回想:にたものどうし

 ねー、先生はどんな魔法がつかえるのー?


 ……毎年のこととは言え、新入生の相手をするのは気が滅入る。初日は挨拶と自己紹介で終わりなのがせめてもの救いだ。


「…………はー」


 中庭に置かれたベンチに腰掛けて、腹立たしい快晴の空に向かって煙を吐き出す。それはすぐに空に溶けて消えていった。重苦しい息を吐いても、胸の内の重いものが軽くなった気はしない。


「こんなもん、見せてもな」


 指先に火をつけては消し、つけては消しを繰り返す。愛煙家として最も日常的に使っている術はすっかり指に馴染んで、意識せずとも簡単に使うことが出来る。けれど。


「ここに来るような子は、とっくにこんなもんはクリアしてるしな」


 初等科の教員は三人。私のクラスに当たった子たちは運がない。自分が教えていることすら実演できない人間に師事することになるのだから、魔術師というものに失望しかねない。同情すると同時に、勝手に期待して勝手に落胆する子どもたちにうんざりする。


 だからって、学院を辞めるなんて選択肢は私にはない。


 自分の魔術の研究は続けていきたかったし、一般的な魔術師が片手間でやってのけるような術に入念な準備が必要な私は魔術師向けの職の大半に適正がない。どうにか食い扶持を稼がなくてはいけない身としては、切実にこの仕事を欲しているのだ。


「……何してんですか」


「あ?」


 声をかけられて空を仰いでいた視線を戻すと、学院の制服であるローブを袖も通さず肩に引っ掛けているだけの女生徒が立っていた。


 珍しい薄灰色の髪と、よく似た色の瞳が目を引く。高等科の制服を着ているところを見ると十七、八くらいだろうか。年の割に少し幼い印象を受ける顔立ちだが、あまり手入れしていない様子の前髪が目元を覆っていて、それなりに近づかないと表情が読みにくい。


「何って、見りゃわかんだろ。煙草吸ってんだよ」


「センセーなのにいんですか、こんなとこで煙草なんて」


「なんだよ文句あるか?」


「無いですけど。学長に見つかってもいいのかなって思っただけです」


「別に煙草は爆発したり生徒を襲ったりしねぇよ」


「そうじゃないでしょ」


 そこで初めて、少女がくすりと笑った。先程までのヒネた態度に比べて、その笑顔は顔立ちの幼さに似合う素直さで可愛いと思えた。ずっと笑ってりゃいいのに、と思った後で万念仏頂面なのは自分の方だなと思い直して口にはしなかったが。


「変なセンセーですね」


「お前も変な生徒だな」


 高等科は今日も午後から平常通り講義があるはずだ。初等科の教員である私と違って暇ではないはずで、今は昼休憩も終わって講義中のはずなのだが。


 この学院に来る学生は大なり小なり魔術に関心を寄せているし、中等科、高等科と上がるにつれてより早いペースで様々な魔術を学び、身につける。もちろん出来不出来、得手不得手はそれぞれにあるが、研究者としての側面も強い学院の教授陣が次々に披露する未発表の術を見るだけでも飽きないとあって講義をサボる学生はほとんどいない。


 そういう意味で私は彼女を「変な生徒」と評したのだが、少女が黙って俯いてしまったのを見てどうにも地雷を踏んだらしいと気づいた。


「…………」


「…………」


 気まずい。目の前の不良生徒は黙りこくったままだし、私は私で地雷を踏んだのはわかっても何がどう地雷だったかがわからないので謝りようがない。

 揃って黙りこくっていても仕方ない。ないが、どうにも私の言葉で落ち込んでしまったらしい彼女をこのまま放り出すのも寝覚めが悪い。


「……ちっ」


 何をどう切り出せば良いのやら。悩んでいる間にすっかり短くなった煙草を携帯灰皿に押し込み、二本目を取り出す。いや三本目だったか? ここへ来てぼーっと空を見ながら煙草を吸っていただけで、時間の経過も、無意識に火をつけたかもしれない煙草の本数もよく覚えていない。


 ぽっ、と小さく弾けるような音を立てて人差し指の先に火が灯る。煙草に火を移してからいつものように軽く指を振って火を消す――と、俯いていた少女が私の手元を凝視して固まっていた。


「なんだよ」


「……い」


「あ?」


「すごい!」


 がばっと火をつけていた右手を鷲掴まれる。


「おい、なんだよ急に!」


「こっちのセリフです! なんですか今の! どうやったんですか!?」


 ものすごい食いつきように面食らう。なんだ、火を灯す魔術なんて珍しくもなんともない。それもこんな、煙草に着火するくらいしか使いみちのない魔術としては最低クラスの効果しか持たない術。なにをどう勘違いすれば、そんなものでこうも目をキラキラさせられるのか。


「どうって言われてもな。第一こんなもん、出来たところで煙草に火をつけるくらいしか使いみちなんて」


「そうじゃないですよ! なんて!」


 ……まぁ、珍しいことに間違いは無いが。


「何を期待してるのか知らないが、残念だったな。これは私にしか出来ない。そもそも真っ当な魔術師がやることじゃないし、やって得もない」


 そうだ。魔術がいま世界中で注目され、決して大国ではない我が国が大陸列強の筆頭にいるのは、魔術が世界を変える力を持っているから。


 新時代のエネルギー、産業の革命的発展、犯罪捜査や防犯の高度化、軍事兵器への利用。あらゆる面で魔術はこれまでに存在したあらゆるエネルギー、理論、機構を覆し、凌駕しようとしている。


 そんな魔術を研鑽する者たちが求めるのはより大きな力。大規模な魔術。人間という存在一人が生み出せる理論上無限のエネルギー。これまでの歴史と科学が不可能としてきたものを可能にする、種としてのステージを登る技。


 だから、魔術とは元来、なのだ。


 マッチを擦ればできること。原始の時代より当たり前に人類が行ってきた火起こし程度の小さな火を、魔術に求める者なんてどこにもいない。魔術師に期待されるのはもっと大雑把で、本来数十、いや数百の人間と幾万の道具によって為されるものを、一人で賄えるだけの力。


 私の魔術は、時代に望まれたそれの、まさに正反対。

 一度に吐き出せる魔力はごく微量。故に起こせるのはマッチ一本の消耗を抑えるだけの奇跡。


「わかったろ? 私は教員なんぞやっちゃあいるが、その実は魔力の少ない落ちこぼれ。学長のお情けで、卒業後もここに研究室を持ってるだけの――底辺魔術師だ」


「…………」


 私のことを軽く説明してやると、少女は再び黙り込む。そこで気づいたが、もしかしてまずったのではないだろうか。私は今さら気にもしていない経歴だが、これではまるでわざわざ地雷を踏ませて不幸自慢でもしているようではないか。


「すまん、違う。いや違わないが、今のはただ単に私に期待するなと言いたかっただけで、私は別に」


「おんなじ、ですね」


「気にしてるとかでは――なに?」


 思わず聞き返すと、少女は返事をする前にすとんと私の隣に腰を下ろした。


「おんなじっていうか……同じって言ったら、センセーは怒るかもしれないですけど」


「ガキの言うことにいちいち腹立ててたら初等科の教員なんてやってられねぇよ」


 いちいち凹んではいるけど。それは言わないでおこう。


「あたしは、体内の魔力生成量が多いんです」


「いいことじゃねぇか。エリートになれる」


 魔術研究を急速に進め、その力で大陸一の発展を遂げた我が国では、魔術師の地位はかなり高い。より大きな奇跡を起こせる、大規模な魔力を一度に扱える才能の持ち主というのは国の要人レベルの待遇を受けることもあるほどに重視されているほどだ。


 一般人と同程度の奇跡しか扱えない私でさえ、この学院で教鞭を取っているというだけで元老院の爺さまがたと同じレベルの給金を貰っているほどだから、人並み外れた魔力量の持ち主と言うならその価値は言わずもがなだ。


「いいえ、なれませんよ」


「何でだ? 複雑な術が編めなくたって、魔力炉心としての放出だけでも国家予算規模のプロジェクトの中心人物になるんだぞ」


「あたしは、ただのひとつも魔術が使えませんから」


「……なに?」


 魔力があるのに、魔術が使えない?


んです」


「……魔力が、か?」


「はい。生成される魔力は桁外れに多いって。でも、それに私の身体がついていけないんだって言われました」


「そんなことがあるのか?」


「初めての例だって。実験動物にされないだけ幸せですね」


 彼女が語ったところでは、多すぎる魔力の放出に耐えうるだけの放出点が、人間の身体では足りないらしい。


 魔力の放出点とは、体内に渦巻く魔力を吐き出すための場所。魔術を発動するために魔力を集中させる、発動の起点となる場所で、これは本来は自分の体であればどこでも良い。個々人が発動する魔術の種類、保有する魔力量や集中をイメージしやすい場所など様々な条件を加味して適切な場所を選ぶ。


 標準的な魔力量の人間が最も扱いやすいのが手のひらとされ、次いで足や頭など身体の先端となる部分、人によっては口や目といった「開口部」の場合もある。


 一度に放出する魔力が大きければそれだけ放出点も大きな部位が必要になり、大きな術を使う魔術師は手ではなく腕全体、あるいは半身、過去最大の魔力の持ち主にはほぼ全身、つまり人間の身体そのものを丸ごと放出点にした例もある。その人物は王都全域を覆う途方もない大きさの魔力結界を一人で維持している化物級の魔力の持ち主だが、それはつまり、目の前の少女が持つ魔力は、都市一つを護る結界を張る人間さえも凌駕するということ。


「本当なのか?」


「嘘だったら良かったですよ」


「それは……そうだな、すまん」


 彼女の言う「同じ」の意味を理解する。彼女は魔力が大きすぎて放出点が形成できず、私は魔力が小さすぎて半生を費やして指先という小さな放出点を形成するのがやっとだった。


 魔力が多すぎて、魔力が少なすぎて。その理由は正反対だが、まともな放出点を形成できないという点で私達は同類だ。


「なるほどな。だからか」


「はい?」


「いや」


 そりゃ、私の小さな火に驚く訳だ。放出点も作れないほど膨大な魔力を有する彼女にしてみれば、私のように極小規模の魔術なんてものは、よほどの精密な術式と神経をすり減らす集中力あってのものに見えるのだろう。それこそ、針穴に糸を通すよりも遥かに小さな作業、術式だと。……実際には、私の魔力量が針穴にも満たないというのが現実なのだが。


「ま、そんな訳なので、講義に出てもつまんないからこうしてふらふらしてたら、不良センセーを見つけたってわけです」


「不良じゃねぇよ」


「煙草、美味しいですか?」


「……フツー」


「一本くださいよ」


「やだ」


「やだって……」


「これは私が材料から買い込んで自分で用意したんだ。味も楽しみもわからん奴に譲るなんてやだね」


「けち」


 失礼な。


「ま、こんなちっぽけな火に期待させて悪かったがな、私の魔力量は一般人以下、これは出力を制御してるんじゃなくて、限界ギリギリの最大火力だ。お前とは事情が違うよ」


「……そう、ですかー」


 気の抜けた返事だった。いや、事実気が抜けているのだろう。もしかして、と期待を抱かせてしまっただろうか。こいつが勝手に期待して、勝手に裏切られただけなのに、私が悪いみたいな気がして気持ち悪い。落胆の色を見せる少女の灰碧色の瞳は、私の教える初等科の子たちのそれとよく似ていた。


 やめてくれ。そんな目をされたって見せられるものも、教えられるものも有りはしない。私は自身の特異な体質に特化させた術式で魔術を使うんだから、一般魔術師レベルの魔力保持者には何の参考にも――一般魔術師レベル?


 そう、一般魔術師程度の魔力量なら、何も私の扱うような極小の放出点を作る必要はない。もっと言えば放出点を「作る」必要がないのだ。なぜなら彼らの多くは感覚的に自分が最も扱いやすい放出点を自然と見つけ出す。彼らにとって放出点は作るものではなく探り当てるものだ。


 けれど、魔力量が少なすぎる私は特定の点に全魔力を集中させなければならない。つまり、意図的に放出点を作らなければならなかった。

 そして目の前の少女もまた、放出点を「見つける」ことが出来ないでいる。なぜなら彼女の放出点は彼女の身体より大きくなってしまうから。でも、それはつまり――。


「……いける、かもしれない」


「なんです?」


「お前にも、魔術が使えるかもしれない」


「は」


 ぽかんと、可愛らしい口をまんまるに開けて少女が固まった。


「いやすまん、正直わからん。だがさっきも言ったように私の魔術はかなり特殊だからな。もしかしたら、お前が今まで学んできたのとは全く別のやり方を教えてやれるかもしれない」


「ほんと、ですか」


「ああ」


 希望的観測、と言われれば否定はできない。でも、それでも私は思った。


 初等科の子どもたちにも満足な講義が出来ない、出来損ないの魔術師。そんな自分が、それでも今日まで自分の魔術を研鑽し、この学院に残り続けたことに意味があるとしたら。それはきっと、いま目の前にいるような、普通の魔術を諦めてしまった生徒を拾い上げるためなんじゃないかと、そう思ってしまったのだ。


 私が私のためだけに磨いてきたものが、もし誰かのためになるとしたら。

 誰の役にも立たない底辺魔術師が、たった一人でも生徒を救えるのなら。


 それはきっと、私という存在の意味になる。価値になる。理由になる。


「その気があるなら、いつでも研究室に来い。講義中以外は大抵そこにいる」


「――はい。ぜひ、伺いますね」


「おう。……ああそうだ、名前を聞いてなかったな」


「あ、そうでしたね。あたしはハーシュ。落ちこぼれのハーシュです」


「なんだその枕言葉は。だったら私はそうだな、底辺のイアリーだ」


「わかりました、底辺師匠」


「ぶっ飛ばすぞ」


 それが、後に魔賢者と呼ばれる少女、私なんぞに恋をしたと宣う英雄との出会いだった。

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