我慢できない
「……ハーシュ、何しに来た」
「だから言ったじゃないですか、遊びにきたんですよ」
「講義中だ、帰れ」
「つれないですねー」
けらけらと笑っている様子は実にいつも通りなのだが……こいつ、今朝私に告白して玉砕したんだよな? 私断ったよな? わかってるのかほんとに!
「あ、じゃあ邪魔しないので、講義聞いて行ってもいいですか?」
「帰れ。お前に初等科の講義なんてもう必要ないだろ」
「師匠が先生してるとこ、そういえば見たことなかったなーと思って」
「見世物じゃねぇんだよ」
「いいじゃないですか、減るもんじゃないんですし」
「私の精神力とかプライドとかがゴリゴリ削られていくんだが」
「あとでたくさん慰めてあげますね」
「本当に帰れ」
三年もご無沙汰だったとは思えないくらいにだらだらとしょーもない絡み方をしてくるハーシュをあしらっていると、さっきまでハーシュの登場に大騒ぎだった子どもたちが静かになっていた。今度はどうした、とそちらを見ると、全員が奇異なものを見る目で私とハーシュを交互に見つめている。
「ほんとだった」
誰かがぽつりとそうこぼすと、一気に全員がわっと騒ぎ出す。
「ほんとにししょーだったんだ!」「すごーいほんもののハーシュさまだ!」「ハーシュさまにかえれだって」「こくおうへーかでもハーシュさまたちにはていねいだったのに」「しつれいじゃないのかな?」「でもハーシュさまなんだかうれしそうだよ」「イアリーせんせーもちょっとうれしそう」「えーそうかなぁ」「師匠が嬉しそうだったって? その話詳しく」
おいおいこれ収集つかないんじゃないのか? この年頃の子たち、一度騒ぎ出すとそう簡単には静まらないんだぞ。っていうかハーシュ、的確に私の様子を聞き出しに行くんじゃない、子どもたちも急に話に混ざられてビビってるだろうが。
「結局本当は何の用なんだ」
仮にも凱旋したばかりの人類の英雄なのだから、そうそう暇でもないだろう。
「いや、本当に師匠に会いに来ただけですけどー……ああ、さっき学長に呼ばれたので、ついでに顔だしてきました」
「そっちがついでじゃダメだろ」
「師匠よりも優先度の高いものなんてありませんから」
にこっと愛嬌のある笑みを浮かべてそんなことを言うものだから、途端に今朝のことが脳裏に過る。
『……師匠、キス、上手い』
「〜〜〜〜〜っ!?!?」
バカ、私の大馬鹿。思い出すにしてもそっちじゃないだろ、告白のこととか、怒り心頭で出ていったところとか、もっと思い出すべきことがいくらでもあるだろ! 何でよりによって最初に思い浮かべたのがキスで蕩けたこいつの顔なんだ!
「師匠?」
「な、なんでもない、ないから! ……くそ、もういい。わかったから大人しく座ってろ」
「はーい」
私が生徒たちの方を指すと、ハーシュは大人しく空いている席に腰を下ろした。隣の子はがちがちに緊張してるし後ろの子は早速背中に飛びついてきゃぁきゃぁ言っているが……あの二人はあとで追加で見てやらないと今日の内容は頭に入らなそうだ。
「コホン。時間がないのでとっとと始めるぞ。昨日の続きからだ、導書の二十七頁を――」
「えーつまんなーい」
「……二十七頁を」
「つまんなーいー」
「ハーシュ」
こいつ、今朝の仕返しのつもりか? いや、こいつはそんなみみっちい性格じゃないというか、やる気になったらこんな陰湿な嫌がらせではなくこの教室を私にだけ熱い炎で燃やすとかそういう規模のことを平然とやってのけるタイプだ。
「もっと面白いこと、しましょうよ」
「は?」
ひょいっと座ったばかりの椅子から立ち上がったハーシュが、てててと私の立つ教壇の前にやってくる。
「……講義中なんだが」
「まぁまぁ、せっかく英雄が遊びにきたんですから」
その発言に、これは完全に猫をかぶっているなと確信する。いや猫が適切かはわからないが。こいつの場合本心を隠すと大人しくなるというよりは大げさに振る舞うようになるのだ。だから、普段なら絶対に自称したがらない「英雄」の肩書を迷いなく口にする。
だが、それならこいつは何を企んで――。
「師匠のかっこいいとこ、あたし見たいですー」
「は?」
「あー見せてくれないかなぁ、イアリー先生のすごいところー」
「無ぇだろそんなもん」
「えーそうですか? ありますよ、例えば――」
ぎゅるぉッ、と。普通に生活していればあまり耳馴染みのない音がする。ハーシュの足元から突如として水が巻き上げられ、ぐるぐると渦巻きながら上へ上へと伸びて彼女を丸ごと飲み込んでしまった。
子どもたちが「ハーシュさま!?」と驚きの声を上げる間にも渦は蠢き続け、そしてハーシュの全身を包み込んだそれが足元から解けていくと、そこには。
「せ、せんせーだ!」「せんせーがふたり!」「へんしん! へんしんした!」
子どもたちがわっと歓声を上げた。渦の中から現れたのは紛うことなき私の姿。そう、子どもたちの言う通りハーシュは変身してみせたのだ。……私に。
いや、何でだよ。
「何のつもりだハーシュ」
スゴい技術なのは間違いない。繰り返しだが魔術とは元来大雑把なもので、精密な操作、細部にわたる微調整、そういうものとは端から相性が悪い。よほど卓越した技術があれば不可能ではないが、それはいわば濁流の水を思い通りの模様になるよう極細の水路に分岐させるようなもので、本来であれば非情に神経質な術で事前準備も必要だ。
それを詠唱や儀式、特別な動作など一切なしでさらりとやってのけるのは確かに凄まじい技術であり、ハーシュが魔賢者と呼ばれているその一端を子どもたちに見せた、のかもしれないが。
「師匠も見せてくださいよ、このくらい簡単でしょう?」
ハーシュがわざとらしくこちらを煽ってくる。その通り、ハーシュがやってみせたこれは、私でも容易に再現できる術だ。なぜならこいつにこの技を教えたのは他ならぬこの私だから。しかし、だからこそ、私はこの変身術を始めとした私の技を子どもたちに見せなかった。
この子たちは「普通の魔術師」になるのだ。そもそも魔術としての体系から違っているこんな術を見せたところで何の参考にもなりはしないし、仮にそんな術に憧れて本来の学びに影響が出たら意味がないどころか邪魔でしか無い。
私やハーシュの魔術は、言うなれば邪道。王道を究める前に学ぶべきことではない。
なにより、ほとんどの魔術師にとっては再現性がない術だ。もしこれを再現したいという子がいて、それが出来ないとわかって挫折したら? 自分にはその才能がない、そう突きつけられることの怖さを、私は何よりも知っているのだ。
「ハーシュ、私は」
「大丈夫ですよ」
「なに?」
私の顔のままハーシュの声で喋る妙な存在がにこっと私に似合わない笑顔を浮かべる。
「私は師匠に憧れて、師匠みたいになりたくて頑張りました。先生は、生徒にかっこいいところを見せなくちゃ、ですよ」
「…………」
憧れ。そう、憧れだ。
私にもそれがあった。具体的だったわけではなく、いわば魔術師という概念そのものへの憧れだったかもしれない。それでも確かに、それはあった。
その憧れに、私は生まれた時から届くはずがなかったのだと知った時の絶望を色濃く覚えている。どんなに足掻いても、努力や技術ではない根本的な部分で私に魔術は使えないと知った時の苦しみ。
ああ、けれど。
それでも魔術師になりたいと歯を食いしばったのは。学長が示してくれたわずかな可能性を必死で学び、究め、己の技を磨いてこられたのは。
それもきっと、憧れの力だ。
「……少しだけだ」
変身術なんて、普通の魔術師は使わない。こんなものに憧れたって仕方ない。けれど英雄となったハーシュが私に変身して見せるだけで子どもたちは大興奮で、そして私に期待の目を向けてくる。
英雄ハーシュはすごい。けれどそんなすごい英雄と同じ技を、もし底辺魔術師の私が使えるとしたら。この子達も、英雄の力が決して英雄だけのものではないという希望を抱けるだろうか。英雄と同じ技が使えるかもしれないという期待が、学びの原動力になるだろうか。
それなら、その後押しくらいしても、いいかもしれない。
「ふっ――」
無詠唱無動作まで私は短縮できないが、仰々しい儀式も必要ない。私はハーシュがやってのけたのと同じく、渦が自分を巻く様子、より厳密に言えば渦のように自分を包む魔力をイメージし、渦を描くようにくるくると指を回した。
ごぽっ、と私の足元から水が湧き出し、先程ハーシュがしたそれと同じく私を包み込む。渦が晴れたとき、私がいた場所に立っているのはもちろん。
「……これで満足ですか、師匠?」
わざわざ声まで変えてやったのだ、これで不満だとは言わせない。
「さすがですね、師匠」
私の顔をしたハーシュがこの上なく嬉しそうに笑う。やめろ、私はそんな風に笑わない、というか自分の満面の笑みなんて見たくない。
「さぁ、気が済んだら講義にもど――」
そうして生徒たちに向き直った直後。
「すっ」
誰かが小さく声を漏らして。
「「「すっごぉ〜〜〜〜〜い!!!!」」」
歓声の大合唱が講義室に響き渡った。
* * *
てんやわんやで講義どころではなかった。
「まったく、結局邪魔しに来ただけだったじゃないか」
「えー、そんなこと無いですよ。みんな大喜びだったじゃないですか」
「お陰で丸一日分講義の内容が遅れるんだよ」
「大丈夫ですってー。明日からはあの子たち、今まで以上に真面目にお勉強してくれますよ。なんと言っても、憧れの先生のもとで学ぶんですから」
講義――にならなかったのだが――を終えて研究室に戻ってくる私にくっついてきたハーシュは、今朝私の家を訪ねた時と同様に慣れた様子でお茶を淹れながらにへっと笑う。私はなんとも言えない気持ちで煙草に火をつけつつ、やんちゃが過ぎるぞと弟子を睨みつけた。
「講義の邪魔したのは悪かったですけど……」
「けど? けど何だよ」
「あんなの、黙って見てられないじゃないですか」
ハーシュの言う「あんなの」が何を指しているのかわからなくて首を傾げる。
「なんのことだ?」
「だってあの子たち、全然師匠のすごさをわかってないし」
「すごくないからな」
そんなことか、と私が呆れているのが納得いかないのか、ハーシュはむむっと不機嫌そうに眉根を寄せた。
「というか、あの子たちが私をどう思っているかが、お前と何の関係があるんだ?」
「大有りです」
がちゃん、とお茶を飲んでいたカップを乱暴に置く。おい、それ備品なんだから壊すなよ。
「好きな人がバカにされてたら、認めさせてやりたいと思うのが普通でしょう!?」
「…………は?」
意味がわからなくて、思わずハーシュの顔をまじまじと見返してしまう。怒りと羞恥とでほんのり頬を染めながら、ハーシュは「だーかーらー」っとばんばん机を叩いている。
「今朝、言いましたよねあたし! 師匠が、好きだって!」
「あ、ああ」
「だからっ、そんな大好きな師匠が子どもたちに認められてないの、悔しいじゃないですか。師匠はこんなに強くてかっこよくてキレイで可愛いところもあって素敵なのに!」
「ま、待て待て。つまり何だ、お前もしかして、あの子達に私をスゴいと思わせたくてあんなことさせたのか?」
「そう言ってるじゃないですか!」
「私は、その……お前の告白を断ったんだぞ? それなのに」
「関係ないです」
なんだと、と聞き返すよりも先に、身を乗り出してきたハーシュにひょいと煙草を奪われる。
「……おい、返せ」
「告白の返事がどうだったかなんて関係ないです。別に断られたからって、私が師匠を嫌いになるわけありませんし」
さらっと言われた言葉にカァッと顔が瞬間的に熱くなる。
どこかで、あれで終わりだと思っていた、のかもしれない。理由はどうあれ、彼女が向けてくれた好意を私は拒んで。そして師弟というにはあまりに実力が離れていて。だから私とハーシュはもう、かつて師弟だっただけの――他人になってしまった気がしていた。
「そんな訳ないじゃないですか。第一、告白を一度断られたくらいで私が諦めると思ってるんですか?」
「いや、普通はフラれたらそこで終わりじゃないのか」
「違います、私、まだ全ッ然師匠のこと諦めてませんから。むしろこれからです」
「これからって何を――んむっ」
言い終える前に、強引に唇を奪われる。唇を甘噛みされて彼女の味がする吐息を流し込まれて、なぜかわからないけど涙が滲む。視界がぼやけ、頭が蕩かされていく中で考えられたのは、煙草を奪ったのはこのためか、とそれだけだった。
「ん、っは……あたしからするのも、いいですね」
もっと欲しくなります、とほんのり上気した顔で微笑まれて、背筋にぞくぞくとしたものが、キスしていた時よりも激しい何かが駆け抜ける。
「文句は受け付けませんからね。だって師匠が言ったんですよ、キスくらいいくらでもしてやるって」
そうか、そうだな、言ったな。うん、言った。いくらでもしてやるって。だから――。
「……ってあの、師匠? どうかしまし、んんっ」
したい、と。湧き上がるシンプルな欲求の意味を考える前に身体が動いた。ハーシュの片手はテーブルに押さえ付けて、もう一方の手は逃げられないようにしっかりハーシュの頭に回す。「ちょっ」とか「待っ」「落ち着ぃ」とかなんとか言っているハーシュの口の動きを、ぐりぐりと唇を押し付けて遮った。
我慢できなかった。何をとか、どうしてとか、そんなの私にもわからない。ただ、ああ我慢できないって、そう思っただけ。
「し、師匠待って、一旦待って」
「待てない」
「ひゃ、んむ、んんん!?」
そうだ、文句は受け付けない。もっとして欲しい、なんて言って、私を突き動かしたのはハーシュなんだから。
腕の中のハーシュからくたりと力が抜けるまで……いや、抜けてからもしばらく。私は衝動のまま、彼女の甘い唇に吸い付いていた。
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