英雄の師

「あー、遅れてすまんな、学長からちょっと呼び出しを受け……なんだ、どうしたみんな?」


 講義室に入ってすぐ、その違和感に気づいた。いつもは私が何を言ってもロクに聞きやしない面倒な年頃のやんちゃども。それが今日に限って妙に大人しく、いつもより数分遅れで教壇に立った私を見てはひそひそと近くの子たちと何か囁き合っている。


 ……まぁ、あまりいい予感はしないが。


「あのー、せんせー」


「なんだ」


 代表して手を上げたのは、私が受け持つこのクラスでは比較的大人しい優等生タイプの女の子だった。なんなら私よりもよっぽど同級生たちを仕切る能力があるので、普段は大人が介入する必要がない限りこの子に任せているくらいだ。


「せんせーがハーシュさまのせんせーって、ホントですか?」


 またそれか。というか、こんな子どもたちにまで広まっているなんて、あのバカはどれだけ私のことを言いふらしているんだ。


「あー……まぁそうだな。こうして講義をした訳じゃないが、個人的に教えてやったことはある」


 否定してハーシュが嘘つき扱いされてもあれだし、と一応消極的に肯定すると、講義室がさきほどまでよりも少し大きくざわついた。


「ほんとだって」「でもこうぎはしてないって」「どういうこと?」「ハーシュさま、せんせーじゃなくてししょーって言ってたよ」「ししょー?」「わたしたちにもハーシュさまと同じことおしえてくれるのかな」「そしたらわたしたちもハーシュさまみたいになれる?」「でもイアリーせんせーだよ?」「そうだよ、一度もまじゅつを見せてくれないじゃんか」「うそついてるってこと?」「でもいったのはハーシュさまだよ」――。


 ……め、めんどくさい。


 言わんとしていることはわかる、十分すぎるほどよく分かる。ハーシュだけでなく、魔王を討伐して盛大な凱旋パレードを開いた四人の英雄は今や子どもたちの憧れの的だ。


 うだつのあがらないダメ教師と思われていた私を、そんな英雄が方方でやたらと褒めそやしていれば「本当はすごい人なのを隠しているのかも」なんて豊かな想像力が働いてもなんら不思議はない。あるいは私自身の魔術が大したものでなくとも、人を導く才能があるのなら、私の講義をよく聞くことで自分たちが英雄になれるヒントがあるかもしれない、とか、まぁそんな風に思ってしまうのも無理からぬことだと思う。


 けれどそれは勘違いだ。


 私は凡庸どころか底辺を這う程度の実力しかない魔術師で、毎年毎年子どもたちを教え、中等科へと送り出してきたが私の受け持った子たちが飛び抜けて優秀だったということもない。学長に教員として置いてもらっている分、なんとか私の講義に興味のない子どもたちも他クラスと遜色ない学力、実力が身につくよう手を尽くしてはいるがそれだけだ。


 そしてハーシュが英雄になったのは私の手柄ではなくあの子の努力と覚悟と、そしてほんの少しの幸運が味方した、限りなくゼロに近い可能性を切り開いた結果なのであって、そこに私という存在が介入する余地など無い。


 私はただ、あの子が魔術を使えるように、そのスタートラインに立たせてやっただけで。その先の全ては、努力もその結果も、全てがハーシュのものだ。


「……はぁ」


 気は重いが、しっかり言うべきなのだろうな。もちろん噂に乗っかっておけば、この子たちも少しは真面目に学びに取り組んでくれるかもしれない。でも、私が英雄ハーシュを育て上げた大魔術師だ、なんて誤解を利用すれば、それはこの子達を騙しているのに他ならない。


 それに何より。


「あの子の頑張りを、勝手に私のものになんかできるかっての」


 私はハーシュの師匠だ。あの子がどんなに努力して、今の力を手にするに至ったのか、ずっとそれを見守ってきた。あの子の膨大な魔力を扱うには、彼女自身の命の危険さえ伴った。それら全てに挑み、打ち勝って、そうやって築き上げたあの子の技。そうして上り詰めた英雄の称号。それを、私がかすめ取るなんて出来ない――いや、したくないのだ。


「あー、期待させて悪いが」


 私はいつも「静かに」と声をかけるのと同じように、講義室中に聞こえるよう声を張った。子どもたちのざわめきが静まり、たくさんの目が私にじっと注目する。ほんと、この真剣さを普段の講義で見せてくれればいいんだがな。


「私は私、ハーシュはハーシュだ。確かに私はあの子に魔術の手ほどきをしたことがある。あの子も君たちと同じ、この学院の生徒だったからね。でも、それは何も特別なことじゃない。ハーシュは少し事情があって、上手に魔術を使うことが出来なかった。だから私は、彼女が魔術が使えるようになるまで、少し手伝ってあげただけなんだ」


 私の魔術がスゴいわけでも、ハーシュに秘密の大魔法を伝授したわけでもないのだと説明する。大半の子どもたちの顔には「がっかりだ」と「やっぱりね」のどちらかの表情が浮かんでいる。まぁ慣れたものだ。


「私にできることと言えば――」


 ぽん、と指先に火を灯す。


「このくらいだ。君たちの中には、既にもっと大きな火を起こせる者もいるだろう? 魔術師としての私の実力は、その程度ということだよ」


 まぁ、こういうのは気を持たせるよりもはっきり言ってしまうべきだろう。その上で、私の講義では私が手本を示すのではなく子どもたち自身が挑戦し、成功を体験して学ぶ意欲を高めてもらうようにしているのだから、講師の私がしょぼいことには目を瞑ってもらうしかない。


「さ、遅れてすまなかったね、今日の講義を始め――」


「おじゃましまーす」


 用意していた資料を開こうとしたところで、がらりと講義室の扉が開いた。突然の来訪者に一瞬の沈黙が降りる。そして私がそのよく知った声の主を振り返――るよりわずかに早く。


 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!??


 声にならない絶叫が講義室を駆け巡った。わぁだとかきゃあだとか、そんな生易しいもんじゃない。絶叫と言っても過言ではないほどの歓声。

 ああそうだ、そりゃあ子どもたちは驚くし嬉しいだろうよ。


「はーい、可愛い弟子が遊びに来ましたよ、師匠」


 戸口に立っているのは、まさにこの子達が憧れてやまない英雄ヒーロー、魔賢者ハーシュその人なのだから。

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