間違いない。けれどもハーシュの師は誰か、ということだけで言えばそれが私であるのは事実だし、その無名の私が講演を仕切ることに当のハーシュが乗り気である。これで私の代わりに誰か他の同僚を替え玉にしようものなら、ハーシュの機嫌を損ねるのは確実だ。
「…………わかりました」
「やたっ」
「ふふ、貴女ならそう言ってくださると思っていましたよ」
ガッツポーズをするハーシュを微笑ましそうに見てから、学長は改めて私に笑いかけながら言った。
「ですが、イアリーの言う通り師匠の実力がわからないというのは聴衆にとっても少し物足りないかもしれませんし、せっかく英雄の姿を間近に見られるのだから、その技を見てみたいという方も多いでしょう」
「……それが、何か」
すごく嫌な予感がする。先程、講演の仕切りを任せると言われた時以上の面倒ごとの予感に、私はいざとなれば逃げ出そうとわずかに腰を浮かせた。
「ですから――貴女たち二人で、模擬戦を見せるというのは如何でしょう」
ふざけんな、と掴みかからなかったのはひとえに目の前で微笑む女性が昔散々しごかれた恐ろしき師であったからで、そうでなければ私は胸ぐらに掴みかかるかその場で椅子を転げ落ちて逃亡を図っていたはずである。
けれど現実に私は、浮かせていた腰から力が抜けて、椅子にへたりこんだ。
……この人がこの笑顔をしたら最後、私はどう足掻いても逃げられないのだ。
私だけを威圧する穏やかな微笑を浮かべる学長が「いかがでしょう?」とハーシュに問えば、ハーシュは間髪入れずに「ぜひ!」と目を輝かせる。
ああ、終わった。私、今週末には人生の幕を下ろすのかもしれない。
諦めの境地に至った私は、灰皿の上のシケモクを拾い上げて火もつけずに咥えた。嗅ぎ慣れた匂いとフィルターを通したまずい空気を吸い込んで「けほっ」と咳き込むのが、私に許された精一杯の不満の意思表示なのだった。
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